日本100名城 082番 大洲城(―) 愛媛県大洲市




日本100名城 082番
大洲城(―)
県指定史跡 重要文化財3件
写真上は左から高欄櫓・再建天守・台所櫓
写真下は石垣下から撮影したもの

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(歴史)

大洲城はもともと、元弘元年(1331)、宇都宮豊房が地蔵ヶ岳に築城したのが始まりとされている。  天正13年(1585)に羽柴秀吉が四国平定後、道後湯築城を本拠とする小早川隆景の枝城になった後、 天正15年(1587)には宇和郡、喜多郡を領地とした戸田勝隆が入城した。
 その後、文禄4年(1595)に藤堂高虎、慶長14年(1609)に脇坂安治と、次々と城主が変わるが、 元和3年(1617)に加藤貞泰が入場後は、加藤氏の世襲が明治維新まで続いた。
 現在見られる大洲城は、脇坂安治の時代に完成されたものである。  それは、大きなS字カーブを描いて流れる肱川の西岸にある標高20メートルの地蔵ヶ岳に築かれた平山城であり、 その本丸は、天守群によって上段と下段に分けられており、その周囲を二の丸が、さらにその南西部を三の丸が囲んでいたという。
 三の丸南隅櫓、苧綿櫓、台所櫓、高欄櫓という、4棟の櫓はすべて江戸時代に再建されてから現存するものであり、 国の重要文化財に指定されている。 天守に関しては、明治の廃城令を免れたものの、明治21年(1888)に 構造上の欠陥を理由に取り壊されたという。
 現在の天守は、平成16年、古写真や天守雛形などを元に、伝統工法を用いて木造で 復元されたものである。


(100名城訪問日記)

この日は嫁と娘が実家へ帰っており、仕事も休みだったので、久しぶりに遠出のドライブをすることにした。
 まず、自宅がある大阪からドライブするにあたり、行き先をどこにするか考えてみた。  候補に挙がったのは、長野県方面と、静岡県&神奈川県方面、そして、愛媛方面だった。  長野方面に関しては、まだ行ってない仏塔が数多く残っており、他にも国宝建造物や、100名城など、 数多くの未訪問地があったので、正直なところ一番行きたかったのだが、いかんせん、この時期は大雪の心配がある。  私は去年の6月に自動車を買い換えたばかりで、まだスノータイヤやチェーンの用意もしていなかったので、 残念ながら長野方面はパスとなった。
 静岡・神奈川方面に関しても、一部、雪の心配がある上に、 神奈川県は日帰りのコースに含めるにはあまりに遠すぎるため今回はパスとし、 結局は、二度目となる愛媛方面へドライブすることになった。

愛媛県へは以前一度行ったことがあり、その時は、石手寺(国宝・二王門、重文・三重塔)や、日本100名城の一つ松山城などを訪問したので、 今回はまだ訪問していない100名城である、大洲城や、宇和島城、湯築城をメインに巡り、時間的に可能ならば、国宝建造物を有する大宝寺や太山寺 も立ち寄って帰ってくるドライブコースに決定した。
 言うならば、今回は日本100名城メインのドライブである。 私は城郭に関しても、 仏塔や国宝建造物に劣らず興味があり、大好きであることに間違いはないのだが、残念ながら、城郭マニアと言うには程遠い程度の 知識しか持ち合わせていない。 だから、これまではその知識の疎さの言い訳のために、このサイトにおいて100名城巡りは、あくまで、仏塔・国宝建造物巡りの ついでに立ち寄っているのだという位置づけで来たのだが、今回のように100名城メインで、大阪から宇和島城まで、 片道400km以上もの道のりをわざわざ運転して行くぐらいになってくると、最早、そんな言い訳も効かなくなってくる。  だから私は、今回の100名城巡りでは、一つ一つの城を今まで以上にじっくり見学して、少しでも城郭に関する知識を 増やすように心がけた。

