日本100名城 052番 観音寺城(佐々木城) 滋賀県近江八幡市安土町




日本100名城 052番
観音寺城(佐々木城)
国指定史跡
写真は平井丸虎口の石垣

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(歴史)

観音寺城は、標高432mの繖山山頂から南山麓にかけてを城域とした大城郭であり、中世五大山城の一つに数えられる。  観音寺城の名が初めて登場するのは南北朝時代であり、『太平記』には、佐々木氏頼が観音寺に布陣したことが 記されているが、この時は単なる砦のようなものであったと思われている。
 その後文明3年(1471)ごろから石垣・石塁を多用した城造りが進められていき、 16世紀前半には、佐々木六角氏の居住する城として整備された。  城郭への石垣の本格的導入は、安土城以後のことであり、それより古い観音寺城に石垣が多用されているのは 例外的なことであり、戦国時代でこれほど石垣を多用している城は、ほぼ唯一である。
 永禄11年(1568)に織田信長が上洛する際、その近隣の城を攻撃するあまりにの凄まじさに、六角承禎・義治親子は正面から戦うことなく 城を捨てて逃げ出し、あっけなく開城。 以後、廃城となった。


(100名城訪問日記)

うだるような暑さだったこの日、私はあえて日本五大山城の一つであり、かなりハードな山歩きになることで 知られるこの観音寺城跡を散策してみることにした。
 続きは以下の画像で。

初回訪問日&撮影日 2014年06月27日

(※百名城スタンプ設置場所)
観音正寺、桑実寺、安土城郭資料館、石寺楽市会館(12月中旬〜3月中旬までは中止)

@JR東海道本線「安土」駅

安土駅到着後、さっそく駅前にあるレンタサイクル店へ。 この日の予定ルートは、『安土城郭資料館』→『観音寺城跡』→『町立安土城天主信長の館』というものだったので、 3時間のレンタルにした。 店の人に探索マップをもらう。


A安土城郭資料館

自転車に乗り、まずは駅下地下道をくぐってすぐの場所にある安土城郭資料館へ行く。  ここでは観音寺城よりも、安土城関連の展示物が充実しており、中でも1/20スケールの安土城ひな型は圧巻。
 ひととおり見学を終えた後、喫茶コーナーでアイスコーヒーを飲みながら、さきほどレンタサイクル店でもらった 探索マップを見るも、それはかなり大まかな地図であり、観音寺城跡の詳細な縄張図ではないことが判明。
 資料館の係員にもっと詳しい地図はないかと聞いてみると、『埋蔵文化財活用ブックレット11(近江の城郭)観音寺城跡』  という本を薦められる。 有料(300円)だったが、山奥で一つ一つの史跡を探して、 あちこち彷徨い歩くのもかなりしんどそうだ・・・。 迷わず購入した。
 あと余談ではあるが、この安土城郭資料館では、安土城と観音寺城、両方の100名城スタンプが手に入る。  登山途中の桑実寺や観音正寺で押すのも少しめんどくさそうだったので、私はここで先に押印を済ませておいた。


B繖山

安土城郭資料館の見学を終え、自転車を走らせる。 自転車専用道があるので、かなり快適に走ることができた。  前方にはこれから登る繖山(432m)が見えてきた。
この山の山頂から南山麓一帯すべてが、観音寺城だったのだという。
 非常に蒸し暑いこの日、こんな高い山の山頂近くまでを、徒歩で登らなければならないことを考えると、 心が折れそうになってしまった。


C桑実寺参道

残念ながら自転車ではこの石段の数十メートル手前まで。
 私はあらかじめレンタサイクル店のおばちゃんに聞いた場所に 自転車を停めると、後はひたすら自分の足で急な石段を登っていった。


D桑実寺山門

やっと見えてきた桑実寺山門。 この山門をくぐると、『ピンポーン』とブザーが鳴った。  桑実寺境内は有料なので、住職さんがチェックしてるのだろうか? しかし山門をこえてもまだ本堂は無く、 更に石垣が続いていた。


E桑実寺地蔵堂

普段歩き慣れていないせいか、ヘトヘトに疲れて途中のベンチで休憩した。  まだ観音寺城跡の城域はおろか、桑実寺の本堂にも達していない参道の途中でこの有様・・・。  果たして観音寺城本丸まで到着できるのだろうか? 写真の地蔵堂は、そのようにベンチで弱気になってる私の眼前に建っていた・・・。


F桑実寺本堂(重要文化財)

やっと本堂に到着。 汗だくになりながら受付で拝観料を支払う。 ここでも観音寺城の100名城スタンプを押印できるのだが、 拝観料を払うやいなや、「あのぉ〜・・・、100名城スタンプありますかぁ〜?」 とか、尋ねたら、100名城スタンプ目当てにここを通ったことが丸わかりだろう・・・。
 先ほどの安土城郭資料館でスタンプ押印を済ませておいてよかったかもしれない。


