日本の塔「月」 (〒480-1342 愛知県長久手市茨ケ廻間乙1533-1)


日本の塔「月」


展望塔


サツキとメイの家

2018年02月02日撮影

日本の塔「月」
高さ10m(展望台 無)
平成17年(2005年)

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(歴史)

2005年日本国際博覧会(略称「愛知万博」、愛称「愛・地球博」)は、2005年3月25日から同年9月25日まで、長久手会場(愛知県愛知郡長久手町=現:長久手市と、豊田市にまたがる場所)および瀬戸会場(同県瀬戸市)の2会場で開催された21世紀最初の国際博覧会であり、国内では1970年に開催された大阪万博以来の2回目の総合的なテーマを取り扱う大規模な国際博覧会だった。

同博覧会開催当時に建てられた日本の塔「月」は、人形作家、夢童 由里子 (1944年3月14日 - 2015年3月21日)作による塔である。  万博開催中に建てられた数多くの建造物は、そのほとんどが開催期間終了とともに取り壊されたが、 日本の塔「月」は、愛地球博開催当時の数少ない現存建造物の一つである。
 それはステンレスと黒大理石を組み合わせた高さ10メートルの塔であり、 塔全体の形は三日月を基本に、愛知の英頭文字の「A」を表し、自然と人間との共生をテーマとする。  自然の象徴として風神・雷神像、小窓には、人間の営みを表す3体の童子たちを置き、 11時から1時間毎に、最終15時まで雅楽師/東儀秀樹氏の作曲・演奏による、オリジナル曲に合わせ、5分30秒の"演技"を披露する。


(タワー訪問日記)

この日は全日本タワー協議会加盟タワーのうち、セントラルブロックの三つのタワー、 (ツインアーチ138、名古屋テレビ塔、東山スカイタワー)を巡るために、 電車に乗って愛知県までやって来たのだが、 すべて見学し終えた時に時間があまってしまった。
 だから、「東山公園」駅から名古屋地下鉄東山線(藤が丘行き)に乗り込み、 藤が丘駅でリニモ(八草行き)に乗り換え、愛地球博記念公園駅へやってきた。
 2005年に開催された愛地球博の会場跡地が、今どうなっているのか是非見てみたかったのと、 現地で販売されているモリゾーとキッコロの記念メダル(3種)を手に入れるのが目的である。
 ただし、当サイトはタワーを始め、仏塔や城郭、国宝建築をテーマにしているので、 それらのどれかが会場跡地に無い限りは、サイト内で紹介することはできない。
 そこで、事前にネットで調べてみた結果、会場跡地には、 日本の塔「月」という小さなタワー(というよりモニュメント)があるということを知った。  ということで、その日本の塔「月」をメインにして、愛地球博跡地へ行った時のことを、 このサイトで紹介することになったのである。

東部丘陵線(リニモ)の「愛・地球博記念公園駅」で下車した私は、まずは広大な愛・地球博記念公園内の 日本の塔「月」や、記念メダル販売場所、サツキとメイの家などのだいたいの位置を把握するために、総合案内所へ行き、 園内マップをていに入れることにした。  ただし、駅を降りてから総合案内所へ行くまでに出会った観光客の数はゼロ。  平日で午後4時を過ぎていたこともあったのだろうが、広い園内はあまりにも閑散としており、 これがあの多くの人々で賑わっていた愛・地球博の会場跡地かと疑うほどだった。

