日本100名城 071番 福山城(久松城、葦陽城) 広島県福山市日本100名城 071番 福山城(久松城、葦陽城) 国指定史跡、重要文化財2件 写真は天守(昭和41年再建) HOMEに戻る |
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(歴史)元和5年(1619)、関ヶ原の合戦以降、備後国・安芸国の二国を治めていた福島正則が武家諸法度違反で改易され、
それに代わって水野勝成が備後10万石の領主となり、海陸路の要衝地である芦田川のデルタ地帯に、新たな城を築いた。
それが福山城であり、その城下町を福山と名づけたという。
(100名城訪問日記)この日の午前中は、JR「岡山」駅から特急しおかぜに乗り、愛媛県今治市の今治城を見学したのだが、
今治市に着くやいなや、土砂降りの雨になってしまった。
昼過ぎにJR「岡山」駅に戻って、当初は、岡山市内の駅から少し離れた某寺院数カ所に仏塔見学へ行く予定だったのだが、
岡山市内に着いてもその雨は全く止む気配が無く、その計画はキャンセル。
急遽予定を変更して、広島県福山市まであしをのばし、福山城を見学することにした。
しかしやはり、せっかく高い交通費を費やしてここまできたのだから、天守だけ見学して帰るのは勿体無い。
伏見城から移築されたという現存建造物である筋鉄御門や伏見櫓などを、小さな折りたたみ傘をさして見学しているうちに、
足元はびしょ濡れになってしまった。
初回訪問日&撮影日 2015年03月03日
(※百名城スタンプ設置場所)福山城天守閣内 |
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@駅から見た鏡櫓(左)と月見櫓(右) JR山陽本線・山陽新幹線「福山」駅のホームからもよく見える。 ある種、日本100名城の中で最も行きやすい城といえるのではないだろうか。 |
A天守閣 本丸の北側に位置する五重六階地下一階、別に二重三階の付櫓をもつ複合天守である。 一重目の南北面と二重目の東西面は比翼入母屋、その他の角層には千鳥破風や唐破風を設ける。 昭和20年の空襲で焼失し、現在のものは、昭和41年(1966)の福山市制50周年記念事業として外観復元されたものである。 |
B鏡櫓 本丸の東側に位置し、南東隅の月見櫓と塀でつながれていたという。 明治6年の廃城の際に取り壊され、 現在のものは、昭和48年に外観復元されたものである。 |
C月見櫓 もともとの月見櫓は伏見城内にあったものを移建したといわれ、南東隅に築かれ、藩主等の到着を見極める役割を なしていたという。 明治初年に取り壊され、現在のものは昭和41年に天守とともに外観復元されたものである。 |
D御湯殿 もともとの御湯殿は国宝に指定されていたが、昭和20年の空襲により焼失。 現在のものは、 昭和41年に外装、内部ともに復元されたものである。 伏見城内にあった秀吉の居館を移した伏見御殿に付随した建造物で、その一部は石垣上に張り出し、 内部は物見の段と風呂の間とにわかれていたという。 |
E鐘櫓(市指定重要文化財) 本丸西側に位置し、はじめは鐘を吊り、太鼓を懸け、時の鐘と半時(1時間)の太鼓をうっていたといわれる。 その鐘楼部のみが福山市指定重要文化財に指定。 現在の鐘櫓は昭和54年(1979年)に修理・復興されたものであるが、 どこまでが本来の構造か正確にわからなくなっており、建物の大部分は模擬的なものである。 |
F筋鉄御門(重要文化財) 入母屋造、本瓦葺、脇戸付の櫓門である。 福山城本丸の正門であり、福山城築城に際して、 伏見城から移建したものといわれている。 柱の角に筋鉄を施し、扉に数十本の筋鉄をうちつけているために その名が付けられた。 左に渡櫓、右に多聞を連接させたもので、後代の枡形多門の型をとらない初期様式のものである。 |
G伏見櫓(重要文化財) 三重の隅櫓で、本瓦葺。 梁の陰刻によると、伏見城「松ノ丸東やぐら」にあったものを 元和8年(1622)、水野勝成の福山築城に当たって、将軍秀忠が移建させたものである。 伏見城の城郭建築の遺構で、ここまではっきりと分かっているのは珍しく、白壁三重の豪華な姿は、 桃山時代の建築の気風がうかがわれるのだという。 |
交通アクセス
JR山陽本線・山陽新幹線「福山」駅から徒歩約5分 駐車場 有り ドライブ難易度 非常に易しい(★) (★1つ)非常に易しい (★2つ)易しい (★3つ)ふつう (★4つ)難しい (★5つ)非常に難しい おすすめアクセス方法 JR福山駅の目の前なので、鉄道によるアクセスが便利。 住所 〒720-0061 広島県福山市丸之内1−8 |
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