名草神社 三重塔
重要文化財
(1527年 室町時代後期)
22.3m

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名草神社 三重塔 Nagusa Shrine

社伝によれば、敏達天皇当時、悪疫が流行し、多くの民が苦しんでいた。 紀伊国名草郡出身の養父郡司・高野直夫幡彦がそのことに憐れんで、敏達天皇14年(585年)、 故郷の祖神を石原山(妙見山)に祀ったのを創祀としているという。
 妙見山の中腹800mの高地に宝暦4年(1754年)に造られた本殿がある。別名を妙見社とも言い、 名草彦命、天御中主神など7神を祭祀する。
 この三重塔は、島根県出雲大社に出雲国主尼子経久が願主となって大永7年(1527年)に建立したものを、 出雲大社の本殿に妙見杉を提供した縁で、標高800mのこの地に移築されたという。


(仏塔訪問日記)

関西三大秘境仏塔 (※当HP管理人が勝手に設定した。他は金胎寺多宝塔千光寺三重塔)。 の中で、最後まで訪問する機会が無く、 今回念願かなってやっと来る機会ができたのが、この 『名草神社三重塔』 である。
 この日は私自身の運転ではなく、友人の運転だった。 この友人は、サーフィンや釣り、スキーなど様々な趣味を持ち、稀にボランティア活動もするという、 典型的リア充である。
 それらのアウトドア系の趣味のために、普段からこの手の道路の運転に慣れていたようだ。 名草神社へ向かうこの対向困難な酷道も、そのドライブ・テクニックで、スイスイ進んでいった。
 私はドライブ難易度を最高難度★5つに設定したのだが、その友人に言わせると、 「こんなの★3つで十分 だ」と言うことである。

さすがはリア充。 言うことが違うな〜などと、関心しているうちに、駐車場へ到着。 立て看板通りに上っていくと、鬱蒼とした木々の間から鮮やかな彩色をされた 三重塔が見えてきた。
 すべての仏塔の中で、日本一標高の高い位置に鎮座するというこの三重塔。 出雲大社から日本海を経由して、この険しい山奥に 移築されたのだという。
 当時は交通手段もなく、もっと険しい山道だったはずである。 遥か遠く出雲大社からその過酷な状況下で移築されたのが、 もし本当ならば、かなりの人員と労力を有したことだろう。

この出雲大社移築論には賛否があるようだが、真偽がどうであれ、こんな人里離れた険しい山奥に、この荘厳で素晴らしい三重塔が 建てられて、存在してきた事実自体、驚愕すべきことではないだろうか。


初回訪問&撮影日 2011年09月27日


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@名草神社への道中は対向困難な道が延々と続く。
山から道路に湧水が流れ込んでいる。
ちなみに冬季は豪雪地域のため通行止めになる。


Aやっと駐車場に到着。ここまで対向車は一台のみだった。
駐車場というより広場だが、参拝客は少ないので十分とめられる。


B駐車場脇の立て看板と石碑
錆びついてるが何とか読める。


C立て看板の通り進むとすぐに大木の隙間から三重塔が見えてくる。


D見事な三重塔。山深いこの場所だと一層荘厳なものに見える。
明治37年2月18日に国指定重要文化財(旧国宝)
に指定された三間三重塔婆。

高さは24.1m、屋根はこけら葺で、各重には高らん付縁がある。
心柱は二重から塔の先端まで伸びている。



E隅垂木を担ぐ力士像
上層の尾垂木にはそれぞれ猿の彫刻がある。

F拝殿(重要文化財)1688年(元禄元年)
平成22年4月16日、本殿と共に国の重要文化財に指定
本殿と庭をへだてて相対し、がけの淵に立っている。

G本殿(重要文化財)1754年(宝暦4年)
平成22年4月16日、拝殿と共に国の重要文化財に指定
屋根はこけら葺で入母屋造、正面に千鳥破風と唐破風をつける。

H三重塔の傍に建つ廃墟
もともと売店だったのだろうか?交通の不便さのために参拝客が
少ないこの場所では、経営が成り立たなかったのかもしれない。

I篠山城(国指定史跡) 名草神社とは無関係
この日は大阪から篠山城→竹田城→名草神社というルートでの
ドライブコースだった。友人が日本百名城スタンプラリーに
挑戦している関係で、私も始めてみることにした・・・。

J篠山城再建大書院
篠山城にはもともと天守は存在せず、この大書院は
学術研究をもとに、平成12年に建てられた。
ちなみにスタンプ設置場所はここの受付である。

KJR竹田駅(竹田城最寄駅)
次にスタンプ設置場所である竹田駅に立ち寄った後、竹田城へ向かう。
それにしても、もっと早く、この 『日本百名城スタンプラリー』の存在に気づいていればよかった。今まで仏塔巡りその他で、日本各地へ旅行した際に、 100名城の城うち30箇所くらいには立ち寄っていたのだが・・・。

L竹田城跡(国指定史跡) 名草神社とは無関係
残るのは石垣のみとはいえ、『東洋のマチュピチュ』の
異名は決して言い過ぎではない美しさである。

M別角度
雲海に浮かぶ城の全体像は、まるで海に浮かぶ軍艦のような
迫力と美しさで、絵葉書やパンフレットにも利用されている。
ただしその姿は、城跡そのものに上っても撮ることはできない。
撮るには向かいの立雲峡に登って撮影ポイントを探さなければならない。
今回は時間の関係で諦めた。
交通アクセス

JR山陰本線『八鹿駅』から車で40分


駐車場有

仏塔巡礼ドライブ難易度
非常に難しい(★★★★★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

(おすすめアクセス方法)
バス停から非常に遠いので、選択肢は自動車しかないだろう。
道中は対向困難な場所が多く、ドライブ難易度は高いが、
車は滅多に通らない。ちなみに冬季は雪のため通行止めになるので、 通行止め期間をあらかじめ調べておいた方がいい。

(住所)
兵庫県養父市八鹿町石原字妙見1755-6

より大きな地図で 日本国宝&重文指定主要仏塔マップ を表示



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