国宝 円覚寺 舎利殿 (神奈川県鎌倉市)











円覚寺
舎利殿
国宝
室町時代中期

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(歴史)

円覚寺は、蒙古襲来で戦没した多くの霊を弔うために、弘安5年(1282)に創建された。  北条時宗開基、開山は宋から来朝した高僧無学祖元(仏光国師)である。  その後円覚寺は、何度か大火に遭うなどして衰退したこともあったが、 江戸時代末期に誠拙和尚が伽藍を復興し、現在の円覚寺の基礎を固めた。

舎利殿はもともとは鎌倉尼五山第一位の太平寺の仏殿だったものを移築したと考えられ、小ぶりで繊細な意匠である。  移築前にあった仏殿はもっと巨大な建物だったという。
 太平寺から移築されたという現在の舎利殿は、桁行三間、梁間三間、一重裳階付、入母屋造、柿葺で、 室町時代中期の15世紀前半に建てられたものと考えられる。  正福寺地蔵堂とともに、典型的な禅宗様建築として知られ、 詰組の組物や屋根を支える尾垂木をそのまま内部に見せ、 細かな構造材が扇垂木とともに中央に組み上がるその意匠は禅宗建築そのものだが、最上部の正方形の鏡天井は、 中国の禅宗建築にはなかったらしい。
 源実朝が宋の能仁寺から請来した仏牙舎利を奉安する堂宇。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日は11月3日文化の日。
 円覚寺では例年、11月3日前後は、宝物風入の行事が行われる時期であり、 それに合わせて普段は非公開である国宝建築・舎利殿が特別公開される時期でもあった。
 ネットで調べると、今年も舎利殿の特別公開は行われており、 約1ヶ月前にそのことを知った私は、是が非でもこの機会に参拝しておきたいと思い、 あらかじめこの日の仕事を非番日に設定しておいた。

そして当日。 朝から晴天で、絶好の行楽日和だったので、予定通り円覚寺参拝を決行することにした。
 まずは新幹線に乗り、JR「新横浜」駅まで行き、そこで在来線に乗り換え、「北鎌倉」駅までやってきた。
 電車を下りた私はまず、その人の多さに驚いた。
 円覚寺の最寄駅である「北鎌倉」駅では、ホームから円覚寺に向けて歩いていく人々であふれんばかりの混雑状態。  その人々の大多数は、円覚寺舎利殿特別公開を目当てに来たようである。
 私はカメラをぶら下げて境内の一番奥、舎利殿の方へ歩いていくと、山門の手前と、仏殿の近く、方丈の場所で、 3度も写真を撮ってくれませんかと頼まれた。 3組とも年配の女性のグループだったが、 一度の参拝で3度も写真撮影を頼まれたのは始めてである。
 あらためてこの日の参拝客の多さを実感する形になったが、 とにもかくにも舎利殿特別公開場所へ行き、拝観料を支払った。
 すると、拝観者全員に円覚寺舎利殿とカエルの絵が描かれたステッカーを配っており、 なかなか得した気分だった。  こういう国宝建築限定グッズは他の寺院でもどんどんサービスしてほしいところだ。  気が向いたらクルマの後部にでも貼ろうと思う。

いよいよ普段非公開の場所に入ると、奥の方に正続院唐門があり、その内部に入ると、 威厳に満ちた国宝・舎利殿が建っていた。
 まず私は、何よりも第一目的である舎利殿の写真を撮ることにしたのだが、 舎利殿の建物自体の内部には入ることができないことにより、 唐門内部、舎利殿手前の非常に狭いスペースに、 拝観する人々がちょっとした満員電車並にひしめき合うことになってしまっていた。
 そのことにより、まともな写真を撮るのはかなり困難な状態だった。  というのも、人ごみの一番手前まで来ると、舎利殿の建物全体の写真を撮るには近づきすぎだし、 かといってある程度空間を保って後方に下がると、間にいるたくさんの人々の後頭部が写ってしまうのである。
 私は何度も唐門を出たり入ったりして、人が途切れるタイミングを見計らっていたが、 一度だけピタッと人が途切れる瞬間ができ、2枚だけ、人が全く写っていない、舎利殿だけが写っている写真を撮ることができた。

日本有数の観光都市である鎌倉市で、唯一(※)の国宝建築である円覚寺舎利殿。  (※仏像や工芸品などは他にも多数の国宝がある)
 その唯一の国宝建築が年に3回だけ見れる日が祝日である今日だったわけで、 人の多さもある程度は予測していたとはいえ、その予想を遥かに上回る混雑ぶりに、 さすがは関東の観光地の人の多さは他とレベルが違うなと思った。

同時に私は、以前行ったある1棟の国宝建築を思い出した。
 それは、ほんの2ヶ月半前に行ったばかりの、東京都東村山市にある正福寺地蔵堂である。
 正福寺地蔵堂は、円覚寺舎利殿と同じく典型的な禅宗建築として知られ、 ほぼ同時期の建造であるうえ、その規模や形式も非常によく似ている。 私自身両方拝観してみて、 正福寺地蔵堂も、円覚寺舎利殿に勝るとも劣らぬ素晴らしい国宝建築だったと記憶する。
 両者の国宝建築としての総合的レベルは、ほぼ互角と言って間違いないだろう。