さて、この日の愛・地球博記念公園散策の続きに関しては、下の各画像で述べるとして、 ここからは、2005年、愛・地球博開催当時の自分自身の出来事について記していきたいと思う。
 2005年といえば、私は33歳。 既に現職に就いており、周囲の同年代がチラホラ結婚し始めていたが、 自身は独身貴族真っ只中。  結婚願望は人並みにあったが、相手がおらず、見えない将来の不安に押しつぶされそうになる日々だった。  しかし、同性の友人はそれなりに多く、コンパや社会人サークル、バスツアーなどといったイベントには、 友人同士で休みのたびに参加し、出合いを求めていた。
 そんな中で参加したのが、『2005年愛・地球博バスツアー』だった。  このツアーでは、大阪の梅田駅からバスで会場まで連れて行ってくれて、会場ではすべて自由行動となる。  そして、決められた時間に駐車場まで戻ってきて、またバスで大阪まで帰るのである。
 最終的に私はこのバスツアーに、前職で同僚だった友人と2回も参加したのだが、正直なところ、ちょっとした出合いも求めてはいた。  しかし、参加者は家族連れや老夫婦などが多く、若い女性もいるにはいたが、基本は現地で自由行動なので、 出合いなど皆無。
 仕方がないので、せっかく金を払って博覧会ツアーに参加したわけだし、野郎二人ではあるが、 博覧会をとことんまで楽しむ方向へシフトした。
 ただし、愛・地球博ツアーに参加したのは2回とも、8月のうだるような猛暑日。  会場内の人の多さはとてつもなく、国別のパビリオンはそれなりに見学できたものの、 企業パビリオンに至っては、待ち時間が3〜4時間はざらで、バスツアーの決められた自由時間内ではとてもじゃないが、 一日にいくつも入場できるものではなかった。
 そんな中で3時間以上並んでやっと入場できたのが、三井・東芝館だった。
 この三井・東芝館では、『スペースチャイルドアドベンチャー「グランオデッセイ」』という映画を上映していた。
 この映画は普通の映画とは違い、なんと、観客である私たち自身が出演者となって活躍できる世界初の映像システム 『フューチャーキャスト』を採用していた。  観客たちはあらかじめ、顔認証カメラで顔写真を撮ってから座席に座る。
 するとスクリーンでは、観覧席に座っている観客たち自身の顔が、まるでアイコラのように はめ込まれた登場人物たちが大活躍する壮大な物語が映し出されるのである。
 私も友人も、自分がどのような役柄で登場するのかワクワクしながらスクリーンを見ていた。
 以下で、そのストーリーの述べていくが、 記憶も曖昧で、多分内容が大幅に間違っていると思うが、なにぶん、13年も前に見た映画なので、その点はご容赦いただきたい。

物語の舞台は、遠い未来。 宇宙に移住した人類の子孫たちが巨大宇宙船に乗り、 いまだ見たことのない地球を目指す冒険に出発する・・・。
 まず登場したのが、巨大宇宙船船長役の加山雄三。  宇宙関連の作品は初出演というベテラン俳優、加山雄三が、本人の声で渋い演技を見せる。  この加山雄三と、途中で登場する謎の少女役のオーデションで選ばれた12歳の奥村夏未だけは、 固定の配役で登場する。

物語が進みまず登場したのが、小さな女の子・・・。
 女の子は、宇宙船のある異変に気づく。
 「大変!!」と、幼い少女の声で叫ぶが、その顔はどう見ても80歳ぐらいの婆さんだった。
 『フューチャーキャスト』のコンピューターはあまり賢くないのだろうか?
 観客の中には女児も結構いたと思うが、なぜあえて、あの婆さんの顔が選ばれたのだろうか?
 体は子供だが、顔だけ80歳ぐらいの婆さんのキャラクターが子供のような声で話す姿は、あまりにもシュールでグロテスクである。
 その後も宇宙船に乗り込むモブキャラたちが次々に登場するが、なかなか私も友人も出てこない。
 しばらくすると、宇宙船は何かのトラブルに巻き込まれ、巨大宇宙生物(?)の侵入を許してしまう。
 逃げ惑う宇宙船クルーのモブキャラたち・・・。
 まだ私も友人もでてこない。
 なかばパニック状態の船内で、ついに事態を収拾するリーダーが現れる。
 「みんな落ち着けー!!」
 銃を持って巨大宇宙生物の一部を撃破した若者たちのリーダー・・・。
 その顔は、まぎれもなく私の横に座る友人だった。
 「みんな!!行くぞーーー!!」
 勇敢なリーダー(友人)の呼びかけに、「おーー!!!」と、 たくさんの若者たちが呼応する。
 普段の友人の声とは似ても似つかないダンディーなボイスに違和感を感じつつ、 その他の若者たちを見回してもやっぱり私の顔は無い・・・。
 激戦の末、若者たちは宇宙生物を倒して大歓声。
 「やったぞーーー!!!」「うおーーー!!!」
 くどいようだがそこでもやっぱり私の顔は無い。

