国宝 円覚寺 舎利殿 (神奈川県鎌倉市)円覚寺 舎利殿 国宝 室町時代中期 HOMEに戻る | |
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(歴史)円覚寺は、蒙古襲来で戦没した多くの霊を弔うために、弘安5年(1282)に創建された。 北条時宗開基、開山は宋から来朝した高僧無学祖元(仏光国師)である。 その後円覚寺は、何度か大火に遭うなどして衰退したこともあったが、 江戸時代末期に誠拙和尚が伽藍を復興し、現在の円覚寺の基礎を固めた。 舎利殿はもともとは鎌倉尼五山第一位の太平寺の仏殿だったものを移築したと考えられ、小ぶりで繊細な意匠である。
移築前にあった仏殿はもっと巨大な建物だったという。
実験的企画 国宝建築評価チャート図国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化(※)評価基準 ○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。 ○美しさ 見た目の美しさを点数化。 ○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。 ○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。 以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。 (国宝建造物訪問日記)この日は11月3日文化の日。
そして当日。 朝から晴天で、絶好の行楽日和だったので、予定通り円覚寺参拝を決行することにした。
いよいよ普段非公開の場所に入ると、奥の方に正続院唐門があり、その内部に入ると、
威厳に満ちた国宝・舎利殿が建っていた。
日本有数の観光都市である鎌倉市で、唯一(※)の国宝建築である円覚寺舎利殿。
(※仏像や工芸品などは他にも多数の国宝がある)
同時に私は、以前行ったある1棟の国宝建築を思い出した。
とはいえ、私が2ヶ月半前に正福寺地蔵堂を見学した際には、
今日の円覚寺舎利殿とはかなり対照的に、私以外の観光客は一人もおらず、
しかも、柵も何もしていない境内出入り自由の寺院だったため、あらゆる角度から自由に撮影できた。
片や、国際的観光都市である鎌倉市の大寺院で、普段は厳重に非公開とされ、 年に数度の特別公開には数多くの観光客が訪れ、拝観料を払って拝観させてもらう国宝・円覚寺舎利殿。 そして片や、「いっちょめ、いっちょめ、わ〜お! いっちょめ、いっちょめ、わ〜お! ひ・が・し 村山 いっちょめ! わ〜お!!」の、『東村山音頭』でお馴染みのお笑い芸人、 志村けんの生まれ故郷として有名ではあるが、観光都市でもなんでもない東村山市の住宅地にある寺院の境内で、 柵もされずひっそりとたたずみ、いつでも誰でも拝観料無しで拝観することができる国宝・ 正福寺地蔵堂。 ほぼ同じレベルの国宝建築でも、その立地、寺院の方針などもろもろの条件により、 ここまでも扱いが違うものかと色々考えさせられたが、 私としては、いつでも自由に拝観させてくれる正福寺地蔵堂のような国宝建築が、 一つでも多く増えてくれた方が、断然ありがたいことは確かだ。 初回訪問日&撮影日 2016年11月03日
(※国宝建造物撮影ポイント)普段は非公開だが、例年、11月3日前後、1月1日〜3日、他に5月の特別公開日には、正面内部まで入場できる。年によって変更になることもあるので、参拝の際には必ず公式HPにて確認を。 |
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@JR「北鎌倉」駅 円覚寺の最寄駅。 |
A山門 天明5年(1785)に、大用国師誠拙周樗が再建。 「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇の勅筆。 楼上には十一面観音、十六羅漢像などを安置する。 |
B仏殿内部(本尊宝冠釈迦如来) もともとの仏殿は関東大震災で倒壊し、現在の仏殿は昭和39年に再建されたもの。 本尊は宝冠釈迦如来であり、もともと弘安5年(1282)仏殿開堂の際にできたが、永禄6年(1563)の大火で焼失。 その頭部のみが残り後に寛永2年(1625)仏殿が再建される際に体部が補造されたという。 |
C居士林 在家修行者のための専門道場。 広く一般人向けの各種坐禅会が催される。 |
D選仏場 選仏場とは、仏様を選び出すという意味で、修行僧の坐禅道場になっている。 元禄12年(1699年)建立の茅葺き屋根の建物。 内部には薬師如来立像(南北朝時代)を安置する。 仏殿が再建されるまでは、この堂が仏殿を兼ねていた。 |
E方丈 本来は住職の居間だが、現在は各種儀式・行事に用いられる建物になっている。 前庭のビャクシン(柏槇、和名イブキ)の古木は無学祖元手植えと伝える。 |
F開基廟 円覚寺の開基である北条時宗を祀る。 現在の開基廟は文化8年(1811)に改築されたものだという。 |
G正続院 開山仏光国師無学祖元禅師の塔所。 現在は専門道場として修行の場になっている。 |
H弁天堂 江ノ島より招来した弁財天をまつり、 60年ごとに江ノ島の弁財天と当山との間で祭礼が盛大にとりおこなわれている。 |
I洪鐘(国宝) 仏殿東方の石段を上った小高い場所にある鐘楼に架かる。 寺では「洪鐘」と書いて「おおがね」と読ませている。 北条貞時の寄進によるもので、正安3年(1301年)、鋳物師物部国光の制作。 高さ2.6メートルを超える。 |
J正続院唐門 天保十年(1839)の建立。 装飾の細部は幕末期の特色を示しながら、全体はあっさりし、幕末期の鎌倉の佳作と目されるという。 |
K舎利殿(国宝) 舎利殿はもともとは鎌倉尼五山第一位の太平寺の仏殿だったものを移築したと考えられ、小ぶりで繊細な意匠である。 移築前にあった仏殿はもっと巨大な建物だったという。 太平寺から移築されたという現在の舎利殿は、桁行三間、梁間三間、一重裳階付、入母屋造、 柿葺で、 室町時代中期の15世紀前半に建てられたものと考えられる。 正福寺地蔵堂とともに、典型的な禅宗様建築として知られ、 詰組の組物や屋根を支える尾垂木をそのまま内部に見せ、 細かな構造材が扇垂木とともに中央に組み上がるその意匠は禅宗建築そのものだが、 最上部の正方形の鏡天井は、中国の禅宗建築にはなかったらしい。 源実朝が宋の能仁寺から請来した仏牙舎利を奉安する堂宇。 |
L舎利殿(国宝) 舎利殿は正月の三が日、五月の連休日と十一月の宝物風入などの特別期間以外は修行の為、 非公開になっている。 |
M禅堂 国宝舎利殿の隣にある「正法眼堂」という禅堂。 禅堂では、今も厳しい雲水の修行が行われているのだという。 |
アクセス
JR「北鎌倉」駅すぐ近く 駐車場 有 国宝建造物巡礼ドライブ難易度(★★) (★)・・・・・・・・・・非常に易しい (★★)・・・・・・・・易しい (★★★)・・・・・・ふつう (★★★★)・・・・難しい (★★★★★)・・非常に難しい 国宝巡礼おすすめアクセス方法 円覚寺舎利殿特別公開日は例外なく混雑するので、自動車よりも電車によるアクセスがおすすめ。 247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内409 |
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