日本100名城 035番 金沢城(―) 石川県金沢市


石川門 天明8年(1788)に再建 (重要文化財)


三十間長屋 安政5年(1858)に再建 (重要文化財)


(左から)橋爪一の門、同門続櫓、五十間長屋、菱櫓 すべて平成13年に復元


菱櫓(平成13年に復元)

日本100名城 035番
金沢城
別名(―)
文化財史跡区分(―)

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(歴史)

金沢城は天正8年(1580年)、加賀一向一揆の拠点であった金沢御堂を織田信長軍の佐久間盛政が陥落させ、そこに城を築いたことに 始まる。 天正11年(1583年)、前田利家が加賀に入封して加賀支配の拠点とすべく近世城郭へ改修した。 基本的な縄張を行ったのは キリシタン大名の高山右近といわれる。 天守は慶長7年(1602年)の落雷により焼失したが、 再建されず、代わりに三階櫓が建てられ天守の代わりとした。 しかし三階櫓も宝暦9年(1759)の火災で焼失。  この火災で、三十間長屋などを除くほとんどの建物も失われたが、その後の整備で現存する石川門が天明8年(1788)に再建された。
 その後、文化5年(1808)には二の丸御殿より出火し、菱櫓等が焼失したが、その翌年文化6年(1809)には、 二の丸御殿上棟式が行われ、橋爪門造営成り、五十間長屋が完成。 菱櫓・楽屋多門造営が行われ、 さらにその翌年文化7年(1810)に、二の丸御殿が成る。
 安政5年(1858)には、現存の本丸三十間長屋が、宝暦の大火(1759)以来、100近く経って再建された。
 明治14年(1881)には二の丸御殿、橋爪門、五十間長屋等が焼失。
 平成13年(2001)に、菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓が、従来工法により、文化6年(1809)に再建された形に 復元された。


(100名城訪問日記)

この日の散策コース
 瑞龍寺(国宝・山門、仏殿、法堂など)→前田利長公墓所→高岡城跡(日本100名城)→高岡大仏→金沢城(日本100名城)

感想
 平成27年3月14日の北陸新幹線開通で賑わう金沢市において、兼六園とここ金沢城は、観光のメインといえるのではないだろうか。
 特に兼六園や金沢駅構内のショッピングセンターなどでは従来にないほどの人波だと聞く。
 ただし私が来たのは、新幹線が開通する4ヶ月前の、平成26年11月21日だったのでそういった人波は全くなく、快適に金沢市内観光ができた。

この日の行程は、JR「新大阪」駅からJRサンダーバード号に乗って、乗り換え無しで富山県のJR「高岡」駅に到着、高岡市内を観光し、その帰りに JR「金沢」駅に立ち寄って、金沢市内を観光するといったものだった。
 北陸新幹線開業は、一見すると、私のように関西に住むものにとっては全く関係ないように思えるが、 実は新幹線開業にともない、新幹線と重複する金沢駅 - 富山駅・魚津駅間は廃止になったので、仮に今回の私のように 高岡市など、富山方面へ向かう際には、以前ならサンダーバード一本で快適に行けていたのが、わざわざ金沢駅で降りて、新幹線、もしくは、在来線などに乗り換えなくてはならなくなったのである。
 だから、関西から金沢駅以東の富山方面へ向かう人か、あるいは、富山県から関西方面へ向かう人にとっては、 正直なところ、かなりメンドくさくなってしまったといえるだろう。
 まあ、鉄道にせよ、道路にせよ、何事も人口が多い首都圏からの利便性が優先で造られるのが常であるから、今更、不満など言うつもりはないが、何にせよ北陸新幹線開業前に行っておいてよかったと思う。