とはいえ、私が2ヶ月半前に正福寺地蔵堂を見学した際には、 今日の円覚寺舎利殿とはかなり対照的に、私以外の観光客は一人もおらず、 しかも、柵も何もしていない境内出入り自由の寺院だったため、あらゆる角度から自由に撮影できた。
 円覚寺舎利殿とほぼ同じレベルの国宝建築であるにもかかわらずである。

片や、国際的観光都市である鎌倉市の大寺院で、普段は厳重に非公開とされ、 年に数度の特別公開には数多くの観光客が訪れ、拝観料を払って拝観させてもらう国宝・円覚寺舎利殿。

そして片や、「いっちょめ、いっちょめ、わ〜お! いっちょめ、いっちょめ、わ〜お!  ひ・が・し 村山 いっちょめ! わ〜お!!」の、『東村山音頭』でお馴染みのお笑い芸人、 志村けんの生まれ故郷として有名ではあるが、観光都市でもなんでもない東村山市の住宅地にある寺院の境内で、 柵もされずひっそりとたたずみ、いつでも誰でも拝観料無しで拝観することができる国宝・ 正福寺地蔵堂

ほぼ同じレベルの国宝建築でも、その立地、寺院の方針などもろもろの条件により、 ここまでも扱いが違うものかと色々考えさせられたが、 私としては、いつでも自由に拝観させてくれる正福寺地蔵堂のような国宝建築が、 一つでも多く増えてくれた方が、断然ありがたいことは確かだ。


初回訪問日&撮影日 2016年11月03日

(※国宝建造物撮影ポイント)
普段は非公開だが、例年、11月3日前後、1月1日〜3日、他に5月の特別公開日には、正面内部まで入場できる。
年によって変更になることもあるので、参拝の際には必ず公式HPにて確認を。

@JR「北鎌倉」駅

円覚寺の最寄駅。


A山門

天明5年(1785)に、大用国師誠拙周樗が再建。 「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇の勅筆。 楼上には十一面観音、十六羅漢像などを安置する。


B仏殿内部(本尊宝冠釈迦如来)

もともとの仏殿は関東大震災で倒壊し、現在の仏殿は昭和39年に再建されたもの。  本尊は宝冠釈迦如来であり、もともと弘安5年(1282)仏殿開堂の際にできたが、永禄6年(1563)の大火で焼失。  その頭部のみが残り後に寛永2年(1625)仏殿が再建される際に体部が補造されたという。


C居士林

在家修行者のための専門道場。 広く一般人向けの各種坐禅会が催される。


D選仏場

選仏場とは、仏様を選び出すという意味で、修行僧の坐禅道場になっている。  元禄12年(1699年)建立の茅葺き屋根の建物。 内部には薬師如来立像(南北朝時代)を安置する。  仏殿が再建されるまでは、この堂が仏殿を兼ねていた。


E方丈

本来は住職の居間だが、現在は各種儀式・行事に用いられる建物になっている。  前庭のビャクシン(柏槇、和名イブキ)の古木は無学祖元手植えと伝える。


F開基廟

円覚寺の開基である北条時宗を祀る。 現在の開基廟は文化8年(1811)に改築されたものだという。


G正続院

開山仏光国師無学祖元禅師の塔所。 現在は専門道場として修行の場になっている。


H弁天堂

江ノ島より招来した弁財天をまつり、 60年ごとに江ノ島の弁財天と当山との間で祭礼が盛大にとりおこなわれている。


I洪鐘(国宝)

仏殿東方の石段を上った小高い場所にある鐘楼に架かる。 寺では「洪鐘」と書いて「おおがね」と読ませている。  北条貞時の寄進によるもので、正安3年(1301年)、鋳物師物部国光の制作。  高さ2.6メートルを超える。


J正続院唐門

天保十年(1839)の建立。  装飾の細部は幕末期の特色を示しながら、全体はあっさりし、幕末期の鎌倉の佳作と目されるという。


K舎利殿(国宝)

舎利殿はもともとは鎌倉尼五山第一位の太平寺の仏殿だったものを移築したと考えられ、小ぶりで繊細な意匠である。  移築前にあった仏殿はもっと巨大な建物だったという。  太平寺から移築されたという現在の舎利殿は、桁行三間、梁間三間、一重裳階付、入母屋造、 柿葺で、 室町時代中期の15世紀前半に建てられたものと考えられる。  正福寺地蔵堂とともに、典型的な禅宗様建築として知られ、 詰組の組物や屋根を支える尾垂木をそのまま内部に見せ、 細かな構造材が扇垂木とともに中央に組み上がるその意匠は禅宗建築そのものだが、 最上部の正方形の鏡天井は、中国の禅宗建築にはなかったらしい。  源実朝が宋の能仁寺から請来した仏牙舎利を奉安する堂宇。


L舎利殿(国宝)

舎利殿は正月の三が日、五月の連休日と十一月の宝物風入などの特別期間以外は修行の為、 非公開になっている。


M禅堂

国宝舎利殿の隣にある「正法眼堂」という禅堂。  禅堂では、今も厳しい雲水の修行が行われているのだという。

アクセス
JR「北鎌倉」駅すぐ近く

駐車場 有

国宝建造物巡礼ドライブ難易度(★★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

国宝巡礼おすすめアクセス方法
円覚寺舎利殿特別公開日は例外なく混雑するので、自動車よりも電車によるアクセスがおすすめ。


247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内409

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