日本100名城 059番 姫路城 兵庫県


左から乾小天守、ハの渡櫓、西小天守、ニの渡櫓、大天守 (すべて国宝)


左から西小天守、ニの渡櫓、大天守 (すべて国宝)


左から東小天守、ロの渡櫓、乾小天守、そして背後に大天守 (すべて国宝)


左から大天守、イの渡櫓、東小天守(すべて国宝)


日本100名城 059番
姫路城

国指定史跡
国宝8件(大天守、東・西・乾小天守、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓) 重要文化財74件
世界文化遺産
1608年(慶長14年)建立

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(歴史)

最初に天守を築いたのは羽柴秀吉で、1580年のことである。1601年(慶長6年)には池田輝政が秀吉時代の天守を解体して、 部材を小天守および、渡櫓に転用。約9年の歳月を費やし、1609年(慶長14年)に五重六階地下一階の大天守に三基の小天守を結んだ 天守群を中心に、多くの櫓と門が並び立つ大城郭を築き上げた。 その後は本多忠政が西の丸などを増築し完成する。
 明治には建物のいくつかが失われたが、昭和の大修理などを経て、平成5年には世界文化遺産に登録される。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(100名城訪問日記)

姫路城へは、大天守保存修理事業が行われていた2011年に一度訪れており、その際に100名城スタンプも押印済みだった。
 ただしその時には、大天守が素屋根に覆われており全く見えない状態だったので、日本100名城としての姫路城は訪問済みであっても、 国宝建造物としての姫路城への訪問は不完全と言わざるを得なかった。  だからこの度、4年ぶりに、大天守の修理が終了したばかりの姫路城へ再訪問してみることにしたわけである。

で、修理が終わった大天守を初めて見た印象は、「とにかく白い」の一言である。
 姫路城へは100名城巡りをする前から数え切れないくらい来てたので、元々の大天守もよく覚えているのだが、 大修理によって、もともとの大天守では黒っぽく見えた屋根の継ぎ目に、屋根目地がたっぷり塗りこまれたことにより、 屋根を含めた建物すべてが白く見えるのである。
 まさに白鷺城の呼び名に相応しく、姫路城天守の美しさが更に磨きがかかった印象だ。
 現在、江戸時代以前から現存する天守は、日本全国に12あるが、その中でも姫路城の巨大さ、美しさはずば抜けている。  よくぞまあ、廃城令や太平洋戦争を乗り越えて、 ここまで素晴らしい連立式天守が現存していたものだと感嘆のため息をつかずにはいられなかった・・・。

ところで、更に延々と姫路城の素晴らしさを記していってもいいのだが、 正直なところ、私のような薄っぺらな人間が、その薄っぺらな表現力で、 姫路城の素晴らしい点をこれ以上挙げていっても、全くの無意味といえるだろう。  姫路城が素晴らしいということなど、今更、私などに言われなくても誰でも知っていることである。
 しかしそれでも、何とかして姫路城(特に国宝・連立式天守)を見学した私の感動を伝えたい・・・。
 そこで登場したのが、上記の妙なクモの巣グラフである。
 このクモの巣グラフは、国宝建造物を5つの項目に分けてそれぞれ点数化し、 そのトータル点数を、その総得点として、その国宝建造物に対する私の評価とするというものである。  当然、これらの点数はすべて正式な評価点数としてではなく、私の独断と偏見である。   だから、あくまでその国宝建造物に対する私の感動を点数化したものだと思ってもらいたい。  また、姫路城の場合、これは日本100名城としての評価ではなく、 国宝建造物(大天守、東・西・乾小天守、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓)としての評価なので、その点も注意していただきたいところだ。

ところでなぜ私が、このような国宝建造物評価チャート図を作成しようと思ったのかというと、昔、少年誌の格闘漫画などで、 各キャラクターの戦闘能力を、スピード・パワー・賢さ・特殊能力などといった項目ごとに点数化したクモの巣グラフが掲載されていることがあり、 それを子供心に非常にワクワクしながら見ていた記憶があるからである。
 だからそれを、国宝建造物に置き換えて、姫路城天守や、法隆寺五重塔、清水寺本堂、 出雲大社本殿などといった名だたる国宝建築の能力値をグラフ化、数値化し、自分自身でそれを眺めて満足したい・・・ というのが、この国宝建造物評価チャート図を作成しようと思った経緯である。

とはいえ、このチャート図を作成したのは、この姫路城天守が初めて。  今後訪問する国宝建築に関してはチャート図も添えて発表していきたいと考えているが、 2015年6月現在、姫路城連立式天守以外で、すでに訪問済みの182件の国宝建造物に関しては、どれだけかかるか分からないが、 今後、暇な時にでも作成して付け加えていくつもりである。

