国宝 日吉大社 東本宮本殿 滋賀県大津市




日吉大社
東本宮本殿
国宝
1595年(文禄04年)

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(歴史)

日吉大社は、およそ2100年前の崇神天皇7年に創祀されたと伝わる、全国3800余りの分霊社(日吉、日枝、 山王神社)の総本宮である。
 東本宮の御祭神である大山咋神は、比叡山の山の神とされ、 日本最古の書物・古事記にもその名前が記されている。 西本宮の御祭神である大己貴神は、天智天皇の時代に 奈良から大津に遷都が行われた際に奈良の三輪山より御神霊を迎え、国家鎮護の神として祀られたという。
 平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除け・災難除を祈る社として、 また伝教大師が比叡山に延暦寺を開いてからは、天台宗の護法神として崇敬を受け今日に至っている。
 中世には織田信長の焼き討ちにより、以前の建造物すべてが灰塵に帰したため、現存の建造物はすべて、 その後の復興の際に建てられたものである。

現在の東本宮本殿(国宝)は、文禄4年(1595)に西本宮本殿に引き続き建てられたもので、西本宮本殿と 同様、「日吉造」という特殊な構造である。  「日吉造」は、聖帝造ともいい、全国では日吉大社だけに見られるもので、それは、三間・二間の身舎の前面、 両側面の三方に廂がめぐらされた形で、側面や背面にその特徴を見せる。
 東本宮本殿は、西本宮本殿とほぼ同様の造りだが、背面の三間の床が一段高くなっている点を特徴とする。  御祭神は、大山咋神である。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日日吉大社西本宮見学後、日吉大社東本宮方面へ歩いて行ったのだが、 両者は結構離れた場所にあり、その途中で、摂社宇佐宮本殿・拝殿、摂社白山姫神社本殿・拝殿、神輿収蔵庫などを見学した。
 東本宮に到着し、東本宮楼門をくぐると、その境内手前に、摂社樹下宮本殿と拝殿が横向きに建っており、 その奥に東本宮本殿・拝殿が、堂々と鎮座していた。

以上、この日巡った、西本宮、東本宮、宇佐宮、白山姫神社、樹下神社と、 日吉大社境内から1キロほど離れた八王子山頂にある摂社牛尾神社と、摂社三宮神社(八王子山頂2社は時間の都合で 巡れなかった)を合わせて、『日吉大社山王七社』と呼ばれ、 日吉大社に数多くある社の中でも最高の社格とされている。
 『日吉大社山王七社』の凄い点は、それぞれ七社の本殿と拝殿、合計14棟の建造物すべてが、古くから残る 現存建造物だという点だろう。
 日本全国に古い神社は多くあれど、ここまで数多くの現存建造物が完全な状態で残る神社は他にないだろう。
 これらはすべて、元亀2年(1571年)の信長の焼き討ち後、20〜30年ぐらいの間に建てられたものであるが、 建造されてから現在まで、400年以上建っているにもかかわらず、それらすべての建造物の保存状態が完璧であり、 長い間、多くの人々の絶え間ぬ努力で維持管理されてきたことが伺える。
 それだけに、もしも、信長が焼き討ちしなかったら、 更にとてつもなく古い建造物が数多く残っていただろうし、日吉大社境内の国宝建造物の数も、今より物凄いことになっていただろう・・・。
 歴史に「もしも」などということは無いのだが、これだけ長い年月、 管理がしっかりされてきた日吉大社なだけに、非常に惜しまれるところである。
 しかし、信長焼き討ち後の建造物とは言え、その時期に建てられた『日吉大社山王七社』それぞれの本殿・拝殿 や、東本宮楼門、西本宮楼門など、とてつもない数の建造物が、 長い年月残っているという点だけ見ても、十分奇跡的だと言えるだろう。