G桑実寺本堂内部

せっかく拝観料を支払ったのだから、 休憩がてら本堂内部を見学させてもらう。 すると本堂壁に、三重塔再建についての壁紙と、復元予想図が貼られていた。
 壁紙によると、桑実寺にはもともと、文明15年(1483)に佐々木高頼によって建立された三重塔があったのだが、 明治13年(1880)に風災害のため倒壊したのだという。 そこで桑実寺では、その塔再建のため、ご支援とご協力をお願いしているとのことである。
 仏塔マニアの私としては是非、その三重塔が再建されたらいいと思う。 しかし、 壁紙や復元予想図は、ずいぶん前に書かれたものなのか、変色しており、再建計画が進んでいるのかは不明だった。


H桑実寺から観音寺城跡へ向けての登山道

桑実寺本堂で長い間休憩させていただいた後、いよいよ観音寺城跡へ向けて出発。  桑実寺本堂まで来るのにも息を切らせていた私としては、先が思いやられた。
 道中は写真のような、デコボコしたあまり整備されていない石段が続くので、非常に歩きづらい。


I本丸裏虎口石垣付近

どれぐらい歩いただろうか・・・。 やっとの思いで、本丸裏虎口石垣付近へ到着。  道中には案内板等がほとんど無く、後どれぐらい歩けばいいのかも分からない状態で延々と歩き続けたので、 かなり不安になったが、 ようやく名のある史跡に到着し、ホッとした。


J本丸裏虎口

本丸は江戸時代の古絵図に「本城」と記されていることから、城の中核部分と思われているが、はっきりとした 確証は無いらしい。 周囲は石塁で囲われ、虎口を伴っている。 この写真は、 本丸の北口から桑実寺へ向かう場所に位置する裏虎口であり、石塁をずらして配置する食い違い虎口になっている。


K本丸の石垣

隅部の算木積などは未完成であるものの、はじめて本格的に築かれた城石垣とされる。


L本丸跡

本丸、平井丸、池田丸などと言っても、特に説明板などある訳ではなく、闇雲にこの場所に来ても、どの石塁・石垣が、 どれに該当するのかなど、さっぱり分からなかったところだ。
 そういった点では、今まで巡った100名城の中で、最も不親切だといえるかもしれない。
 しかし私は先ほどの安土城郭資料館で、詳しい縄張り図が書かれた300円のガイドブックを買っていたので問題なかった。


M本丸溜枡跡

溜枡とは、屋外にある配水管の合流地点や屈折地点などに設ける枡のこと。  水に混入した土砂などを溜めて取り除きやすくするということである。
・・・これは、はっきり言って事前にネットやガイドブック等で予習してから行かないと、絶対に見過ごしてしまうだろう・・・。


N平井丸虎口

本丸跡から南に少し歩いた場所にある。 城内で最も巨大な石(長辺約2m以上)を用いた立派な平虎口であり、高さ3.8m、長さは32mにも及ぶ。  観音寺城と言えばこの場所の写真が紹介されることが多い。


O落合氏屋敷跡

他に六角氏の被官、池田氏の屋敷跡とされる池田丸と呼ばれる場所などがあるので見逃さないように。


P平井氏屋敷跡

六角氏の被官であった平井氏の屋敷跡とされる場所。


Q観音正寺へ向けた参道

せっかくなので、観音正寺の方へも行ってみることにした。


R観音正寺境内

先ほどの観音寺城跡の鬱蒼とした雰囲気とはうって変わって、非常に開けた印象の寺院だ。


S観音正寺本堂

ここにも100名城スタンプが設置されている。 かつては観音寺と呼ばれ、観音寺城とは切り離せない歴史を共有してきたのだという。


21.縁結地蔵尊

桑実寺や、この観音正寺についての詳細も、 『埋蔵文化財活用ブックレット11(近江の城郭)観音寺城跡』(300円)に詳しく記載されていた。


22.観音正寺から見た町並み

この日一番の風景。 その後私は、元来た道を戻り、自転車に乗り、町立安土城天主信長の館などに立ち寄り、 安土城駅へ戻っていった。
 その晩、家に帰って体重を計ると、3キロも減っていた。
 夏場の観音寺城巡り、ダイエットを目指す人には是非おすすめである。

交通アクセス

JR東海道本線「安土」駅から徒歩40分で登城口、登城口から「伝本丸跡」まで徒歩35分

駐車場 有料道路「林道観音正寺線」終点の観音正寺に駐車場あり、そこから徒歩10分で観音正寺

ドライブ難易度
難しい(★★★★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
自動車なら観音正寺側になるが、徒歩または自転車なら桑実寺側からの登城がおすすめ。

住所
滋賀県近江八幡市安土町石寺 他

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