日本100名城 037番 一乗谷城(―) 福井県福井市日本100名城 037番 一乗谷城(―) 国指定特別史跡、国指定特別名勝 写真上は唐門(江戸時代中期頃に再建されたもの) 写真下は発掘整備された朝倉館跡 HOMEに戻る |
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(歴史)一乗谷城とは、戦国大名朝倉氏の館と、城下町、4つの山城を含む縄張りを指す。
(100名城訪問日記)ソフトバンクのCMでもお馴染みになった一乗谷。
過去に朝倉義景に仕え、一乗谷を第二の故郷とした明智光秀であるが、一乗谷の城下町を壊滅させられたことへの怨みが、信長を本能寺で討つという、
大胆な行動へ導いた原因の一つであったとしても、何ら不自然ではないだろう。
初回訪問日&撮影日 2013年06月01日
(※百名城スタンプ設置場所)「復元町並」入場受付 |
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@「復元町並」入場受付付近 入場受付にて100名城スタンプを押印。 |
A復元町並み 当時の武家屋敷、町屋が原寸大で再現されている。 かなり広範囲である。 |
B復元された町屋内部 小規模な建物が細く並んでいた。平面復原地区、城戸の近くもびっしりと町屋が並んでおり、人口密度が相当高かったとされる。 |
C復元された武家屋敷内部 現在、復原町並内に10軒の町屋が復元され、裏庭、井戸、厠なども再現されている。 |
D武家屋敷内部 史料等を参考に、30坪の主殿を中心に門、庭園、蔵、納屋、井戸、厠まですべてが再現されている。 |
E唐門 復元町並み見学後、 朝倉館跡へ向かう。 その入口にこの唐門がある。 |
F唐門 一乗谷朝倉氏遺跡と言えば、真っ先にこの唐門の写真が紹介されるぐらい有名な建造物ではあるが、朝倉氏の遺構ではなく、 のちに建てられていた松雲院の寺門として、朝倉義景の菩提を弔うために作られたと伝わるものである。 現存するものは江戸時代中期の再建。 |
G朝倉館跡 第5代当主朝倉義景が住んだ館の跡で、6,500u程の敷地があり、三方は土塁と濠で囲まれている。 常御殿、主殿、 会所、茶室、花壇のほか、台所、厩、蔵などが整然と配されていたという。 |
H館跡庭園 義景館跡東側山際にあり、力強い滝石組、護岸石組みを持ち、その洗練された石組みは京都との交流が偲ばれるという。 |
I湯殿跡庭園 義景館跡を見下ろす高台にあり、一乗谷で最も古い庭園である。 本来は池の水があるのだが、この日は干上がっていた。 |
J諏訪館跡庭園 諏訪館は義景の妻「小少将」の館で、その庭園は遺跡の中でも最も規模が大きいものである。 |
K朝倉孝景墓(英林塚) 孝景は初めて一乗谷に築城し、繁栄の基礎をつくり上げた人物である。 |
L南陽寺跡 南陽寺は、朝倉一族により創建され、3代貞景が再興したと伝わる尼寺である。 永禄11年(1568)春、5代義景が 足利義昭を招き、観桜の歌会を催したことで知られる。 |
M南陽寺跡庭園 滝添石に挟まれて三段の滝が組まれ、力強い石組みだった。 |
交通アクセス
JR越美北線「一乗谷」駅から徒歩30分。 JR北陸本線「福井」駅から京福バス東郷線で約30分「武家屋敷前」下車すぐ 駐車場 有り ドライブ難易度 非常に易しい(★) (★1つ)非常に易しい (★2つ)易しい (★3つ)ふつう (★4つ)難しい (★5つ)非常に難しい おすすめアクセス方法 電車は本数が少ないので、自動車によるアクセスがおすすめである。 住所 910−2153 福井県福井市城戸ノ内町ほか |
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