日本100名城 084番 高知城(鷹城) 高知県高知市


本丸御殿(懐徳館)と天守


追手門と天守


二ノ丸から見た詰門と廊下門、天守


石垣下から見上げた天守


日本100名城 084番
高知城(鷹城)
文化財史跡区分(国指定史跡 重要文化財15件)

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(歴史)

南北朝時代、高知城が築かれている大高坂山には、南朝方の大高坂松王丸の居城があったという。
 戦国時代末期には、土佐の領主長宗我部元親がここに城を築くが、大雨による河川の氾濫などにより、 城下町を造ることができず、三年ほどで浦戸に移っていった。
 関ヶ原の戦いで長宗我部元親は敗れたため土佐を追放され、代わって山内一豊が土佐24万石の領主として入国し、 1611年、かつての長宗我部氏の居城であった大高坂城を近世城郭として築きなおしたのが現在の高知城である。  一豊は、築城名人百々越前を招き、10年がかりで高知城を築き、城下町も整備した。
 ところがそれから約120年後の1727年に、越前町からの大火事で、天守をはじめとした建物の大半と、城下町の大部分が 焼けてしまった。 大火事からおよそ20年後の1749年、天守をはじめ、櫓・城門などが再建された。  現在の天守はこの時再建されたものである。
 明治4年(1871)の廃藩置県令によって、270年間、16代続いた山内氏の土佐藩は終わり、高知県となった。 更に明治6年(1873)の廃城令により、本丸の建物と追手門を残して他はすべて取り壊された。
 当初高知城は、存続すべき40の城に含まれていなかったが、高知県がいちはやく公園化することを国に 申し出たことにより、本丸の建物と追手門のみ取り壊しを免れたといわれている。


(100名城訪問日記)

この日は新幹線でJR岡山駅へ到着後、8時51分発のJR特急南風3号に乗って、はるばる高知県へ。
 JR高知駅に11時30分に到着し、すぐに駅前で、フリーバス乗車券『MY遊バス五台山1日フリーチケット』を600円で購入した。
 そのチケットを購入した理由は、高知城へ行く前に、 五台山にある竹林寺五重塔を見学したかったからであるが、 さらに高知城へ向かう路面電車も無料で乗れ、高知城入城券も割引されるという、 まさに一石三鳥のフリーチケットだったからでもある。
 欲を言えば、1000円払って全線フリーチケットを購入し、桂浜まで脚を伸ばし、坂本龍馬記念館も見学したかったのだが、 私の自宅から鉄道で行くと、どうしても高知駅への到着は11時30分になってしまうので、所要時間の都合で今回は断念した。

というわけで、駅前でチケットを購入後、11時40分には五台山行きバスが到着。 すぐにそのバスに乗り込み、 竹林寺五重塔がある五台山へ向かった。
 今回は、前回山中城へ行った時のように、インド人に話しかけられるといった、 おもしろ(?)エピソードも無く、スムーズに竹林寺へ到着。 境内を見学後、またバスに乗り、 高知駅前方面へ戻ってきて、『はりまや橋』で下車し、路面電車で『高知城前』駅までやって来た。

ところで今回見学する高知城。 その天守は、現存12天守の一つとして重要文化財に指定されており、更に現存12天守の中で 唯一、本丸御殿(重要文化財)が現存し、それら2棟を合わせて、15棟もの建造物が現存して重要文化財に指定されている。
 私のように、もともとは、仏塔巡りや国宝建造物巡りの趣味から派生して、城巡りにも興味を持ち始めた者としては、 どうしても、現存建造物が全く無い城郭跡よりは、今回の高知城のように、天守を中心に数多くの建造物が現存する城の方が、 テンションが上がる。
 不思議なもので、現存建造物が少ない城跡では、石垣や堀、曲輪跡などといった遺構を、 いちいち一つ一つ撮影しながら見学するのに対して、高知城のように現存建造物が多い城では、 現存建造物以外にも素晴らしい石垣等が数多く遺構として残っているにも関わらず、 それらは全く思慮の外になり、建造物の写真ばかりを撮ってしまう傾向があるようだ。
 私のそういった面が、職場の城郭マニアの知り合いに、いつまでたっても「にわか城郭ファン」 だと言われてしまう理由の一つと言えるのだろう。

ちなみに、これほど多くの立派な建造物が現存する高知城であるが、明治政府が発布した『廃城令』において、 当初は『存続すべき城』の中には含まれていなかった。  結局は高知県が公園化することを国に申し出たために、取り壊しを免れたのだが、 それがなければ、高知城の建造物は跡形もなく壊され、殺風景な城の痕跡だけが残るか、 あるいはそれすらも残らず、かつて城があった場所には、コンクリートの建物が林立する結果になってしまったかもしれない。

