国宝 吉備津神社 本殿及び拝殿 岡山市北区




吉備津神社
本殿及び拝殿
国宝
1425年(応永32年)

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(歴史)

吉備津神社は、崇神天皇の御代、四道将軍の一人として吉備の国を平定し、国民繁栄の礎を築かれた吉備津彦命ほか8柱を 御祭神とする社である。 本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。
 現在の本殿、拝殿は室町時代の再建で、「吉備津造り」(比翼入母屋造)と称される我国唯一の建造物で、国宝に指定されてる。
 室町時代の明徳元年(1390年)、後光厳天皇の命で室町幕府3代将軍・足利義満が応永12年(1405年)再建し、応永32年(1425年)に遷座した。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

吉備津神社の祭神である吉備津彦命は、昔話 『桃太郎』 のモデルとなった人物としても有名であり、 『桃太郎』の鬼退治の昔話の内容自体が、吉備津神社に古くから伝わる『吉備津彦命の温羅退治』神話と酷似している。
 そして、私たちが吉備津神社へ来る前に見学した、鬼ノ城は、 どの歴史書にもその記述が無い、謎の古代山城であるはずだったのが、『吉備津彦命の温羅退治』神話では、その『鬼ノ城』という名のとおり、温羅(鬼)が城を構えた場所として伝えられているという。
 『吉備津彦命の温羅退治』神話が、いつごろの時代につくられたものなのか不明だが、古代、鬼城山にあった城の存在を認めていたことは確かだろう。
 日本書紀などの歴史書に一切記述の無い、謎の山城、『鬼ノ城』の存在を、神話の世界で見ることができるというのは、 その真偽は別として、何ともロマンを感じる話である。

さて、この本殿及び拝殿であるが、広々とした場所に堂々と建つその建物の巨大さに圧倒された。
 さすがは、神社建築としての巨大さとしては、八坂神社や出雲大社と並び称されるだけはある。
 出雲大社の本殿は、柵があるためにその全体像を拝観するのが困難であったが、 この吉備津神社の本殿及び拝殿に関しては、広場からだけでなく、下の駐車場からや廻廊からなど、様々な角度から 自由に拝観できる。
 自由に拝観できるということによって、なお一層、その巨大さ、迫力が強調されるのかもしれない。
 寺院には、多くの巨大建造物があるが、神社の建造物としては、私が今まで拝観したものの中では 最も迫力があり、巨大なものに見えた。

その威容は、まるで主翼とプロペラを備えた古代戦艦(?)のようである・・・。

私はここで、ある架空ストーリーを空想していた。 その内容は、古代、吉備の国を舞台にしており、吉備津彦命(桃太郎)が、部下たち(犬猿雉)を引き連れて、この古代戦艦(本殿及び拝殿)に乗り込み、 温羅(鬼)たちが待ち構える難攻不落にして、鉄壁の要塞、『鬼ノ城』へ向けて、悠々とした姿で、飛び立って行くというものである。
 そこで、吉備津彦命(桃太郎)軍と、温羅(鬼)たちによる、激しいバトルが繰り広げられるという、 ある意味、少年ジャンプ漫画のようなストーリーを、一人で勝手に想像して、一人でロマンに浸っていた・・・。

私たちはロマン冷めやらぬまま、この日最後の目的地である、国宝・旧閑谷学校へ向かった。


初回訪問日&撮影日 2013年04月08日

(※国宝建造物撮影ポイント)

建物外観は自由に撮影可能


@駐車場から見上げた本殿

高台にあるうえに、その巨大さも相まって、駐車場に着いた途端、すぐに見ることができる本殿の屋根部分。


A境内入口

私たちは、駐車場から向かって左側にまわり、参道入口に到達。 途中、土産物屋があり、平日であるにもかかわらず、 観光客多数。 活気のある雰囲気だ。


B北髄神門(重要文化財)

神社正面からの参道途中に建つ。 室町時代、天文11年(1542年)の再建。単層入母屋造檜皮葺。


C参道と割拝殿

割拝殿には、『神社検定試験』なる試験受験の募集要項のポスターが貼られていた。 神社に興味がある人は 受験してみてはどうだろうか。 そして内部にはなぜか、千代の富士の優勝額が展示されていた。


D拝殿部分

参道の石段を登り、北髄神門と割拝殿をくぐると、賽銭箱が置かれた拝殿部分に行き着く。  内部は通常、立ち入り禁止。 内部見学希望者は、事前に神社社務所に連絡が必要だという。


E本殿及び拝殿(国宝)

比翼入母屋造の本殿の手前に切妻造、平入りの拝殿が接続し、合わせて1棟として国宝に指定されている。 比翼入母屋造とは、入母屋造の屋根を前後に2つ並べた屋根形式で、「吉備津造」ともいう。


F本殿及び拝殿(国宝)

その建築様式は、寺院建造物に見られる大仏様を、神社本殿に応用した唯一の例とされるなど、神社建築よりも、仏教建築の影響が多く見られる。


G本殿及び拝殿(国宝)

地面より一段高く、漆喰塗の土壇(亀腹)の上に建ち、平面は桁行正面五間、背面七間、梁間八間で、屋根は檜皮葺とする。


H本殿及び拝殿(国宝)

その巨大な建造物全体が、多宝塔に多く見られる、 漆喰塗の土壇(亀腹)の上に建つという、非常に珍しい形態だ。


I廻廊(県指定重要文化財)

本殿から御釜殿や 多くの末社を連絡している歩廊。 坂道を利用した曲線の棟が約200間(360m)、真っ直ぐに伸びている。  天正6年(1578)に再建されたものである。 こうした廻廊という建造物も、神社よりも寺院に多く見られるものである。


J南髄神門(重要文化財)

延文2年(1357)の再建。 実は国宝・本殿及び拝殿よりも古く、吉備津神社内の諸殿宇中、最古の建造物である。


K御釜殿(重要文化財)

慶長17年(1612)の再建。 内部に湯釜があり、阿曽女という巫女によって「鳴釜の神事」(釜うらない) が今日も行われている。 神事の起源は中世にさかのぼるという。


L宇賀神社

神池に浮かぶ吉備の国最古の稲荷社。建物は新しそうだ。


M駐車場から見た本殿及び拝殿

帰り間際に駐車場からもう一度撮影。 今にも飛び上がりそうなほどの迫力だ。


N宇賀神社から見上げた本殿及び拝殿

まだまだ桜が綺麗だった。

アクセス
JR吉備線 「吉備津」駅下車 徒歩15分
中鉄バス 吉備津神社参道口下車 徒歩10分

駐車場 有

仏塔巡礼ドライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

仏塔巡礼おすすめアクセス方法
自動車によるアクセスがおすすめ。

住所
岡山市北区吉備津931


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