そういった幾多の困難を乗り越え、ついに巨大宇宙船は、母なる惑星「地球」に到達する。
 そこでナレーションがはいり、
 『人類の子孫たち、つまりは、観覧客であるあなたたちは、かけがえのない地球の大切さを実感したのです・・・。』
 めでたしめでたし・・・・・・、いや、じゃなくて私の顔は!?
 心の中でノリツッコミするも、結局最後まで私の顔は確認できなかった。 
 ちなみに『フューチャーキャスト』は、観覧者全員が登場するシステムのはずである。  ということは大勢のモブキャラたちの後ろの方にいる、エキストラのようなキャラとして登場していたのだろうか?  それとも、私の顔の存在感が薄すぎて、登場しているのに気づかなかったのか?  なんにせよ、その存在を確認できなかった以上は、出てないのと変わりがない。
 これならまだ、子供の顔に無理やりアイコラされたどこかの婆さんの方がずっとマシだ。
 落ち込む私とは反対に、友人は自分が大活躍する映画を見ることができて大満足。
 「俺、加山雄三の次に目立っとったなあ〜。」
 その言葉は決して大げさではなく、本当の映画ならキムタクあたりが配役されそうな勇敢でカッコイイ若者の役だった。
 「それはそれとして、お前はどこで登場したん?」と、私に向かって若干半笑いで尋ねてきた。
 そしてこのことは博覧会終了後も、ことあるごとに弄られるネタになってしまった。

そんな友人とも、今ではすっかり疎遠になってしまった。
 最後にその友人と会ったのは、それから3年後の2008年。 二人とも36歳になっていた。
 その年、友人は、グラビアイドルも顔負けの、水着がとてもよく似合う美人の彼女と結婚することになった。
 私はその彼女と実際に会ったことは無いが、 砂浜で水着姿でグラビアアイドルさながらにポージングする彼女の写メを見せてもらったから、本当の話だろうと思う。
 私は、彼女が友人と二人一緒に写った写メも見せてもらいたかったのだが、友人いわく、キスをしたり色々と過激なのばかりなので、 見せられないとのことだった。
 更に、できちゃった婚であり、結婚を機に兵庫県の西宮市に新居を建てて、 引っ越すことになったとのことである。
 ちなみに関西において、西宮市に一戸建ての家を建てることは、当時の若夫婦たちにとって、 ある種のステータスになっていた。
 つまり、その友人は、美人な嫁さんと子供、西宮市の一戸建てという、 関西の独身男の多くが欲しがるものすべてを、一挙に得ることができたわけである。
 ある意味、バーチャルだけでなく、現実世界でも勝ち組になったといえるだろう。

独身二人組でつるんで遊んでた友人もついに結婚か・・・と、感慨深かったが、素直にお祝いしたかったので、 後日、新しい住所とか聞こうと友人の携帯に電話をすると、なんと全く連絡が取れなくなっていた。
 その後、向こうからもこちらに一切連絡が無く、結局、そのまま音信不通になってしまったのである。


