興福寺 五重塔
国宝
(1426年 室町時代前期)
50.1m

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興福寺 五重塔 Kohukuji Temple

興福寺は、天智天皇8年(669年)に、藤原鎌足の病気平癒を願い妻の鏡女王が建てた山階寺が始まりであるという。
 南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。 南都七大寺の一つに数えられ、藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺である。 古代から中世にかけて強大な勢力を誇り、実質的には大和国を支配していたほどである。 「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産にも登録されている。
 この五重塔は、光明皇后が建立し、現在の塔は応永33年(1426年)に復元された。


(仏塔訪問日記)

古代から中世にかけて巨大な勢力を誇っていた興福寺だが、安土桃山時代に至って織豊政権に屈して以来、勢力は衰え、明治政府が発した「神仏分離令」の影響により、神官や民間の一部で引き起こされた蛮行、廃仏毀釈運動の影響で、 数多くの貴重な寺院が破壊される中、その五重塔は、2円(現在の価値で約5万円)で売りに出され、 薪にされそうになったという歴史を持つ。

こういう蛮行の歴史を聞くと、いつの時代にも、救いようの無い人物が存在するものだと恐ろしくなる。 私は神道と仏教、どちらが日本にふさわしいかなど論じるつもりは無い。 ただなぜ、こういった人物達は、信教の違いだけで先人達の産み出した貴重な遺産を、いとも簡単に消滅させてしまうのだろうか?

一時の薄っぺらな感情によって、貴重な日本人の遺産の数々を無にしてしまうということが、どれだけ取り返しがつかないことなのか、 その蛮人達のちっぽけな脳みそで考えても分かりそうなものだろうが。

将来日本にまた、こういった人物たちが出現しないことを願ってやまない。



初回訪問&撮影日(2010年1月8日)


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実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


東金堂(国宝)と五重塔(国宝)


南円堂(重要文化財)

住所
奈良市登大路町48番地

近鉄奈良線近鉄奈良駅下車徒歩7分

駐車場あり

仏塔巡礼ドライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
電車でも自動車でも行きやすいが、自動車に関しては土日に行くと周辺道路が混雑することが多い。


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