ところでこのサイトで、訪問した城のページを作成するにあたり、仏塔や国宝建造物のページを作成するのと比較して、非常に難しい点が一つある。
 仏塔や国宝建造物のページに関しては、最低限、目的の建造物だけを写真に写して紹介すれば、なんとか事足りるのに対して、 城郭に関しては、例えば、その城の天守閣のみを写して紹介するだけでは到底不十分だという点である。
 今回最初の訪問地である大洲城を例に挙げてみる。
 一言で『大洲城』と言っても、 それは、天守だけのことを指すのではなく、それに加えて、 台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓という4棟の現存櫓を筆頭に、石垣、堀跡、下台所、二の丸大手門跡、 二の丸御殿跡・・・・その他もろもろ、往時の大洲城敷地内にあったものや、敷地内以外でも、関係が深い人物ゆかりの場所や、 もし、当時の城内から移築された建造物などがあれば、以上のものすべてをひっくるめて、 『大洲城』といえるのである。
 ただ、それらすべてを写真に撮って、すべての画像をサイトにあげて紹介するとなると、 莫大な時間がかかるし、 紹介する画像の数も大量になってしまう。
 だから、このサイトにおいては、テーマは、仏塔や、国宝建造物などといった、あくまで、『建造物』 であるとし、 日本100名城の場合も同様に、建造物をメイン(その城に、現存している、あるいは復元されている建造物がある場合のみ)に、 石垣や土塁などといった、建造物以外の史跡の写真は、可能であればそれに加えていくという形で紹介していきたいと考える。  ただし、建造物が残っていない城跡に関しては、石垣跡や土塁跡などをメインにする場合もある。

という訳でこの日最初の訪問地である大洲城。 まずは大洲城本丸から徒歩10分程度の場所にある 無料観光駐車場に車をとめ、そこから、いきなり天守へ行くのではなくて、まずは、大洲小学校横にある 三の丸南隅櫓(重要文化財)へ立ち寄り、その後に天守、台所櫓、高欄櫓があるメイン的な場所へ、最後に、大洲市民会館の 裏手にある、苧綿櫓(重要文化財)へ行って、駐車場へ帰ってきた。

これで、少なくとも城内現存建造物に関しては、すべて巡れたと思っていたが、 帰って調べてみると、市民会館駐車場脇にある下台所(県指定文化財)という建造物を見落としていたことに 気づいてしまった。
 ついでに言うと、大洲城ベスト撮影ポイントである、伊予大洲〜西大洲駅間にある肱川鉄橋付近へ行くのは、 この後に、大洲城以外4ヶ所の史跡巡りを控えていたので、時間の都合でパス・・・。
 それら見落とした部分も含めて、機会があれば是非もう一度、もっと時間をかけて巡りたいものである。

最後に大洲城を見学した感想であるが、伝統工法にこだわり、国内産の木材を使用し、本来なら建築基準法で木造では認められない19.15mという規模にまでこだわり続けて、 最終的には建設省に認めさせるまでに至り、 忠実に復元された天守のその存在感は、現存する4つの櫓の存在感に全く引けを取らないもののように思えた。
 大洲城はまさに、日本一の復元天守を持つ城であると言えるだろう。

これほど素晴らしい城が見れて、今回の目的地を愛媛県にして正解だったとさえ思えた。
 私はその余韻が冷めぬまま、次の目的地である、宇和島城へ車を走らせた。

初回訪問日&撮影日 2014年01月17日

(※百名城スタンプ設置場所)
台所櫓入口受付

@三の丸南隅櫓(重要文化財)

無料観光駐車場へ車をとめ、まずは、大洲小学校校庭横、『お殿様公園』内にある三の丸南隅櫓へ立ち寄った。
 本丸から離れた場所に建っているが、大洲城最古の現存建造物であり、大洲城へ来たなら、最低限立ち寄るべき場所といえるかもしれない。
 この建物は、もともと大洲城の三の丸外堀があった場所に面して建っている。 享保7年に一度火事で 焼失したが、その44年後、明和3年(1766)に再建され、その時のものが現在の建物である。  二層二階建てで、外壁には袴腰形の石落しが三ヶ所に見られる。


