重要文化財 輪王寺(四本龍寺) 三重塔 (日光市山内2300)輪王寺(四本龍寺)(天台宗) 三重塔 18.2m 重要文化財 1685年 貞享2年 HOMEに戻る |
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(歴史)日光山輪王寺は、比叡山延暦寺、東叡山寛永寺と並ぶ、天台宗大本山の一つである。 天平神護2年(766)に、勝道上人が開山した紫雲立寺(四本龍寺)という吊の寺を建立。 その輪王寺発祥の地は、現在の観音堂と三重塔がある場所にあたり、 この四本龍寺を含む日光山中にある寺院群を総称して輪王寺と呼ばれている。 平安時代には諸堂が建立され、坂上田村麻呂や弘法大師空海が来山したと伝えられる。 江戸時代には輪王寺宮が門跡を務めた。 朝廷や幕府の信頼が厚く、家康公の尊骸が久能山から移され大猷院が建立され、 ますます隆盛を極めた。 四本龍寺三重塔はもともと、日光山二十四世座主弁覚が、将軍源実朝の供養のために仁治2年(1241)に 東照宮境内付近に建立され、その後この地に移された。 その後貞享元年(1684)の大火で焼失し、 その翌年再建されたのが現在の塔である。 三間四方(約6メートル)。最下層の蛙股に十二支の彫刻がある。 (仏塔訪問日記)2018年5月に久米田寺多宝塔へ行ったのを最後に、実に10か月もの間、サイトの更新を滞っていたのだが、 今回久しぶりの更新をできることなった。 行先は栃木県の日光。 実はこの日光山には、それほど広くないエリア内に、日光東照宮本殿、石の間、及び拝殿(国宝)・東西透塀(国宝)・ 正面及び背面唐門(国宝)・東西回廊(国宝)・陽明門(国宝)、輪王寺大猷院霊廟(国宝)、 輪王寺三重塔(重要文化財)、輪王寺相輪橖 (重要文化財)、輪王寺鉄多宝塔(重要文化財)、 日光東照宮五重塔(重要文化財)、日光東照宮奥社宝塔(重要文化財) という、実に、国宝建築6件、重要文化財仏塔5件と、当サイトで取り扱っている国宝建築や仏塔が、 実に合計11件も点在しているのである。(※他に大猷院奥院宝塔(重要文化財)も存在するが、非公開であるため除く) であるから、大阪の自宅から日光駅までは片道6時間近くかかるにもかかわらず、 久しぶりの史跡めぐりの行先を日光方面にすることにそれほど迷いはなかった。 まずJR日光駅で降りて、東武日光駅へ向かい、そこで日光山内フリー区間乗り降りし放題の
『世界遺産めぐりバス世界遺産めぐり手形』を500円で購入。 さっそく世界遺産めぐりバスに乗りこみ、
『神橋』バス停を降りた。 まずは日光山の玄関口ともいえる、神橋(重要文化財)を見学したのち、
いよいよ日光山内へ。 まずは御旅所本殿、拝殿、神饌所(すべて重要文化財)を柵の外から見学し、
いよいよ本日一つ目の仏塔である、『輪王寺(四本龍寺)三重塔』(重要文化財)のある場所を目指した。
さて、非常に前置きが長くなってしまったが、ここからは四本龍寺(輪王寺)三重塔の感想についてである。
もともと三重塔は、東照宮が出来るよりもはるか昔である仁治2年(1241)に、
東照宮境内付近に立っていたのだという。 それがこの地に移転され、
その後貞享元年(1684)の大火で焼失してしまうが、その翌年に
再建されたのが現在の塔なのだという。
かつて勝道上人が、厳しい行の末に、男体山山頂を極め、その神霊をこの地に祀った。 その勝道上人の意志は、高弟教旻から、弘法大師、慈覚大師、円仁と引き継がれていき、 鎌倉時代には西の比叡山と並ぶ一大法城となった。 三重塔はちょうどこの頃に建てられたということになる。 四本龍寺三重塔は、徳川が日光東照宮を建てる前の日光山の歴史を知るうえで、 非常に重要な仏塔だと言える。 初回訪問日&撮影日 2019年02月08日
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①JR日光駅 現在の駅舎は1912年(大正元年)8月25日に落成した2代目である。 ネオ・ルネサンス様式のハーフティンバー様式木造洋風建築2階建で明石虎雄が設計。 |
②JR日光駅駅前からの眺め JR日光駅を降りると、遠くに男体山をはじめとした日光連山が見える。 少し歩くと東武日光駅があり、そこで世界遺産めぐりパスを500円で購入。 バスに乗り込んで、 神橋バス停をめざした。 |
③神橋(重要文化財) 大谷川に架かる長さ28メートル、幅6メートルの朱塗りの橋。 日光開山の祖、 勝道上人が大谷川の急流を渡れないでいたとき、 対岸に現れた深沙大王の手にした2匹のヘビが橋をつくり、 山菅がその上に生えて渡河するを得たという。 のち、ここに架けた橋は山菅橋あるいは山菅の蛇橋などとよばれ、現在は神橋とよばれる。 寛永年間(1624~1644)の修復の際、現在の形に改造された。 1902年(明治35)に流失したが、2年後保晃会が架橋した。 二荒山神社の所有。 |
④日光東照宮御旅所本殿(重要文化財) 御旅所とは、祭事等で神輿を求刑させたり宿泊させたりする場所のことである。 神橋バス停で降りた後、階段を上って日光山に入山してすぐの場所にあるので、 四本龍寺へ行く前に立ち寄ってみた。 普段は柵の中に入ることが出来ないが、春と秋の例大祭の時には門が開けられて、 神君徳川家康公の神輿が、ここ「御旅所《まで来るのだという。 |
⑤日光東照宮御旅所本殿、拝殿、神饌所 (すべて重要文化財) 当然この日はそういった行事の日ではないので、柵の中には入ることは出来なかった。 柵の外から遠巻きに本殿、拝殿、神饌所という3棟の重要文化財建造物を眺めて撮影。 |
⑥四本龍寺境内(観音堂と三重塔) この場所は一大観光地である日光山の中でもあまり目立たない場所にあり、 訪れる人もまばらである。 入り口も分かりにくい。 日光幼稚園の手前の細い道を行くとある。 間違っても幼稚園の敷地の中へ行かないように。 |
⑦観音堂(県指定文化財) 創建年は800年頃、再建年は1685年(江戸中期)である。 銅瓦葺の一重寄棟造りで、 桁行三間(約8m)の梁間三間(約8m)。 本尊は千手観音像である。 |
⑧三重塔(重要文化財) |
⑨小玉堂(重要文化財) 弘仁11年(820)弘法大師(空海)が滝尾で修行し、 仏眼金輪(ぶつげんきんりん)の法を17日間行った。 結願の夜に白糸の滝の傍にあった八葉蓮華池の中から 小さな白い珠が飛び出したという。 その小さな珠に問うと、珠は天補星と吊乗った。 天補星は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の化身であったため、 空海は小さな珠を虚空蔵菩薩の本尊とし、堂を建てて祀った。 これが小玉堂(児玉堂)の起源とされている。 現在の建物は江戸時代初期に建てられたもの。 |
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交通アクセス
東武日光駅から世界遺産めぐりバスで5分、「神橋《バス停下車、徒歩5分 駐車場 有 仏塔巡礼ドライブ難易度 (★★) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい おすすめアクセス方法 駐車場は土日は大変混み合う。500円で日光山内フリー区間乗り降りし放題の 世界遺産めぐりバス世界遺産めぐり手形の利用がおすすめ。 住所 栃木県日光市山内2300 |
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