それにしても、しょっぱなから横綱クラスの国宝建造物、『姫路城連立式天守』が91点という、高得点をたたきだしてしまって、 果たして、これを超える国宝建造物は現れるのだろうか・・・?
 はたまた、面倒くさがりの私が、他に点数をつけないまま企画倒れに終わってしまうのだろうか・・・?
 それはこれから点数をつけていく私自身にすら、どうなるか分からないことである。


訪問日&撮影日 1回目 2011年03月28日 2回目 2015年5月28日

(※百名城スタンプ設置場所)
大手改札横

@大天守(国宝)

白漆喰総塗込の壁と、入母屋屋根に千鳥破風・大千鳥破風、唐破風の装飾を巧みに組み合わせた外観を特徴とする。
 外観は5層、内部は地下1階・地上6階であり、その壮大な天守を、地階から6階の床下までを通る2m近い直径で高さは24.6mを誇る 東西2本の心柱が支えている。 西心柱は昭和の大修理で新材に、東心柱は地下部分だけを取り替えられたが、 その他は築城当時のまま残されている。
 大天守の高さは31.5mで現存12天守の中で最も高く、天守台14.8mと合わせると、46.3mになり、姫山45.6mと合わせると、 海抜91.9mにもなる。


A東小天守(国宝)

ロの渡櫓とイの渡櫓が接続する北東隅にあり、渡櫓の二重屋根の上に望楼を乗せた建物で、 三重の隅櫓である。 石垣の内側に地階があるので、内部は計4階になっており、 3階(最上階)は、北側に入母屋破風があるため、その屋根裏を破風の間として格子窓を設けている。


B西小天守(国宝)

大天守の西側に位置し、二の渡櫓で結ばれている。 二の渡櫓の1階は水の五門で、天守曲輪内部への 入口になる。 さらに西小天守の地階には水の六門があるので、天守曲輪への出入を厳重に守る役割があったという。


C乾小天守(国宝)

天守曲輪の北西(乾の方角)に位置し、ロの渡櫓で東小天守と、ハの渡櫓で西小天守と結ばれている。  乾小天守は、北西隅に突出した櫓台石垣の上に建てられていて、3棟の小天守の中では一番大きく、 連立式天守と呼ばれる建物配置でありながら、独立性の高い建物といえる。 4階(最上階)の 窓には格子が1本もなく、他の小天守とは趣を異にしている。


Dイの渡櫓(国宝)

大天守と東小天守を結ぶ渡櫓。三階建てで、中庭に面する地階へは1階から出入りできない構造になっている。


Eロの渡櫓(国宝)

東小天守と乾小天守を結ぶ二重の渡櫓。 内部は3階建てで、1階北側に大きな出格子窓がある。


Fハの渡櫓(国宝)

西小天守と乾小天守を結ぶ渡櫓。 地階は3つの個室がある。


Gニの渡櫓(国宝)

大天守と西小天守を結ぶ渡櫓。水の五門が附属して2重2階の櫓門になっている。


H平成の修理工事時の天守
(2011年03月28日訪問時撮影)

姫路城大天守保存修理事業は、平成21年度〜平成26年度の約5年の歳月をかけて、大天守の傷みや汚れを修理が行われた。
 大修理時、大天守は素屋根に覆われていたが、平成23年3月26日から、 地上50mに設置された姫路城大天守修理見学施設「天空の白鷺」で、大天守の漆塗壁や屋根瓦の葺き直しなどの様子を見学できた。


I修理工事終了後再訪問時撮影の連立式天守
(2015年5月28日撮影)

姫路城へは何度も来てるのだが、まともに大天守の写真を撮ったのはこの日が初めてである。
 工事前の大天守よりも更に真っ白になったイメージだ。  その巨大な建造物は、姫山に建っていることから更に大きく見え、JR姫路駅からもはっきり見ることができる。


J桜門橋

この写真は、平成の修理時に撮影したもの。 当時は人影もまばらだったが、大天守工事終了後に再訪問した際には、 平日であるにも関わらず、外国人をはじめ、数多くの観光客でごった返していた。


K三の丸広場から見た連立式天守

三の丸広場から見上げると、姫路城が平山城であることがよくわかる。
 関西在住の私にとって姫路城は日帰りで気軽に行ける観光名所であるため、城に興味を持つ前から何度も訪れている。
 例えば2000年以前に友人たちと姫路セントラルパークへ行った帰りや、2008年にひめじ公園内で開催された『ひめじ菓子博』際などである。  当時の城に興味がなかった私でも、この姫路城天守がずば抜けて素晴らしいものであるということは十分理解できた。


