日本100名城 067番 津山城 岡山県


日本100名城 067番
津山城
国指定史跡
備中櫓 平成17年再建

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(歴史)

津山城は、森忠政が慶長9年(1604年)に起工し、元和2年(1616年)の完成まで13年の歳月をかけて 築いた輪郭式の平山城である。往時には五層の天守閣がそびえていたが、明治6年(1873年)の廃城令によって城郭は 公売され、天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されたが、石垣は残った。 平成17年には津山城築城400年を記念して、 備中櫓が指図などを基に再建された。


(100名城訪問日記)

この日は友人と、青春18きっぷを利用して大阪の自宅から、「姫路城」→「津山城」→「長法寺多宝塔」というルートで史跡を巡った。
 デジカメをぶら下げて「津山駅」を降りた私たちの姿は、一目で観光客と分かったのだろうか。  「津山駅」に着くやいなや、地元のサラリーマンの集団に、「観光ですか?津山に来る人って、主に何を観に来るのですか?」と話しかけられた。
 その人たちから見たら、「さくらまつり」が始まっていない平日の昼間に観光客がいるのが珍しかったのだろうか?
 津山城へ向かう道中、商店街のシャッターはほとんど下りており、津山城内の観光客もまばらだった。  電車で色々な地方都市を巡ったが、平日の駅前商店街や観光地の閑散さはどこも共通だ。 しかしそのお蔭で城内をゆっくり散策できたのだが。

歴史上、津山城の天守は二度も破却されている。 一度目は明治時代に廃城令によるもので、二度目は昭和11年に地方博覧会で造営された 模擬天守が、空襲の目標になるという理由での解体である。
 二度目の解体は仕方がないにしても、一度目の明治政府の廃城令による解体は、非常に惜しいところである。
 明治という時代には、城郭以外にも、古くて貴重な寺院などが、数多く破壊された。 明治政府は日本の近代化や欧米化を急ぐあまり、 古い日本の伝統文化を軽視していた事実は否めないのではないだろうか。
 日本の歴史上、内乱や権力者の変化、戦争以外の理由で、歴史的建造物をことごとく破壊したのは明治時代だけである。


初回訪問日&撮影日 2012年03月28日

(※百名城スタンプ設置場所)
備中櫓受付

この二両編成の電車で津山駅に到着

駅前には「津山さくらまつり」のポスターが

「津山さくらまつり」を4日後に控えたこの日はまだ人もまばらだった。

津山城を築いた森忠政の像

石段を上ると見えてきた備中櫓

「津山さくらまつり」にむけて、売店やちょうちんの準備がされていた。

櫓とはいえ現在の津山城のメイン建造物である。

目を見張る程の高さだが、ロープが一本張られているのみ

復元備中櫓内部は2階建てでかなり広い

復元された便所

天守台跡

天守台跡から見た備中櫓
交通アクセス

JR津山線「津山駅」から徒歩15分

駐車場 周辺に数か所有

100名城巡りドライブ難易度 (★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
どのアクセス方法でも問題ない

住所
岡山県津山市山下

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