寺伝によると、大同2年(807年)弘法大師空海が平城天皇の勅願寺として、開創したという。
天正年間(1573年〜1593年)には長宗我部氏の戦の影響で被害を受けるが、本堂(国宝)や
仁王門(重要文化財)は兵火を免れて現存している。
五重塔は古い塔が明治43年まで存在していたようだが、老朽化のため取り壊され、現在のものは
大正2年(1913年)に再建されたものである。
(仏塔訪問日記)
仏塔としては数少ない大正期に建てられた五重塔である。
この五重塔の特徴は見てもらってもわかるように、その極端に細長い形状であろう。
一般的に五重塔は、飛鳥時代から江戸時代にかけて新しいものほど、逓減が小さく、、
その総高に対する相輪の高さの割合が、小さくなっていくと言われている。 これは上重の屋根を大きくして細長く建てても、倒れにくくする建築技術の進歩によるものである。
しかしその結果、江戸時代以降の新しい塔は、全体的に、法隆寺五重塔など古い塔に見られるどっしりとした安定感が無く、
ヒョロ高くひ弱な印象になってしまった。
ある意味この本山寺五重塔は、その建立年代から見ても、逓減と総高に対する相輪の高さの割合が小さい五重塔の、最終形体
とも言えるかもしれない。
昭和に入ると逆に、法隆寺や醍醐寺など、逓減が大きく相輪が長い古い五重塔を手本にして建立される傾向が強くなり、
江戸期以降のヒョロ高い不安定な見た目の五重塔は、あまり手本にされなくなる。
これは懐古主義とかそういうものではなくて、相輪が長くどっしりと安定感がある古い五重塔の方が、誰が見ても客観的に美しく見えるということなのだろう。
ある意味この本山寺五重塔は、江戸期以降の逓減が小さく相輪が短いのを特徴とする五重塔の、最後の例として、非常に貴重なものと言えるだろう。