L正面登閣口付近から見た連立式天守

明治2年の版籍奉還により、姫路城は兵部省管轄になり、老朽化した建物の取り壊しが開始されたが、 陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけにより、大小天守群・櫓群などが保存されることとなったという。
 城に興味を持つようになって、今まで各地の現存12天守を見学してきたが、 姫路城天守と肩を並べるレベルの巨大で美しい天守はどこにも現存していないことを知る。
 明治時代初頭の廃城令を始めとした大変革により、姫路城天守も取り壊しの一歩手前までいっていたという。
 城に限らず、寺院建築など、先人たちが築き上げた貴重な歴史遺産を、修理・維持・保存することなく、旧時代の無用の長物として、 ことごとく破壊した明治政府という無能・・・。  もしそれに異論を唱える人物がいなければ、現存12天守ですら存在していなかったかもしれない。


M菱の門(重要文化財)

三の丸から二の丸へ至る、城内で最も大きな門。 近世の枡形の原型といわれており、二の丸への入口を固める。  両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋があることからこの名が付いた。  安土桃山時代の形式を残し、火灯窓で飾られ、左右に連なる堀の狭間から敵を迎え撃つのだという。


Nはの門南方土塀(重要文化財)

壁には長方形・正方形・三角・丸の狭間と呼ばれる、窓であり鉄砲や矢を放つための穴があいている。
 この坂道は、すぐそこに天守が見えるように錯覚させている。 別名「将軍坂」とも呼ばれる。


O水の一門(重要文化財)

1601〜1609年建立。 本瓦葺の一間棟門である。


P水の二門(重要文化財)

ここは天守に続く道だが、先にいくほど低くなっているので、「天守は高い場所にある」という先入観をもっている侵入者は 道を間違えたのではないかと不安になるのだという。


Q天守最上階にある神社

剣豪宮本武蔵が、城主から大天守に現れる妖怪退治を頼まれた逸話ゆかりの神社だという。 御祭神・刑部明神を祀る。


R備前丸から仰ぎ見た大天守と西小天守

備前丸からは石垣と大天守をすべて見れる。


S備前門(重要文化財)

折廻櫓に続く切妻の櫓門で、備前丸への主要な出入口になっている門。 築城の際、石不足であったため、 門のすぐ脇には石棺が転用されている。


21.ぬの門(重要文化財)

チの櫓・リの二渡櫓・リの一渡櫓から続く「ぬ」の門。 1階と2階で入口が左右に分かれている。


22.いの門東方土塀(重要文化財)

姫路城内には、こうした塀だけでも、32棟も重要文化財に指定されている。


23.『国宝・重要文化財一覧』の看板

姫路城内には、国宝が8棟、重要文化財が74棟(櫓27棟、門15棟、塀32棟)もある。  私は当初の予定では、国宝建造物8棟だけでなく、せっかくだから、その重要文化財の建造物74棟もすべて写真におさめる予定にしていたのだが、 そのあまりの多さに、最初の数棟写真に撮っただけで断念した。
 もし姫路城重文建造物の写真をすべてコンプリートしたいという人がいれば、 入城してすぐの場所に、上の写真、詳しく記されたマップの看板があるので、 それを写真に撮って挑戦してみるといいかもしれない。


24.西の丸庭園から見た連立式天守

連立式天守が最も美しく見えるのは、西の丸庭園から見るこの角度だとも言われ、2006年に公開された映画『大奥』では、 この西の丸庭園で仲間由紀恵を始めとした女優陣の宴の席のシーンの撮影が行われた。
 当然のことながら、姫路城天守は、江戸城天守という設定。  時代物の映画やドラマにおいて、現存の天守を、史上最大と呼ばれた江戸城天守と見立てて撮影する場合、 この姫路城天守以外には考えられないといえるだろう。


25.西の丸庭園北側から見た連立式天守

姫路城連立式天守は、見る角度を少し変えるだけで、様々な表情を見せる。


26.城北側から見た連立式天守

最後の仕上げとして、城の北側へまわってみた。 こちら側は多くの観光客でごった返していた三の丸広場側とうって変わって、 人影もまばらだった。
 案外、この角度から見た連立式天守は、姫路城へ観光に来る人の大多数が見ることなく帰ってしまうのではないだろうか。
 しかし、東小天守とロの渡櫓という、二棟の国宝建造物の外観は、姫路城北側へまわらなければ見ることが出来ないので、 面倒くさがらずにこちら側からも必ず見学しておきたいところである。

交通アクセス

JR山陽本線、新幹線「姫路駅」、山陽電鉄本線「山陽姫路駅」から徒歩20分

駐車場 有

100名城巡りドライブ難易度 (★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
都合に応じてどのアクセス方法でも問題ないが、 イベント等で道路が混むことが多いので、電車によるアクセスが無難かもしれない。

住所
兵庫県姫路市本町68



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