国宝 日吉大社 西本宮本殿 滋賀県大津市



日吉大社
西本宮本殿
国宝
1586年(天正14年)

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(歴史)

日吉大社は、およそ2100年前の崇神天皇7年に創祀されたと伝わる、全国3800余りの分霊社(日吉、日枝、 山王神社)の総本宮である。
 東本宮の御祭神である大山咋神は、比叡山の山の神とされ、 日本最古の書物・古事記にもその名前が記されている。 西本宮の御祭神である大己貴神は、天智天皇の時代に 奈良から大津に遷都が行われた際に奈良の三輪山より御神霊を迎え、国家鎮護の神として祀られたという。
 平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除け・災難除を祈る社として、 また伝教大師が比叡山に延暦寺を開いてからは、天台宗の護法神として崇敬を受け今日に至っている。
 中世には織田信長の焼き討ちにより、以前の建造物すべてが灰塵に帰したため、現存の建造物はすべて、 その後の復興の際に建てられたものである。

現在の西本宮本殿(国宝)は、天正14年(1586)に建てられたもので、慶長2年(1597)に改造されており、 「日吉造」という特殊な構造である。 「日吉造」は、聖帝造ともいい、全国では日吉大社だけに見られるもので、それは、三間・二間の身舎の前面、 両側面の三方に廂がめぐらされた形で、側面や背面にその特徴を見せる。 また、正面には、一間の向拝と浜床をつけ、 縁高欄がまわりをめぐる。 また、その床下にはかつて仏事を営んだ「下殿」と呼ばれる部屋がある。 御祭神は大己貴神。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日は午前中に、琵琶湖の今津港から琵琶湖汽船に乗船して竹生島へ行き、宝厳寺三重塔や、国宝・宝厳寺唐門 国宝・都久夫須麻神社本殿などを見学した。  竹生島の見学が終わり、再び今津港へ戻った時点で時計の針を見ると、まだ正午前だったので、 帰りに、国宝建造物二棟を有する、日吉大社へ立ち寄ることにした。
 まずはJR湖西線「近江今津」駅から電車に乗り込み、「比叡山坂本」駅で下車。  そこから徒歩20分程度歩いただろうか。 次第に人通りも増えてきて、入口の鳥居に到着した。
 鳥居から少し歩くと、日吉大社参道に南面して立つ、求法寺走井元三大師堂が見えてきて、 その先に進むと、神仏習合の信仰を表す独特の形をした山王鳥居が見えてきた。

求法寺や山王鳥居などは、いわば、日吉大社の神仏習合的側面を示すものと言え、 比叡山延暦寺と馴染みの深いことも相まってこの地はまさに、神仏習合の聖地とも言えるが、実はこの日吉大社。 
 明治政府による『神仏分離令』に端を発した暴挙、『廃仏毀釈』が、最初に行われた場所として知られている。

所謂、『日吉山王社事件』である。

それは、『神仏分離令』が公布された4日後に、 神職・樹下茂国と日吉社社司・生源寺希徳が、その布告を振りかざし、100人以上の神道家や農民を率いて、日吉社へ押し寄せ、神殿に侵入し、仏像、仏具、経典などを破壊し焼き尽くしたという事件である。

『神仏分離令』や、『廃仏毀釈』に対する私の考えは、国宝・宝厳寺唐門訪問時のページをはじめ、 その他あちこちのページで散々述べてきたので、ここではその日吉社神殿の仏像、仏具、経典などを破壊し尽くしたという、蛮人たちの 感想を書くのは控えようと思うが、そのような極端なキチガイは一部だったようで、地元坂本の住民たちはそれに対して批判的だったようである。

宝厳寺廃寺に反対した全国の信者や、日吉社地元・坂本の住民たち、興福寺の五重塔焼却に反対した住民たちなど、 この時代は、政治家や役人、少しだけ国学を囓った自称知識人たちよりも、一般庶民の方がずっとまともで良識的だったと言えるだろう。

