日本100名城 044番 名古屋城(楊柳城、柳が城、亀尾城、金鯱城など) 愛知県


2018年02月02日撮影分


2018年02月02日撮影分


2012年03月04日撮影分

日本100名城 044番
名古屋城(金鯱城など)
国指定特別史跡、国指定史跡、重要文化財5件
天守 1959年 昭和34年再建

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(歴史)

名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために 天下普請によって築城したとされる。以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用された。
 明治になって取り壊されそうになるが、ドイツ公使の働きかけなどにより保存されることになる。 しかし第二次大戦で、 天守、小天守、御殿が焼失。 現在の天守、小天守は、昭和34年(1959年)に、鉄筋コンクリート造りで再建されたものである。


(100名城訪問日記 1回目 2012年03月04日分)

この日は青春18きっぷを使用しまず「岡崎城」へ行ったのだが、そこからこの「名古屋城」へ向かおうとしたら、 人身事故の影響でJRが止まっていた。 仕方がないから実費で名鉄に乗り換えて向かってる途中に、天気は大雨に。
 青春18きっぷ1回分を無理やり消費するために、半ば強引に連れてきた城に興味のない友人も、 人身事故の影響で交通費が余分にかかるは、土砂降りの雨の中での城見学になるはで、少し不機嫌な表情になっていたが、 私はそんなこと全くお構いなしに名古屋城をくまなく見学した。
 ただし、城内あちこちで工事が行われており、見れない場所も 結構あったので、工事が終了したらまた来るかもしれない。

元の名古屋城天守は、第二次大戦の空襲で焼失したのだが、明治政府の廃城令でも破壊されそうになった歴史を持つ。
 ドイツの行使の働きかけなどによりそれは免れたということであるが、海外の人に日本の伝統文化建造物の破壊を救われるなんて、 明治政府のおエライ方の蛮人ぶりには、つくづく呆れ果てる。

(100名城訪問日記 2回目 2018年02月02日分)

第1回目の名古屋城訪問から、実に6年。 第1回目の天候は土砂降りの雨で、早々に受付で100名城スタンプを押して、 天守に上っただけで終わってしまっていたので、 今回、愛知県内のタワー巡りをしたついでに再び立ち寄ってみることにした。
 前回見学できなかった西南隅櫓や西北隅櫓といった重要文化財建造物を写真に撮ることと、 記念メダルの購入という目的は果たすことができたが、重要文化財建造物の中で唯一、二之丸大手二之門だけは、 工事中だったためちゃんと見学することができずに終わった。
 しかし何にせよ、私自身の名古屋城でのやるべき目標はすべて達成できたといえるかもしれない。

それにしても上記の6年前に記した日記を見返してみると、 仮にも学校教育で、『江戸幕府という旧い時代を打破し、明治維新で日本を欧米列強に肩を並べるほどの大国へと導いた・・・』 と、洗脳・・・、もとい、 教育されてきた明治政府政治家たちのことを、『蛮人』と言い切ってしまうなんて、 我ながら何とも物騒な考えをしていたものだと思う。
 こんな寂れた個人サイトで、得体の知れない男が、一人で勝手にのたまっている程度なら全く問題ないが、 仮に私が有名人だったとして、このような内容の文章をtwitterなどにあげようものなら、 主に薩長土肥藩士ファンを中心に、大炎上すること間違いなしだろう。

あれから6年。 私にも少しは 明治維新の田舎藩士上がりの政治家たちのことを敬う気持ちが芽生えたのだろうか。
 答えは否。 様々な文献を読みあさるにつれ、当時よりもさらに明治政府のことが大嫌いになっていった。

薩長土肥を中心とした下級藩士たちが、幕末と、明治政府樹立後に犯した鬼畜の如き所業の数々は、枚挙に暇がなく、 はっきり言って、好きになる要素は何一つ見つからなかったのだ。
 現存していれば重文・国宝クラスになっていたであったであろう貴重な仏教建築を 数え切れないぐらいに破壊した『廃仏毀釈』を生み出した『神仏分離令』という愚策に関しては、 このサイトで何度も述べてきたとおり。
 幕末には、幕府や、佐幕派諸藩などを挑発するために、京都や江戸などで、強奪、放火、強姦、強殺といった、 蛮行の限りを尽くし、中でも長州藩に至っては、孝明天皇を拉致しようと企て、 『池田屋事変』で新撰組に阻止されるも、いわゆる『禁門の変』においては、 こともあろうか、天皇のいる御所へ鉄砲や大砲を発泡して攻め入るという、日本史史上、 誰もやったことがない暴挙にでたのである。
 本来ならばその時点で『朝敵』として、どんな手段を取ってでも殲滅されなければならなかったはずの長州藩が、 最終的には薩摩藩などと手を組んで勝利し、『勝てば官軍』などと訳がわからないことを言って、 明治政府の主要メンバーを構成するに至ったのだ。

そのように、日本人の誇りとされてきた天皇に対して、考えられない暴挙を行った 長州藩を含めた維新志士たちのことを、学校教育では、いまだに英雄として教育する。
 はたしてその理由は何なのか?

学校教師=日教組=サヨクと考えると合点がいくが、物事はそう単純じゃないのかもしれない。


初回訪問日&撮影日 2012年03月04日
二回目 2018年02月02日

(※百名城スタンプ設置場所)
正門改札所、東門改札所

東南隅櫓(重要文化財)2012年3月4日撮影分


天守と小天守 2012年3月4日撮影分

東南隅櫓(重要文化財) 2012年3月4日撮影


東南隅櫓(重要文化財) 2018年02月02日撮影

本丸表二之門(重要文化財) 2012年3月4日撮影


本丸表二之門(重要文化財) 2018年02月02日撮影


本丸表二之門(重要文化財) 2018年02月02日撮影


旧二之丸東二之門(重要文化財)
2018年02月02日撮影


旧二之丸東二之門(重要文化財)
2018年02月02日撮影


清正石 2018年02月02日撮影


西南隅櫓(重要文化財)
2018年02月02日撮影

西北隅櫓(重要文化財)
2018年02月02日撮影

乃木倉庫(登録有形文化財)
2018年02月02日撮影

二之丸大手二之門(重要文化財)
2018年02月02日撮影

天守 2018年02月02日撮影

本丸御殿 2018年02月02日撮影

天守内部最上階 2018年02月02日撮影

天守展望台から見たJR名古屋駅方面
2018年02月02日撮影


記念メダル(上はノーマルタイプ、下はミッキー)

小判型記念メダル
交通アクセス

市営地下鉄名城線「市役所駅」かた徒歩5分

駐車場 有

100名城巡りドライブ難易度 (★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
どのアクセス方法でも問題ない

住所
愛知県名古屋市中区本丸1−1

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