美作国金光山長法寺は天台宗比叡山延暦寺の末寺である。 天平7年(735年)行基による草創といわれ、
嘉祥元年(848)第二祖慈覚大師が十一面観世音菩薩を刻み、草堂を結び中興。 末寺ニ十ケ寺になるまでさかえたが、
再三の兵火により焼失。 現在の地へは弘化2年(1845)に快玄和尚が移したと言われている。
この多宝塔は當山創建千百五十年を記念した事業で、平成5年に着工し、平成八年三月に完成する。設計施工は
(株)金剛組である。
(仏塔訪問日記)
この日は友人と青春18きっぷを利用して、大阪の自宅から『姫路城』→『津山城』と巡った後、この『長法寺』に立ち寄る計画を立てた。
まず姫路城を見学した後、「姫路駅」からJR姫新線に乗り「津山駅」に到着し、津山城を見学。
城近くの食堂で、津山名物「ホルモンうどん」を食べたのち、その食堂から
長法寺までカーナビ徒歩モードを頼りに、少し早足で20分程度かけて歩いてみることにしたのである。
当初は正直なところ、この長法寺参拝は100名城巡りのついで程度にしか考えておらず、予定では、その食堂を出て、約20分後に長法寺に到着し、
15分程度見学した後に、「津山口駅」まで10分程度歩けば、帰りの電車に十分間に合うと考えていた。
しかしカーナビが長法寺まで残り200mを示したあたりで、
二人とも驚愕することになる・・・。
たしかに本堂は残り200m程度の場所にあったが、多宝塔はその本堂背後に聳える山の遥か山頂近くに鎮座
していたのである。
多宝塔の場所は、どう考えても本堂から歩いて、容易に到着するような高さではなかった。
その時点で、最寄りの「津山口駅」の発車時刻まで残り30分を切っており、一瞬、多宝塔の場所まで行くのをためらってしまった・・・。
しかし、 「こんな素晴らしい多宝塔を目の前にしておめおめと大阪に帰ってしまっては、仏塔好きを自称し、こんなサイトを
開く資格がない・・・」 などと、その一瞬で考えるやいなや、私たちの脚は自然に、遥か山上の多宝塔へと
続く階段に向かっていた。
本堂から多宝塔まで徒歩10分近く歩いたか・・・、やっとの思いでこの多宝塔がある場所に到着し、塔を間近で見た瞬間、
「帰り電車の到着時刻に、間に合わそうという考え」 など、一瞬で私の思慮の外に弾き飛ばされた・・・。
津山市内を見渡せる高台に堂々と聳える多宝塔。 その素晴らしさは期待を遥か超えたものだった。 近年に建てられた仏塔の中でも
景観という点では、私の中でトップクラスである。
私たちは心行くまでその多宝塔と景観を、様々な角度から撮影した。
ふと時計を見ると、「津山口駅」の電車の発車時刻まで残り9分・・・。
私たちは余韻も覚めぬ状態から一挙に現実に戻り、大急ぎで階段を駆け下り、駅まで走って行った・・・。