かねてより私は、『神仏分離令』という愚策を打ち出し、その結果派生した、 『廃仏毀釈』によって、数多くの貴重な仏教建造物や美術品を破壊しつくした蛮人たちを生み出してしまった、 明治政府の政治家たちの、無能さや愚かさ、さらにその蛮性をうったえてきた。
 その流れで、明治政府が打ち出した『廃城令』によって、数多くの貴重な城を破壊した行為は、 『神仏分離令』同様、許すことができない愚策だったと考えるが、 城マニアの知り合いの見解は少し違ってて、仮に、日本各地に存在する、広大な面積と、 数多くの建物を有する『城跡』をすべて残すとなると、その維持、管理費は莫大なものになり、 当時の明治政府では、とてもではないがその費用すべてをまかなえなかったということである。
 そういった点で、廃仏毀釈で仏教建築を破壊した行為と、 廃城令で城を破壊した行為は、分けて考えるべきといえるのかもしれない。

日本各地に、多数の天守を含めた建造物が現存する城跡が点在し、仮に、『現存100天守』などという言葉が存在していたら、 何ともワクワクし、国内旅行がもっと楽しくなっていたのになと考えるか、 それとも、『現存12天守』だけでも存在していてよかったと考えるかは、その人次第だろう。


訪問日&撮影日 2016年03月26日

(※百名城スタンプ設置場所)
本丸御殿入口

@天守(重要文化財)

外観4重(内部3層6階)高さ18.5mの望楼型天守で、創建当初の様式を踏襲して1749年に再建された。  大入母屋とその上の唐破風、黒漆で塗られた高欄を特徴とし、現存するものとしては唯一の忍び返しもある。


A懐徳館(本丸御殿)重要文化財

現存12天守のなかでも、本丸御殿を残すのは高知城のみ。 その書院は正殿、溜ノ間、玄関からなり、正殿には一段高くした 上段ノ間があり、西側には武者隠しがある。 土佐の荒波を表現した欄間。  創建当初の御殿は金箔張の襖など贅を尽くしたものであったが、再建時には質素な造りになった。


B納戸蔵(重要文化財)

藩の重要書類を収蔵していた。


C追手門(重要文化財)

城の大手(正面)に建つ石垣の上に渡櫓を載せた櫓門。 門前は枡形になっており、 防御時には石垣上の狭間塀や門上から攻撃できるようになっている。


D詰門(重要文化財)

詰門は本丸と二の丸の間に設けられた空濠をまたぐ形で建てられており、橋廊下という旧名をもつ。  階上が登城した武士の詰所になっていたため、現在は詰門と称している。


E廊下門(重要文化財)


F西多聞(重要文化財)

本丸警護の武士の番所だった。


G東多聞(重要文化財)

武器庫として使用されていた。


H黒鉄門(重要文化財)

儀式の際に藩主が出入りするのに用いられた。


I追手門西南矢狭間塀(重要文化財)


J追手門東北矢狭間塀(重要文化財)

追手門東北矢狭間塀石垣(国指定史跡)とともに、長年の傷みの修理工事が行われていた。


K天守西北矢狭間塀(重要文化財)


L天守東南矢狭間塀(重要文化財)


M黒鉄門東南矢狭間塀(重要文化財)


N黒鉄門西北矢狭間塀(重要文化財)


O山内一豊の銅像

天文14年(1545)尾張に生まれる。 豊臣秀吉に仕え、のち、関ヶ原の合戦で功績を上げ、 土佐24万石の初代藩主となり、高知城を築いた。


P一豊の妻の銅像

17歳の頃に一豊と結婚し、その時持ってきた10両の大金を出して名馬を買わせ、 「馬揃え」という儀式で織田信長の目にとまって、一豊の出世のもとになったと伝わる。 書写に優れ、 手芸が巧かったという。


Q板垣退助の銅像と天守

板垣退助の家は代々、山内家の家臣だった。


R三ノ丸石垣

三ノ丸は、慶長6年(1601)の築城当時から10年を要して最後に完成した。 面積は4641u、 出隅部分の石垣の高さは13m。 石垣に使用されている石材は主にチャートであるが、 砂岩、石灰岩も一部使用。 自然石の形を活かした野面積みで多くの面が構築されている。  また、三ノ丸には、1815uの壮大な御殿が建築されていた。


SJR土讃線アンパンマン列車

行きも帰りもこのアンパンマン列車だった。 無類のアンパンマンマニア(自称)の私にとっては大満足。

交通アクセス

JR土讃線「高知」駅から徒歩25分
または、土佐電鉄市内線「高知城前」電停から徒歩3分

駐車場 周辺に有料駐車場あり

100名城巡りドライブ難易度 (★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
MY遊バスチケットを利用すれば、指定バス区間乗り降りし放題なうえ、高知駅前から高知城前までを含めた路面電車200円区間が無料で利用できる。 公式HPで要確認。
住所
〒780-0850 高知県高知市丸の内1-2-1

地図中の84番

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