浄瑠璃寺 三重塔
国宝
(1178年 平安時代後期)
16.1m

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浄瑠璃寺三重塔 (Joruriji Temple)

永承2年(1047年)、義明上人が開基、薬師如来を本尊として創建されたものであるという。 小田原山浄瑠璃寺は、東の薬師仏をまつる三重塔、中央宝池、西の九体阿弥陀堂から成り立っており、 寺名は創建時の本尊、薬師仏の浄土である浄瑠璃世界からつけられたという。
 この三重塔は、1178年に京都一条大宮から移されてきたものである。元々どこの寺にあったか、 建立年塔は不明である。内部に薬師如来像(重文、秘仏) を安置。


(仏塔訪問日記)

ある種、その浄瑠璃世界を具現化したように神秘的なこの寺院が、宅地開発が進む京都府木津川市の新興住宅地から、ほんの数分自動車を走らせた場所にあるのは 非常に意外だった。

三重塔初層内部が平成修理されている関係でサイドからのアングルの写真は諦めたので、庭園の木々がさえぎっている正面からの写真しか 撮れなかったが、この庭園が平安時代からそのまま残っている事を知ると、それもまた味わい深く感じた。

平安時代に京都一条大宮から移されてきた実に古い歴史を持つ三重塔であるが、この塔がもしこの地に移築されずに、一条大宮という、のちに応仁の乱の被害を もろに受けたその場所に、そのまま建てられていたら、戦火の犠牲は免れなかっただろう。

薬師如来像や、九体の阿弥陀如来像たちは、平安の都から少し離れた静かなこの山里で、都で行われるちっぽけな家督争いに端を発した、人間の残虐非道な愚行の数々を悲しんでいたに違いない。



初回訪問&撮影2009年12月9日


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実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


本堂(国宝)

三重塔(国宝)

三重塔(国宝)

より大きな地図で 日本国宝&重文指定仏塔マップ を表示
住所
京都府木津川市加茂町西小札場40

JR関西本線・近鉄奈良線「奈良駅」から奈良交通バス「浄瑠璃寺」下車すぐ
JR関西本線「加茂駅」から奈良交通バス「浄瑠璃寺」下車すぐ

駐車場あり

仏塔巡礼ドライブ難易度 易しい(★★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい
おすすめアクセス方法
バスの便はどれも一日数本程度。道中は道が狭くなく、ちゃんとした駐車場もあるので、自動車が行きやすい。