国宝 豊国神社唐門 (京都市東山区)


豊国神社
唐門
国宝
桃山時代

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(歴史)

慶長3年(1598年)に63歳で亡くなった秀吉の遺体は、遺命により東山の阿弥陀ヶ峯の中腹に葬られ 、その麓には、廟社が造営された。 豊臣氏の滅亡後、その廟社は徳川幕府に廃祀されたが、 明治13年、旧方広寺大仏殿跡にあたる当地に社殿が再建され、別格官幣社として復興され、明治31年には 荒廃していた廟墓も阿弥陀ヶ峯の頂上に再建された。
 この唐門は伏見城の遺構と伝え、二条城から南禅寺の金地院を経て、ここに移築。  西本願寺、大徳寺の唐門と共に、国宝三唐門の一つとされている。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

豊国神社は、豊臣秀吉を祀った珍しい神社である。 徳川幕府には忌み嫌われ放置されたが、明治になって、 明治天皇は秀吉を「天下統一を果たしたが、幕府を作らず天皇を尊重した人物」と再評価し、社殿が再建され、この 唐門が移築されてきた。
 秀吉は歴史上、数多くの貴重な建造物を破壊したが、その代わりに数多くの貴重な 建造物の創建や再建を支持したのも事実である。
 もともとは秀吉の居城、伏見城の城門だったこの唐門を見ていると、確実にここに秀吉の魂が存在していると思えてきた。


初回訪問日&撮影日 2012年06月07日

(※国宝建造物撮影ポイント)
外観は自由に撮影可能。


アクセス
京阪電気鉄道「七条駅」から徒歩約8分
又は市バス206・208系統「博物館三十三間堂前」下車、徒歩約5分

駐車場 有

国宝建造物巡りドライブ難易度 (★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

国宝建造物巡りおすすめアクセス方法

七条駅から徒歩で三十三間堂妙法院と合わせて巡るのがおすすめ

住所
京都市東山区大和大路通正面茶屋町530


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