自身の独身時代を思い起こしてみると、 見えない将来への不安に押しつぶされそうになりながらも、必死で這い上がろうとしていた。
 一見するとそれはある種の苦行のだったようにも思えるが、今にして思えば、決してそのような辛いものではなかった。
 逆の言い方をすれば、将来への希望に胸を膨らませて、 毎日をワクワクしながらすごしていたとも言える。

hideの『ROCKET DIVE』の歌詞
「何にもないって事 そりゃあ なんでもアリって事  君の行きたい場所へ何処でも行ける」

という一文が示すとおり、将来が見えないこそ、まさに無数の将来への道が広がっていたのである。
 まさに『フューチャーキャスト』のように。


話は戻るが、その友人と連絡が取れなくなってからほどなくして、私も結婚した。
 西宮市に一戸建てを建てることはできていないが、子供もできてそれなりに幸せに暮らしている。

あの友人は今でも西宮市のマイホームで家族と幸せに暮らしているのだろうか?
 愛・地球博記念公園に来た私は、博覧会開催当時の独身時代のことを思い出し、いつまでも感慨に耽っていた。


初回訪問日&撮影日 2018年02月02日


@モリゾーとキッコロの植木作品(総合案内所前)

総合案内所に入ると、二人いた係員の人たちは一斉にこちらを見つめ、「いらっしゃいませ」と大きな声で言った。  案内所内は、モリゾーとキッコロ関連のグッズなども販売していて、何かいいものはないか眺めていたのだが、 係員の人たちの目線が突き刺さっている気がしたので、園内マップを取って、早々に案内所を後にした。  植木のキッコロの顔は潰れてた。


Aモリゾーとキッコロの植木作品(はす池前)

案内所からまっすぐ南へ行くと、巨大エレベーターがあったので下に降り、 まっすぐ行くと、ここにもモリゾーとキッコロの植木作品が。 こちらのキッコロの顔は潰れたなかった。  さらに進んで行くが、アイススケート場や屋内プールといった博覧会終了後にできた施設がある程度で、 退屈な風景が続く。、 ほぼ何も無い。


B西口休憩所

駅から1kmぐらい歩いただろうか。 やっと第一の目的地である西口休憩所に到着した。  ここでは記念メダルの自動販売機の他、ちょっとした関連グッズも売っている


C記念メダル販売機

西口休憩所に入ると、早速記念メダル販売機があった。 博覧会開催当時は、記念メダルなど全く興味がなかったので購入していない。  それから13年の月日が流れて、まさか手に入るとは思っていなかった。 ただし、当時の記念メダルと同じものかどうかは不明。


D日本の塔「月」

西駐車場近くにある。 記念メダルがある西口休憩所も西駐車場近くにあり、 西駐車場からサツキとメイの家(展望塔)まで行けば、愛・地球博記念公園駅から歩く距離の、2分の1以下で済む。  今回は電車できたから仕方がないが、ここ愛・地球博記念公園に関しては、誰がなんと言おうと、 電車よりも車で来る方が、断然早くておすすめだ。


E展望塔

サイクリングコースの途中にある。 この展望塔は、サツキとメイの家を眺めるための展望塔である。


F展望塔

上ってみたが、サツキとメイの家がよく見える以外は、特に何もない。


Gサツキとメイの家

宮崎駿監督の映画『となりのトトロ』(1988年公開)の主人公、サツキとメイが暮らす草壁家を森の中に再現。  昭和初期の建築手法を用い、エイジング(経年変化加工)を施し、家具や調度品等も可能な限りリアルに再現されている。  ここも日本の塔「月」同様、数少ない博覧会開催当時の現存建造物の一つである。


Hサツキとメイの家

愛・地球博記念公園は、その広大な面積のほとんどを広場や森、池などで占められる。  正直なところ観光できるのはこのサツキとメイの家ぐらい。 ここは観光地というよりも、 地元の人々がサイクリングやウォーキングを楽しむ場所と言えるだろう。




I記念メダル3種

交通アクセス
東部丘陵線(リニモ)「愛・地球博記念公園駅」下車、徒歩約15分

駐車場 有

タワードライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法

自動車の場合、日本の塔「月」は西駐車場のすぐ近くである。

住所
〒480-1342 愛知県長久手市茨ケ廻間乙1533-1

地図21番

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