国宝 瑞龍寺 山門 富山県高岡市





瑞龍寺
山門
国宝
1818年(文政元年)

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(歴史)

正式名称、曹洞宗高岡山瑞龍寺は、高岡城を築城しこの地で亡くなった加賀二代藩主、前田利長の菩提を とむらうために、三代藩主利常によって建立された寺である。
 その前身は、利長が文禄3年(1594)に金沢に創建した宝円寺(後に法円寺に改称)であるが、利長死去の前年 慶長18年(1613)、高岡に移され、利長死去後、利常がその法円寺を利長の菩提寺とし、 利長の法名瑞龍院にちなんで寺名を瑞龍院とあたらめ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、 広山恕陽禅師をもって開山。 後に瑞龍寺と改称したわけである。
 利常が利長の死後にそこまでした理由は、男子がなかった利長が、異母弟の利常を養嗣子として迎え、加賀120万石を譲ったことに、 深く恩を感じていたという背景がある。
 その造営には、正保年間から、利長の五十回忌の寛文3年(1663)までの約20年の歳月を有して完成。  現存の建造物に加えて、東司や浴室もあり、七堂伽藍がそろっていた。
 江戸時代には加賀藩の庇護を受ける寺領300石を有する大寺院だったが、明治になるとその庇護を受けられなくなり困窮し、 東司や浴室は部材を売るために解体されてしまう。

瑞龍寺山門はもともと、正保2年(1645)に建立され、万治年間に場所を変えて建てかえられた。  ところが延享3年(1746)に火災で焼失し、長らく仮の門が建てられていた。  現存する山門は、文政3年(1820)に竣工したものである。  外観は二重門で、入母屋造の柿葺屋根。 通常の二重門は、下層の屋根を上層よりも大きくつくることが多いが、 瑞龍寺山門は、積雪時に上層屋根から落ちた雪が下層屋根に当たるのを防ぐため、 上層と下層の屋根の出があまり変わらない造りになっている。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日の散策コース
瑞龍寺(国宝・山門、仏殿、法堂など)→前田利長公墓所→高岡城(日本100名城)→高岡大仏→金沢城(日本100名城)

感想
 この日瑞龍寺へ来た時点で、日本全国の国宝建造物のおよそ7〜8割程度を巡ってきていたのだが、 国宝が多くない北陸地方に、まだこれほど素晴らしい国宝が存在していたのかと、感嘆のため息をつかずにはいられなかった。

瑞龍寺内の3棟の国宝建造物の建立時期は、仏殿が1659年、法堂が1655年、山門が1818年と、 他の寺院の国宝建造物と比較しても、それほど古いわけではない。
 日本全国には、これら3棟の国宝建造物よりはるかに古いにもかかわらず、国宝どころか、重要文化財にすら指定されていない 建造物が数多く存在する。 にもかかわらず、それらを差し置いて、瑞龍寺の3棟の建造物が国宝に指定されたのはなぜなのだろう。
 その答えは、瑞龍寺の伽藍へ足を踏み入れた誰しもが肌で感じ、納得することができるであろう。

一般的にその建造物の建立時期が古ければ古いほど国宝に指定されやすいのは、衆知の事実だ。 
 これは重要文化財(及び国宝)の指定条件の一つに、『建造物の歴史的価値の高さ』という項目があるからである。
 建造物の建立時期の古さは、『歴史的価値』の高さを示すこれ以上ない指標であることは間違いない。

ただし、建造物の国宝及び重要文化財指定基準は、
『歴史的価値の高いもの』以外に、
『意匠的に優秀なもの』、
『技術的に優秀なもの』、
『学術的価値の高いもの』、
『流派的又は地方的特色において顕著なもの』
 といった項目がある。
 したがって、上記項目どれか一つに該当し、かつ、各時代の類型の典型となるものであれば、必ずしも古い建造物でなければ国宝に指定されないというわけではないようだ。

では、瑞龍寺の国宝建造物、仏殿、法堂、山門は、どの項目に当てはまるのだろうか。
 それら3件が国宝指定された平成9年12月3日から遡ること2ヶ月。
 同年10月14日付け富山県文化課による 記者発表によると、
 まず仏殿の指定理由は、『巧みな構造と優美な意匠を持つ内部空間に特徴があり、 江戸時代前期の高度な寺院建築の技術を示す最も代表的なものの一つである。』・・・ということである。
 この文章から判断すると仏殿は、『意匠的に優秀なもの』でありかつ、『技術的に優秀なもの』である点が、 国宝指定基準の主な該当項目であると思われる。

次に法堂に関してだが、『曹洞宗寺院の仏堂に良く見られる形式を持ち、 中でも大規模で形式が整った比較的に建立年代の古いものとして特に高い価値が認められる。』・・・と、 仏殿とは全く違った指定理由である。
 この文章から判断してみると法堂は、 『流派的又は地方的特色において顕著なもの』であり、その流派的特色の中でも比較的建立年代の古いものとしていることから、 『歴史的価値の高いもの』という項目も該当すると考えられる。

最後に山門の指定理由に関してだが、『部材を組み立てる際に和算が応用されたと推定されるなど 江戸時代後期の寺院建築の技術が最もよく発揮されたものの一つである。』・・・とされている。
 この文章で判断すると山門に関しては、『技術的に優秀なもの』である点が、その国宝指定理由におけるかなり大きな割合を占めるようだ。