A旧加藤家住宅主屋(国登録有形文化財)

三の丸南隅櫓と同じ『お殿様公園』内にあったので見学。
 旧大洲城藩主の加藤家が大正14年(1925)に建築した木造二階建ての住宅。 昭和50年代には映画『男はつらいよ』の舞台にもなったという。



B近江聖人・中江藤樹先生の像

大州は、先生が10歳から27歳を過ごした場所なのだという。


C下から見上げた石垣と建造物群

石垣も見事だったので、一枚だけあげてみた。


D高欄櫓(重要文化財)

大洲城の中で唯一、2階に縁と高欄がある櫓で、そこからは城内が一望できる。  もともとの高欄櫓は安政4年(1857)に地震で大破し、万延元年(1860)に再建され現在に至る。  昭和45年(1970)に解体修理される。


E台所櫓(重要文化財)

元々の台所櫓は、安政4年(1857)の地震で大破し、安政6年(1859)には再建された。 それが現存する台所櫓である。 昭和45年(1970)に、高欄櫓とともに解体修理された。


F復元天守

慶長年間(1596〜1614)に建てられたといわれる天守を、当時の技術で現在に蘇らせるために、 建て方工事から、左官工事、屋根工事、和釘製作に至るまで、様々な分野の専門家が結集して古写真や天守雛形を 参考に、忠実に建てられたという。
 昭和時代、日本各地に数多く建てられたコンクリート製の復興天守や模擬天守などとは一線を画する日本一の木造復元天守といえる。
 元々の天守は、明治21年に構造上の欠陥を理由に取り壊されてしまったのだが、そこで取り壊さずに思いとどまれば、ここまで 苦労せずにすんだのか、それとも結局は大破してしまったのかは、最早、誰にも分からないことだろう。


G天守内部の展示物

この展示品は、兜よりも手前の「刀・脇差」がメインのようだ。 大洲市立博物館所蔵品である江戸時代後期のものを 複製したものだという。


H天守最上階から見た肱川

伊予大洲〜西大洲駅間にある肱川鉄橋が遠くに見えるが、その周辺から見た 連立天守群が、大洲城におけるベスト撮影ポイントだと言われている。 しかし、かなり遠そうに見えたので、この日は時間の都合でパス。


I天守から見下げた苧綿櫓(重要文化財)

最後に立ち寄る予定の苧綿櫓が、天守最上階から見えた。 三の丸南隅櫓とともに、ここへ立ち寄らない限りは大洲城へ来たとは言えない・・・。  私は早速、本丸から降りて近くへ行ってみることにした。



J苧綿櫓(重要文化財)

苧綿櫓は大洲市民会館裏の肱川に面した二の丸東端に位置する。 非常に目立たない場所にあるが、 大洲城へ来たなら必ず立ちよっておこう。


K苧綿櫓(重要文化財)

肱川川辺に降りて撮影した。 
 元々の苧綿櫓がいつごろ建造されたのは定かではないが、加藤家所蔵の元禄5年(1692)の古地図に 記載されていることから、それ以前には存在していたことは明白だという。 その後一度大破しているので、 現存の苧綿櫓は、天保3年(1843)に再建されたものである。
 その特徴は、袴腰形石落し、北側に出窓等を配して装飾性を高め、石垣は安山岩を使用した 割石乱石積、法勾配及び反り付きで、鯱は大洲藩お抱え瓦師原八兵衛の作である。

交通アクセス

JR予讃線「伊予大洲」駅から徒歩20分

駐車場 近くに有料駐車場と無料駐車場が有り

ドライブ難易度
非常に易しい(★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
自動車の場合、一番近い駐車場は有料だが、徒歩10分程度の場所に無料駐車場もあるのでそちらがおすすめ。

住所
795-0012 愛媛県大洲市大津903

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