志度寺の開創は推古天皇33年(625年)と伝わる。 寺伝によればその年に、志度の浦に
楠の霊木が漂着し、凡園子がこの霊木で十一面観音を彫り、精舎を建てたのが始まりということである。
その後天武天皇10年(681年)には藤原不比等が堂宇を増築し、「志度道場」として名づけ、
持統天皇7年(693年)には不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立したと伝えている。
室町時代には戦乱で荒廃するも、寛文10年(1671年)、高松藩主松平頼重の寄進(本堂・仁王門)など、高松藩主松平氏により再興された。
この五重塔は、1973年から着工され、1975年5月に落成。地元出身の実業家竹野二郎によって寄進された、この後に続く本式木造五重塔復興の先駆けとなった昭和の名塔である。
(仏塔訪問日記)
この日は一日かけて、この@志度寺(五重塔)から→A高松城(日本百名城)→B法然寺(五重塔)→C神谷神社(国宝本殿)
→D三谷寺(多宝塔)→E丸亀城(日本百名城)→F善通寺(五重塔)→
G本山寺(五重塔)→H興願寺(三重塔)というルートで日帰り
旅行の計画を立てた。
大阪から香川県へは明石海峡大橋などを通る関係で、交通費が高く、頻繁には来れない。だから、一回の旅行で一つでも多く史跡を巡ろうと考え、
一日で香川県内の百名城と国宝建造物、五重塔、江戸以前建立の仏塔のすべてを巡ろうと考えた訳である。
最近は、仏塔巡り以外に、日本百名城や、国宝建造物巡りも始めたため、今後も他都道府県へ旅行した場合には、
史跡の訪問ルートに頭を悩ませることになりそうだ。
今回最初の訪問地である志度寺には朝の8時に到着した。志度寺は四国八十八か所霊場第八十六番札所に指定されており、朝早いにもかかわらず、お遍路姿の参拝者が次から次へと訪れていた。
お遍路姿の人々の中には私よりも若そうなカップルもおり、改めてお遍路人気がうかがえた。
五重塔は広島県福山市の明王院五重塔を参考にして、昭和50年に建造された新しいものであり、朝の日差しを浴びて荘厳な
雰囲気を醸し出していた。