ところで私は上記の文章で、『なぜ瑞龍寺の三つの建造物が国宝に指定されたのか、 その伽藍へ足を踏み入れた誰しもが肌で感じ、納得することができるであろう。』・・・と述べた。  ではその、伽藍に足を踏み入れた誰もが感じるいわば、瑞龍寺の国宝オーラとも言えるものは、一体どの建造物から発せられているのだろうか。
 記者発表で富山県文化課は、こう締めくくった。

『瑞龍寺仏殿、法堂、山門は、それぞれきわめて優れ完成度も高く、 わが国の建築史上特に深い意義が認められる。 また、三者が並ぶ配置構成は、 きわめて均衡が取れた美しい比例を示しており、 わが国の社会・文化に影響を及ぼした建築を知る上で特に深い意義を有している。』・・・と。

そう。 ここでいう、『三者が織り成すきわめて均衡が取れた美しい比例を示した配置構成』こそが、参拝者の誰しもが感じる瑞龍寺の国宝オーラなのである。
 瑞龍寺の境内は、大抵の寺院にあるような木々や池などが無い。 一切の無駄を省いたその厳粛な雰囲気は、 中国の大寺院を彷彿させる。 その広大な寺院空間に、山門、仏殿、法堂が、絶妙な間隔で一直線に建っている配置構成。
 日本中のどこを探しても、こういった配置構成であり、かつ、寺院空間を有した古い寺院など存在しないだろう。
 そういう希少価値も相まって、見る者誰もが感嘆のため息を漏らさずにはいられないのである。

瑞龍寺の国宝は、山門、仏殿、法堂のどれが欠けても成立せず、それらを含めたすべての建造物が存在する、瑞龍寺の寺院空間こそが、国宝だといえるのかもしれない。


初回訪問日&撮影日 2014年11月21日

(※国宝建造物撮影ポイント)

自由に撮影可能


@山門(国宝)


A山門(国宝)


B金剛力士像


C内側から見た山門(国宝)


D仏殿(国宝)

万治2年に建立された山上善右衛門嘉広の最高力作の一つで総欅造りの一重裳階付き建造物である。  屋根は装重量47トンの鉛瓦葺であるが、これは金沢城の石川門にその例をみるだけの珍しいもの。  しかし当初は柿葺きだったという。 内部を土間床とし、天井の構造材の装飾がむき出しである点や、 上層軒組が密に配されている点などは典型的な禅宗様建築である。  本尊の釈迦如来と、普賢菩薩、文殊菩薩の釈迦三尊像のほか、達磨座像、跋駄羅尊者像を安置する。


E法堂(国宝)

明暦年間(1655〜1657)の竣工であり、墨書には明暦元年(1655)の建立とある。  境内最大の建造物であり、総桧造りの入母屋造、銅板葺屋根になっている。 内部は畳敷きで、 方丈建築に書院建築を加味。 横2列、縦3列の6部屋を配した間取りで建坪は186坪ある。  なお、その6部屋の前面には広縁があり、さらにその前面は土間廊下になっている。  こういった建築形式は、曹洞宗建築の特徴なのだという。  二代目藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置する。


F総門(重要文化財)

正面三間の薬医門形式建造物で、正保年間の建立である。


G禅堂(重要文化財)

もともとの建物は延享3年(1746)に焼失、直ちに再建された。  主に坐禅修行をする建物であるが、食事、睡眠もとれる生活空間になっている。


H大茶堂(重要文化財)

創建当初に造られたもので、その存在は全国的に類例が少ない。


I大茶堂内部(重要文化財)

その構造は外壁や軒下を土蔵と同じ大壁とし、内部を土天井とした非常に珍しい防火建造物である。


J高廊下(重要文化財)

法堂と大茶堂を結ぶ


K大庫裏(北回廊の一部としての重要文化財)

調理配膳や寺務運営を行う堂。 漆喰天井で曲線になっており、結露に配慮した造りである。  正面に韋駄天尊像をまつる。


L北回廊(重要文化財)

北回廊には鐘楼、大庫裏がある。


M南西回廊(重要文化財)

、南西回廊の奥には前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟がある。


N南東回廊(重要文化財)

大伽藍を囲む周囲300mの回廊で、北回廊、南東回廊、南西回廊からなる。 規則正しく並んだ柱と格子枠の障子戸が特徴。


O石廟

前田利長、利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠の分骨廟。 県指定文化財に指定されている。


P前田利長公墓所

瑞龍寺の正門を出てやや東北方向、八丁道と呼ばれる道を860メートルほど行くと、 その突き当たりに南面した建てられている。  二代目藩主利長の冥福を祈って三代利常が三十三回忌にあたる正保3年(1646)に建てたものである。


Q前田利長公墓所

基壇は加賀戸室石。 その上にその上に花崗岩笠付墓標をたて、墓頭から平地まで約三八。七七尺である。三重基壇の前面に十二段の石段を設け、石段の参道があり、石の玉垣で囲み、濠をめぐらし、大小数十基の石灯篭が配されている。

アクセス
JR「高岡」駅南口より徒歩約10分

駐車場 有

国宝巡りドライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
自動車か電車、どちらでも問題ない

住所
富山県高岡市関本町35


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瑞龍寺はポイント115番