日本100名城 047番 伊賀上野城(白鳳城) 三重県伊賀市日本100名城 047番 伊賀上野城(白鳳城) 国指定史跡、市指定文化財1件 写真上は模擬天守 1935年(昭和10年)建造 写真下は高石垣 HOMEに戻る |
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(歴史)天正13年(1585年)、伊賀の国を領した筒井定次が三層の天守を築いた。 慶長13年(1608年)、徳川家康が定次の失政を理由に改易、
藤堂高虎が伊賀・伊勢の城主として伊予今治城から移り、本丸を30mの高石垣で囲み、城を拡張した。 しかし竣工直前の五層天守は慶長17年の
暴風雨で倒壊。 以後建てられることはなかった。
(100名城訪問日記)この天守、詳しくは伊賀文化産業城。 五層天守用の石垣に三層の天守を建てたので石垣と天守が合っていないし、その形状も史実に基づいている
訳ではない。 いわゆる模擬天守である。
しかし城跡全体として見れば、日本で一二を争う高さを誇る高石垣などをはじめとして、いくつかの史跡が残っており、歴史的価値は非常に高い。 藤堂高虎縄張りの城跡を見ることを目的にここへ来るのなら、天守よりもその天守台。 あと、上野公園から外側道路に出て、城西側から堀と、高石垣を見学するのを忘れないようにしたいところである。 訪問日&撮影日 (1回目)2011年08月15日 (2回目)2015年01月16日
(※百名城スタンプ設置場所)大天守1階 |
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@天守(伊賀市有形文化財) 昭和10年(1935)に、もともと高虎が築いた天守台上に建てられた木造の模擬天守である。 川崎克氏が私財をなげうって造った。 |
A鯱 |
B天守 木造で瓦葺き、白漆喰塗籠の層塔型3層3階、高さ23メートルの大天守と、2層2階の小天守が建てられているが、 史実に基づいていない。 五層天守の天守台に、三層天守を建てたため、天守台敷地の半分ほどしか使用していない。 |
C白鳳門 |
D本丸西面の高石垣 藤堂高虎が築かせた高石垣。 隅部は算木積みに積まれ、堀底から石垣上端までは、約30メートルもの高さを誇る。 「打込はぎ」の技法で築かれ、延長距離、三方に折れ曲がり368mもある。 |
E高石垣の上から真下の堀を覗く 目もくらむ高さのこの石垣は、大阪城のものと日本一・二を争うという。 水面のどこから測るかで多少の誤差があるという。 当然柵もしておらず、落ちたら間違いなく死ぬだろう。 |
F堀の外から撮影した高石垣 この石垣の高さを見るには、内堀の外側の道路へ回らなければならない。 高石垣は、伊賀上野城のメインともいえる史跡なので、必ず外側からもみておきたいところ。 |
G俳聖殿(重要文化財) 昭和17年(1942)芭蕉翁生誕300周年を記念して城とともに川崎克氏が建設。 その外観は松尾芭蕉の旅姿を模しているとされており、上層の屋根が笠、下部が顔、下層のひさしは蓑と衣姿、堂は脚部、回廊の柱は杖と脚を表している。 |
交通アクセス
近鉄伊賀線「上野市」駅から徒歩約8分 駐車場 有 100名城巡りドライブ難易度 (★) (★1つ)非常に易しい (★2つ)易しい (★3つ)ふつう (★4つ)難しい (★5つ)非常に難しい おすすめアクセス方法 公共機関でも自動車でも問題ない 住所 三重県伊賀市上野丸之内106 |
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