東大寺(華厳宗大本山)
復元七重塔相輪
指定なし
(1970年 昭和45年)


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東大寺(旧大阪万博) 復元七重塔相輪部
Todaiji Temple

東大寺は728年に聖武天皇が建立した金鐘寺を始まりとする。 741年に聖武天皇自身が各地に国分寺の建立を命じた際、 金鐘寺を大和国分寺として金光明寺と称した。 745年に大仏をはじめ伽藍の造園が開始された時期に東大寺という名称になる。
 東大寺の「東塔」と「西塔」は、764年に建立され、高さは70m以上あったと思われる。 「東塔」は1180年の平氏の南都焼き打ちなどで焼失し、 1227年に再建後も、1362年に落雷で再び消失した。「西塔」も平安時代に焼失し、現在は両塔の基壇が部分のみが残っている。
 1970年大阪で開催された日本万国博覧会の古河館では、その東大寺七重塔が再現された。  建物は博覧会終了後取り壊されたが、相輪のみが保存され、大仏殿回廊の東側に建てられている。


(仏塔訪問日記)

ある意味、日本の経済成長を象徴する出来事の一つともいえる 『日本万国博覧会』 。 その会場のパビリオンの一つである 『古河館』 で再現された 『東大寺七重塔』 は、 その巨大さゆえに、一際人々の目を引いた。
 博覧会終了と共にその塔は役割を終え、現在はその相輪部のみが、東大寺の片隅でひっそりとたたずむ。

日本初の万国博覧会開催に際して、終了後に取り壊すことを前提に、あんな巨大な東大寺七重塔を再現したという 事実。 それだけでも、当時の日本経済の勢いが、今とは比較にならないほど凄かったことがわかる。
 博覧会当時の日本人は、巨大な太陽の塔や復元東大寺七重塔を見て、まだ見ぬ日本の未来への期待に、胸を膨らましたことだろう。

博覧会のテーマであった『進歩と調和』。 それがたかだか40年足らずで失速してしまう未来など、当時の人々は予想だに していなかったはずである。 一体、いつから日本人は、未来に希望を持てなくなってしまったのだろう?

少し前に、東大寺七重塔の再建計画が噂された。
 もし現在の技術力でじっくり時間をかけて七重塔を再建したら、 大阪万博で再現された七重塔など、比較にならないくらい精密で立派なものが出来ることだろう。
 ただし、1970年当時の人々が、あの古河館で再現された巨大七重塔を見たときに抱いた、未来への夢や希望・・・・それらを超えるものを、現在の世で造り出すのは、至難の業と言えるのかもしれない。


初回訪問&撮影日 2012年01月15日


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東大寺旧伽藍の模型

この相輪部だけでも23mもある。
七重塔がいかに巨大なものだったかがわかる。

1909年の日英博覧会用に製作された
東大寺旧伽藍(七重塔)の模型

1970年大阪で開催された日本万国博覧会の古河館で再現された東大寺七重塔


万博記念公園(大阪府吹田市)で現在も残る太陽の塔
交通アクセス

JR大和路線・近鉄奈良線「奈良駅」から市内循環バス
「大仏殿春日大社前」下車徒歩5分

近鉄「奈良駅」から徒歩20分

周辺に有料駐車場有

仏塔巡礼ドライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法

公共機関でも自動車でも問題ないが、
土日祝などは周辺駐車場が混むことが多い。

住所

奈良市雑司町406-1

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