太陽の塔 (大阪府吹田市千里万博公園1-1)


2011年11月26日撮影


太陽の塔
最長高70m
昭和45年(1970年)

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(歴史)

太陽の塔は、芸術家岡本太郎がデザインし、 昭和45年(1970)に開催された日本万国博覧会(大阪府吹田市)の会場に建造された塔である。  塔の高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m。  内部は空洞になっていて、「生命の樹」と呼ばれる巨大モニュメントが中心に位置している。 万博開催当時はパビリオンのひとつとして内部に入ることができたが、 現在は閉鎖中である。


(タワー訪問日記)

万博記念公園へは、自宅から近いこともあって何度も遊びに行ったことがあるが、 昭和45年に開催された日本万国博覧会は、私が生まれる前だったので行っていない。  だから私のような万博後に生まれた者にとって、当時の万博がどれだけすごかったかを知るには、 行ったことがある人の話をきくか、 テレビ番組の懐かしの映像等で、三波春夫の歌声に乗せて映し出される当時の万博会場の様子を見て想像するより他はない。

日本万国博覧会開催当時(昭和45年)の日本は、高度経済成長期真っ只中で、人々は万博会場で紹介される最先端技術の数々に驚愕し、歓喜した。
 そして、まだ見ぬ近未来日本の更なる発展を確信し、夢と希望をその胸に抱きながら日々を生きていた。
 太陽の塔は、そんな夢と希望に満ち溢れた万国博覧会のシンボル的存在であり、ひいては、 高度経済成長期そのものの象徴の一つであったともいえるだろう。

そういった人々の夢と希望は、バブル時代まで一気に膨れ上がり、その崩壊とともに一気にはじけ飛ぶことになる。
 日本の安定成長期は終焉の時を迎え、その後1991年からはいわゆる、「失われた20年」という時代に突入。
 「失われた20年」の終りとされる2011年以降も日本の経済低迷の状態は変化しておらず、 高齢化、人口減少なども手伝って、依然、その回復の兆しは見えてこない。

現在、大阪府は、2025年の万博誘致に向けて、フランスのパリと誘致競争を繰り広げているという。
 大阪府のその2025年万博誘致が成功するか否かはわからないが、仮にその万博が大阪府に誘致されたとしても、 はたして、昭和45年に開催された日本万国博覧会のように、人々に夢と希望を与えられる博覧会となり得るのだろうか?
 そして、かつてのパリ博覧会におけるエッフェル塔や、日本万国博覧会における太陽の塔のように、 夢と希望に満ち溢れた、時代そのものを象徴するモニュメントが登場するのだろうか?
 失われた20年から抜け出せていない現在の日本では、そういった希望の未来を想像する余地すらない。


初回訪問日&撮影日 2011年11月26日、2回目訪問日 2017年03月12日


太陽の塔
2011年11月26日撮影


太陽の塔
2011年11月26日撮影


万博おもしろ自転車広場から見た大阪ホイール
2017年3月12日撮影

エキスポシティ内にある日本最大の観覧車。 高さ123m。


ソラード展望タワー
2017年3月12日撮影

万博記念公園内にあるソラード(空中観察路)最後の場所にある展望タワー。  高さ19mで5層になっている。

太陽の塔への交通アクセス
大阪モノレール「万博記念公園」駅下車、徒歩3分

駐車場 有

タワードライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法

自動車かモノレール
住所
〒565-0826 大阪府吹田市千里万博公園1-1

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