醍醐寺 五重塔
国宝
(951年 平安時代中期)
37.8m

国宝の仏塔画像ギャラリーに戻る

国宝建造物一覧へ戻る

HOMEに戻る

醍醐寺 五重塔 (Daigoji Temple)

874年空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに、 如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付け、後に「上醍醐」と呼ばれるようになる。
 五重塔周辺の大伽藍は、後に醍醐天皇が醍醐山麓の広大な平地に発展させた「下醍醐」と呼ばれる場所であり、 上醍醐と下醍醐は険しい山道で隔てられ、徒歩で一時間は有するという。
 この五重塔は朱雀天皇の発願で建立、935年起工、17年の歳月を費やして952年に完成したもので、伽藍造営の初期に造られた 現存建造物として、非常に貴重な塔である。


(訪問日記)

日本三名塔(他に法隆寺瑠璃光寺)の一つであるだけあって、かなりメジャーな仏塔である。 ちょうど桜の時期に行ったからなおさらだが、数多くのカメラマンが五重塔と桜の写真を撮るのに群がっていて、 人がいない瞬間に写真を撮るのに苦労した。

醍醐寺五重塔は、悪名高き『応仁の乱』によって醍醐寺伽藍の大半が焼き尽くされた中を残った京都最古の木造建築である。 美しさだけでなく貴重さを兼ね揃えた、まさに国宝中の国宝といえるだろう。

話はそれるが、『応仁の乱』とはつくづく救いようの無い戦乱である。ちっぽけな権力争いのために、庶民たちの命を虫けらのように奪い、 後世に貴重な文化財となるはずであった建築物を、ことごとく破壊しつくした超蛮行の数々・・・。

時代劇や小説で、『応仁の乱』を扱ったものが極端に少ないのもうなづける。 細川派と山名派、どちらが勝っていたとしても、みんな自分の目先の損益しか考えていない人物ばかりだし、 どのみちすぐに破滅の道へ進んでいただろう。 人間的魅力が全く無い、ただの蛮人たちのエゴにまみれたテロ活動の数々が、ドラマティックな内容になろうはずもない。 むしろ日本一美しきこの五重塔が、そんな危険な時代を生き抜いてきたという事実の方が、よほどドラマティックである。



初回訪問&撮影日(2010年3月27日)


国宝の仏塔画像ギャラリーに戻る

国宝建造物一覧へ戻る

HOMEに戻る

実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。




アクセス
地下鉄醍醐駅より徒歩10分

(JR・京阪・地下鉄)山科駅より京阪バス「醍醐三宝院」下車すぐ

駐車場有

仏塔巡礼ドライブ難易度 易しい(★★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

仏塔巡礼おすすめアクセス方法
地下鉄醍醐駅からなら、徒歩で10分程度なのでおすすめである。
自動車は、特に桜の時期になると大混雑が予想されるので
あまりおすすめできない

〒601-1325 京都市伏見区醍醐東大路町22


国宝の仏塔画像ギャラリーに戻る

国宝建造物一覧へ戻る

HOMEに戻る

より大きな地図で 日本国宝&重文指定仏塔マップ を表示