別府タワー (〒874-0920 大分県別府市北浜3丁目10-2)![]() ![]() 2017年09月28日撮影 別府タワー 高さ90m(展望台60m) 昭和32年(1957年) 全日本タワー協議会加盟タワー 国の登録有形文化財 HOMEに戻る |
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(歴史)別府タワーの完成は昭和32年(1957)5月10日。
もともと別府温泉観光産業大博覧会の目玉施設として建設が構想され、当時の地元財政界人らが設立した
「別府観光開発」が2億8000万円を投じて建造した。
途中資金繰りの影響で工事が遅れ、完成は博覧会に間に合わなかったが、
完成当時は、年間90万人の利用客で賑わう観光スポットになった。
(※)内藤多仲(1886〜1970) 建築構造技術者・建築構造学者「耐震構造の父」と評され、戦後は、 鉄骨構造の電波塔・観光塔の設計を多数手がけ「塔博士」とも呼ばれた。 内藤氏が手がけた塔の中でも、 名古屋テレビ塔(1954年6月)、2代目通天閣(1956年10月)、別府タワー(1957年5月)、 さっぽろテレビ塔(1957年8月)、東京タワー(1958年12月)、博多ポートタワー(1964年10月)の6タワーは、 「タワー6兄弟」と呼ばれ親しまれている。 (タワー訪問日記)この日は、福岡市で、福岡タワーと福岡城を見学した後、JR博多駅から特急ソニック号(大分行き)に乗り込み、
112分かけて、ここ別府市へやって来た。
そこまで私を魅了するこの別府タワーの魅力とは、一体何なのだろうか。
そのお洒落とは程遠い塔のデザインが、
特に私のような40代以上の人々を魅了してやまないのは、一体なぜなのか。
私が幼少期から青春時代までを過ごした昭和という時代には、別府タワーほど巨大なものではないにせよ、
わかりやすく企業名やロゴがデカデカと記された大小様々な看板塔が、街中のあちこちにあった。
JRソニック号がそろそろ別府駅に近づいてきた頃、進行方向向かって左側の窓を眺めていると、
遠くに別府タワーが見えてきた。
確かに別府タワーは、スカイツリーや福岡タワーのように、洗練された都会的なデザインではない。
初回訪問日&撮影日 2017年09月28日
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![]() 南側から見た別府タワー 先ほどの福岡市内での天気が嘘のように晴れ渡り、空にはうろこ雲が。 青空に映えたタワーが美しかった。 |
![]() 近くから見上げた別府タワー 先ほどの福岡タワーとは違って、天気も晴れ渡り写真写りは良好。 やっぱり天気の良さは重要である。 |
![]() 展望室から市街地方面の眺め 展望室には受付でおばちゃんが座っていて、みやげ物が少々販売してて、 レトロな雰囲気のレストランがあるのみ。 ここでも例によって記念メダルを購入。 レストランでは地元の学生のカップルが談笑していた。 |
![]() 展望室から鶴見岳方面の眺め 後方に雲をつきねけて聳えるのは、鶴見岳。 標高1375mの活火山で、山頂へは、 別府ロープウェイが中腹の別府高原駅(標高503m)から山頂の鶴見山上駅(標高1,300m)まで通じており、 10分足らずで登ることができる。 ひときわ目を引く高さであるが、そのすぐ背後西側には、 鶴見岳よりも更に高い由布岳(標高1583mの活火山)があり、同じ大分県内には更に高い、 九重山中岳(標高1791mで九州本土最高峰)がある。 そして更に更に、九州地方の最高峰は、鹿児島県の屋久島にある宮之浦岳(標高1936m)である。 ちなみに、写真手前に写ってるタワーは、ビーコンプラザグローバルタワー(高さ125m展望台100m)。 平成7年 (1995)竣工で、別府タワーよりもはるかに高いタワーなので、 そちらにも行ってみたかったが、この日は帰りの電車に間に合わないということで、パス。 う〜ん。残念。 |
![]() 展望室から市街地方面の眺め 山の谷間にうっすらとアーチ型の橋が見える。 |
![]() 展望室から別府湾方面の眺め 晴れた日には海向こう四国まで見渡せるとのことだが、 この日は晴れているけど肉眼で四国を見ることはできなかった。 |
交通アクセス
(JR九州)日豊本線別府駅下車、徒歩8分 駐車場 近くに有料駐車場あり タワードライブ難易度 非常に易しい(★) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい おすすめアクセス方法 駅から徒歩圏内 住所 〒874-0920 大分県別府市北浜3丁目10-2 |
地図14番 |