私はそれら歴史的建造物に見とれて、境内の紅葉のことなどすっかり忘れていた。  私は紅葉真っ盛りの日吉大社を後にし、JR比叡山坂本駅へ戻り、次の目的地、三井寺神羅善神堂へ向かった。


初回訪問日&撮影日 2013年11月22日

(※国宝建造物撮影ポイント)

外観は自由に撮影可能


@日吉大社摂社宇佐宮本殿(重要文化財)

桁行5間、梁間3間、桧皮葺屋根の建造物である。 西本宮本殿や東本宮本殿(共に国宝)と同じく典型的日吉造 であり、三間・二間の身舎の前面、両側面に一間の廂をめぐらし、側面や背面に特色がある。  正面の階段前に吹寄格子をいれた障壁を設けているのを特徴とする。 高い床下には大きな岩が露出しているという。  慶長3年(1598)に建造された。 御祭神は田心姫神。


A日吉大社摂社宇佐宮拝殿(重要文化財)

慶長3(1598)年に建てられた本殿と同じ時期のもの。 桁行三間、梁間三間)、一重、入母屋造、妻入、桧皮葺屋根の建物である。


B日吉大社摂社白山姫神社本殿(重要文化財)

三間社流造、桧皮葺を特徴とする建物で、三間・二間が身舎、その前方一間通しの廂が前室になっている。  樹下神社本殿とほぼ同形式である。 慶長3年(1598)に建てられた。 御祭神は白山姫神。


C日吉大社摂社白山姫神社拝殿(重要文化財)

方三間、一重、入母屋造、妻入り、桧皮葺の建物である。 四方の柱間はすべて開け放しで、回り縁には高欄が 付き、天井は小組格天井、屋根の妻飾りは木連格子になっている。


D神輿収蔵庫

ここで展示される7基の神輿は、桃山時代から江戸時代にかけて作られたものであり、すべて重要文化財になっている。


E日吉大社東本宮楼門(重要文化財)

天正年間から文禄2年(1593)頃に建てられた。 正面の柱間三つの内、中央が扉がない 出入り口になっている。 入母屋造桧皮葺屋根。


F日吉大社摂社樹下宮本殿(重要文化財)

三元社流造、桧皮葺の建物で、後方三間・二間が身舎、その前方一間通しの廂が前室となっている。  数ある流造のなかでも比較的大型のもので、床下が日吉造と共通した方式であることや、向拝階段前に 吹寄格子の障壁を立てているのを特徴とする。 文禄4年(1595)に建てられた。 御祭神は鴨玉依姫神。


G日吉大社摂社樹下宮拝殿(重要文化財)

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入り、桧皮葺の建造物。 山王七社の他の拝殿と異なる点は、 柱間が四方とも格子や格子戸となっている点である。 屋根の妻飾は木連格子、天井は小組格天井、 回り縁は高欄付きになっていて、本殿と同じ文禄4年(1595)に建てられたものである。


H日吉大社東本宮境内

樹下神社の拝殿と本殿を結ぶ線と、東本宮の拝殿と本殿を結ぶ線が交わる珍しい配置である。


I日吉大社東本宮本殿(国宝)と拝殿(重要文化財)

拝殿は本殿の前に独立して建つ方三間、一重、入母屋造、桧皮葺屋根、妻入の建物である。


J日吉大社東本宮拝殿(重要文化財)

四方の柱間は開け放しで屋根の妻飾りには木連格子を入れている。 廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井。  1596年頃の建造。


K日吉大社東本宮本殿(国宝)

詳細は前述のとおり。


L日吉大社山王鳥居周辺の紅葉


M日吉大社西本宮本殿(国宝)

アクセス JR湖西線「比叡山坂本駅」より徒歩20分
又は京阪石山坂本線「坂本」駅より徒歩10分

駐車場 有

国宝巡りドライブ難易度 (★★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
紅葉の時期や年末年始などは周辺道路が混み合う。公共機関の利用がおすすめである。

住所
大津市坂本本町5丁目1−1


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