さて、金沢城についてだが、実は兼六園とともに、今回が初めてではなくて、5年前にも一度観光したことがあったので、この日は私にとっては二度目の訪問である。  5年前に初めて金沢城を見学した時の印象は、五十間長屋の資料館など、とにかくピカピカで、全体的に『新しく再建された城』であり、 『天守閣が無い城』だというぐらいの印象しかなかった。
 というのも5年前当時の私は、まだ日本100名城巡りもしておらず、城に興味もなかったので、 『城』=『天守閣』という単純なイメージしか持っていなかったのである。
 あれから5年、改めて金沢城を見学してみて、いかに当時の私が無知であったか思い知らされる結果となった。
 前回はスルーしてしまっていた石川門や三十間長屋などといった、現存建造物の数々や、城内の至ところに残る様々な技法で石積みされた石垣群などを、 今回は時間をかけてくまなく見学し、それらの現存レベルの高さに驚かされた。
 天守が存在してなくても金沢城の現存レベルは、間違いなくAクラスである。


初回訪問日 2009年10月29日 2回目訪問日 2014年11月21日

(※百名城スタンプ設置場所)
二の丸案内所(9:00〜16:30)、石川門入り口案内所

@金沢城、兼六園周辺の土産物店

兼六園と金沢城の近くは土産物店が立ち並び、まだ北陸新幹線が開通していなかったこの日でも、多くの人々で賑わっていた。


A石川門(重要文化財)

天明8年(1788)に再建されたもので、昭和10年(1935年)に、表門、表門北方太鼓塀、表門南方太鼓塀、櫓門、続櫓、櫓、附属左方太鼓塀、附属右方太鼓塀の8棟が旧国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定された。


B石川門石垣

この石垣は、左右で積み方が違っており、右側は「切り込みハギ」、左側は「打ち込みハギ」の技法である。  このように同じ場所で異なった積み方をした例は珍しく、明和2年(1765)の改修時のものと考えられている。


C河北門

河北門は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する三の丸の正面であり、 石川門、橋爪門と共に、「金沢城三御門」と呼ばれる。 宝暦の大火(1759)で焼失後、安永元年(1772)に再建。  明治15年に再び無くなったが、平成22年に復元再建された。


D石川門櫓(重要文化財)

石川門を構成する8棟の建造物の一つ。


E石川門櫓門(重要文化財)

石川門を構成する8棟の建造物の一つであり、 現在の金沢城においては、正門的位置づけである。


F内堀と左は太鼓塀、奥は橋爪門続櫓

菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、日本古来の伝統工法により、文化6年(1809)に再建された形に復元された。  内部は金沢城の様々な資料が展示されている。


G東の丸北面石垣

城内で最も古い技法が用いられた石垣で、自然石や粗割りしただけの石を緩い勾配で積み上げた「野面積み」になっている。


H鶴丸倉庫(重要文化財)

金沢城本丸の北側にあり、嘉永元年(1848)に建築された。  大型土蔵で、鶴丸倉庫とも呼ばれている。土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺を特徴とし、もとは武具蔵として建てられ、加賀藩大工山本勝左衛門が普請を手がけた。


I鶴丸倉庫(重要文化財)

桁行21.8m、梁間14.6m、二階建ての巨大な建物である。


J戌亥櫓石垣

これは、「打ち込みハギ」の積み方をしている石垣。 石の隙間に平らな石をはめ込み、「切り込みハギ」 のように見せる技法が用いられる。


K三十間長屋(重要文化財)

本丸に安政5年(1858)に再建された長屋であり、金沢城内で現存する唯一の長屋建築である。  幅3間、長さ26.5間(約50m)余りの2階建て多聞櫓で、海鼠壁、唐破風石落とし、鉛瓦葺の屋根を特徴とする。


L鉄門石垣

鉄門の創建は明らかでないが、寛永の大火(1631)以降、二の丸から本丸に入る正門になった。  鉄板を貼った扉がつけられていたことからこの名がついたという。  石垣の技法は、「切り込みハギ」。


M丘からの眺め

現存建造物や石垣に加え、史実に基づいて復元された建造物群は見事の一言である。

交通アクセス

JR北陸本線「金沢」駅から北鉄バスで約15分「兼六園下」下車、徒歩約5分

駐車場 周辺に有料駐車場が数か所有

100名城巡りドライブ難易度 (★★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
公共機関でも自動車でも問題ない

住所
石川県金沢市丸の内

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