国宝 慈照寺銀閣 (京都市左京区)


慈照寺(臨済宗相国寺派)
銀閣
国宝
1489年(長享03年)

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(歴史)

銀閣寺の建立は文明14年(1482年)室町幕府8代将軍足利義政による。 義政は祖父にあたる三代将軍義満の北山殿金閣(鹿苑寺)に ならい、山荘東山殿を造営。 この東山殿が銀閣寺の発祥である。 銀閣寺は俗称であり、正しくは東山慈照寺という。 義政の 法号慈照院にちなみ、後にこう命名されたという。
 銀閣は、鹿苑寺の金閣(舎利殿)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、本来は観音殿と呼ばれた。 二層からなり、一層の心空殿は書院風。 二層の潮音閣は、唐様仏殿の様式である。 閣上には青銅製の鳳凰が東面してたつ。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

長い間関西に生きてきたが、この俗称銀閣寺へ来るのはこれが初めて。 境内は修学旅行生などでごった返しており、ゆっくり 参拝というわけにはいかなかったが、銀閣は非常に趣のある素晴らしい建造物だった。
 それだけにこの銀閣が踏襲したという鹿苑寺の金閣には 現存していて欲しかった。 1950年に起こった金閣(元国宝)の全焼は、見習い僧侶による放火だった。 後に同寺が参拝料などの儲け主義に走っていることへ対する 不満だったとか、金閣における美の憧れと反感を抱いて放火だったとか、 どちらかと言えばこの僧侶に対して同情的な意見が多く、小説化などもされたようだ。
 私はそういうその当時の風潮はあまり知らないし、小説も読んでいないから表だって批判することは避けるが、何と取り返しのつかない蛮行に走ってしまったのだろうと 思う気持ちには変わりない。


初回訪問日&撮影日 2012年06月07日

(※国宝建造物撮影ポイント)
外観は自由に撮影可能




東求堂(国宝)
アクセス
京都市バス「銀閣寺道」下車、徒歩5分

駐車場 近くに市営駐車場はあり。

国宝建造物巡りドライブ難易度 (★★★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

国宝建造物巡りおすすめアクセス方法

近くに市営駐車場があるが、空いてるとは限らないので公共機関の利用がおすすめである。

住所
京都市左京区銀閣寺町2


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