・・・とまあ、それはさておき、その山王鳥居をくぐり先へ進むと、西本宮・楼門(重要文化財)前に到着。  その巨大で迫力のある楼門前には、今日ここで結婚式をあげるのだと思われる綺麗な花嫁さんが立って写真を撮っていた。
 私は、式を挙げずに結婚したのだが、こういった由緒ある素晴らしい神社でなら、結婚式も挙げてみたかったなと思った。
 綺麗な花嫁さんを横目に楼門をくぐると、手前に西本宮拝殿(重要文化財)が建っており、 その背後に西本宮本殿(国宝)が堂々と鎮座。
 それは、まさにこれぞ国宝中の国宝、と思える荘厳さだった。

この西本宮本殿は、日吉大社境内でずば抜けて古い建造物というわけではない。  また、同じ国宝である東本宮本殿とともに『日吉造』という珍しい建築様式であるとはいえ、重要文化財・摂社宇佐宮本殿も 同じく『日吉造』である。
 数多くの国宝、重要文化財建造物を有する日吉大社境内には、西本宮本殿と同時期に建造された建物が 数多く残っているのだが、それらほとんどが重要文化財であり、それよりランクが上の 国宝指定なのは、東本宮本殿とこの西本宮本殿のみである。

では、その国宝と重要文化財を分ける条件とは一体何なのか?
 私は、西本宮本殿を拝観した時、日吉大社の山王七社の中で最も格が高いと言われるだけあって、 その神々しい雰囲気が桁違いに伝わってくる気がした。
 国宝に指定される条件は、古さや希少価値といった要素も重要だが、その建造物の神々しい雰囲気や、格といった要素も、 加味されるのではないだろうか・・・?
 そうまで思わせる何かを、西本宮本殿が持っているのは確かである。

私は長い時間、西本宮本殿の神々しいオーラを感じた後、同じく国宝指定である東本宮本殿の方へ歩いて行った。


初回訪問日&撮影日 2013年11月22日

(※国宝建造物撮影ポイント)

外観は自由に撮影可能


@鳥居

JR湖西線「比叡山坂本駅」よりで徒歩20分、又は京阪石山坂本線「坂本」駅より徒歩で10分ほど歩くとこの場所に 到着する。


A求法寺走井元三大師堂(滋賀県指定有形文化財)

求法寺は、延暦寺登山口の本坂脇に位置する。 第一八世天台座主慈恵大師良源大僧正が、初登山時ここで 入残修行の決意を固めたことから求法寺と称されたという。 この建物は正徳四年(1714)に上棟されたもの。


B山王鳥居

神仏習合の信仰を表す独特の形をしており、「合掌鳥居」とも言われている。


C日吉大社西本宮楼門(重要文化財)

東本宮楼門同様に、三間一戸、入母屋造、桧皮葺屋根であるが、東本宮楼門よりも規模が大きい。  天正14年(1586)頃に建てられたものと推定されている。


D日吉大社西本宮拝殿(重要文化財)

西本宮拝殿は、方三間、一重、入母屋造、桧皮葺、妻入りを特徴とする建造物であり、柱間は、 四方開け放しの舞殿形式。 お祓いなどの神事はここで行われる。1586年に本殿と同時に建てられた。


E日吉大社西本宮本殿(国宝)

詳細は前述のとおり。 西本宮本殿のみ左右に柵があるため、前方に立ち入れないようになっている。


F東本宮楼門(重要文化財)


G東本宮本殿(国宝)

アクセス JR湖西線「比叡山坂本駅」より徒歩20分
又は京阪石山坂本線「坂本」駅より徒歩10分

駐車場 有

国宝巡りドライブ難易度 (★★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
紅葉の時期や年末年始などは周辺道路が混み合う。公共機関の利用がおすすめである。

住所
大津市坂本本町5丁目1−1


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