日本100名城 022番 八王子城(―) 東京都八王子市本丸 曳橋 御主殿入口通路石段 日本100名城 022番 八王子城(―) 文化財史跡区分(国指定史跡) HOMEに戻る |
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(歴史)八王子城は、小田原に本拠地をぽた後北条氏三代目氏康の三男、北条氏照が築いた山城である。
天正10年(1582)頃に築城が開始され、天正15年(1587)頃までに滝山城から拠点を
移したといわれている。
八王子城築城に際し氏照が構想していた城郭は壮大なもので、落城時はまだ未完成であったと考えられる。 城は大まかに、城下町にあたる『根小屋地区』、城主氏照の館などがあった『居館地区』、 戦闘時に要塞になる『要害地区』に分かれていた。 (100名城訪問日記)この日は神奈川県鎌倉市の円覚寺において、普段は非公開の国宝建築・
舎利殿の特別公開の日だったので、
それに合わせて、関西から神奈川県の鎌倉市に来ていたのだが、舎利殿の見学を終えた時点でまだ正午前だったので、
せっかくだから最寄駅の「北鎌倉」駅から時間がかからず立ち寄れる別の史跡がないか考えてみた。
ということで、八王子城へ行くことに決定した私は「北鎌倉」駅を後にし、電車を乗り継ぎ、
八王子城の最寄り駅である「高尾」駅までやってきた。
駅前のバス停でパンを食べながら待っていると、半分ぐらい食べたところでバスが到着。
ところで八王子城は、大まかに、
城主氏照の館があり生活の中心になっていた『居館地区』と、戦闘時に要塞となった『要害地区』、
城の城下町にあたる『根小屋地区』という三つの地区にエリア分けされるのだが、
『根小屋地区』に関しては、ガイダンス施設と、そこに来る途中に立ち寄った宗関寺と、
北条氏照及び家臣墓などがある場所周辺のことなので既に見学済だった。
『居館地区』では、家族連れや初老夫婦など多くの人々が私と同じように見学に訪れており、
私が今まで訪れた各地の山城の中では最も観光客が多かったように思う。
私はひとまず御主殿跡までを見学後、御主殿跡のベンチに座り、先ほどのバス停で食べたパンの残りを食べ、
更に御主殿の滝の方へ下りていった。
『居館地区』をあとにした私は、いよいよ残された『要害地区』の方へ歩いて行った。
『居館地区』へ続く道は、起伏が激しくなくて非常に楽だったが、
本丸跡や八王子神社などがある『要害地区』へ続く道はそうはいかない。
ガイダンス施設からは片道40分程度だが、それはずっと起伏の激しい山道を登り続けての約40分。
前回行った広島県の山城・郡山城も本丸まで約45分の登りの山道でしんどかったが、
今回も大概だった。
しかも、郡山城の日は、郡山城のみの見学だったので、
ある程度下調べもし、山歩きに対する心の準備もできていた。
しかし今回の八王子城は、正直なところ、鎌倉市の国宝・円覚寺舎利殿を見学した後に時間があったから
急遽、その観光を決定したようなものだった。
だから、心の準備など皆無。
『要害地区』は『居館地区』のように、復元された史跡があったりするわけでなく、
本丸や金子曲輪、松木曲輪などとった、曲輪などが残るだけなので、
八王子城跡へ来る観光客の中には『居館地区』だけを見学して帰る人も多いのだという。
城跡見学は、国宝建築や仏塔と違って、その見学にどんなに時間をかけても、 100%見学できたと確信できることは無い。 だから見学には大変時間がかかることが多いのだが、 その主要な史跡の数々を自分の納得ができるまで見学することができたあとの達成感は、国宝建築や、 仏塔よりも大きいように思う。 訪問日&撮影日 2016年11月03日
(※百名城スタンプ設置場所)八王子城跡管理棟 |
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@大手門跡付近の横堀 現在は埋め戻されているが、昭和63年の調査で門の礎石や敷石が見つかったという。 大手門は城の表門にあたり、このあたりが八王子城の正面口であったと考えられている。 いわゆる「薬医門」とよばれる形状の門だったいう。 |
A大手門跡付近の古道 古道は戦国時代に御主殿へ入る道として使われていた。 当時は、城山川下流方面へさらに続いていたと考えられる。 |
B曳橋 整備された御主殿跡へ入るための通路として、城山川にかけられた橋だが、 当時はこの位置に簡単な木橋をかけ、その橋を壊すことで敵の侵入を防いだという。 |
C御主殿虎口 虎口とは城や曲輪の出入り口のことであり、防御と攻撃の拠点となるようにさまざまな工夫が こらしてある。 御主殿の虎口は、木橋をわたった位置から御主殿内部まで高低差9mを 「コ」の字形に折れ曲がった階段通路としているのが特徴である。 階段は全体で25段、踏面が平均1m、蹴上が36cmで、約5mの幅をもち、途中の2カ所の踊り場とともに、 全面に石が敷かれているのは八王子城独自のものだという。 石垣や石畳はなるべく当時のものをそのまま利用し、できるだけ忠実に再現されたという。 |
D御主殿入口の門 御主殿入口の門は、冠木門といい、当時の門をイメージして建てられた。 |
E御主殿跡 氏照の館などがあったとされる。 落城後は幕府直轄領や国有林であった経緯から、 当時のままの状態で残っていたという。 発掘調査の結果、建物の礎石や水路跡、 多数の遺物が出土。 現在、礎石などの位置がわかるように復元的整備が行われてる。 |
F会所跡 会所は主殿で儀式を終えた後、宴会などが行われた場所と考えられる。 広さは11間×6間(20.9m×13.3m)で、北側が主殿と廊下でつながっている。 会所の北東には庭園が造られている。 現在、同時代の他の建物の例などを参考に床が再現されている。 |
G道路状遺構 この道路状遺構は幅が約3.2m、確認された長さは15mで、南西側の調査区外へ続く。 北東側と南東側はそれぞれ石囲い水路に、北西側は石列によって区画されている。 |
H御主殿の滝 落城時に御主殿にいた北条方の武将や婦女子らが、滝の上流で自刃して次々に身を投じ、 その血で城山川の水は三日三晩赤く染まったと伝わる。 |
I八王子城本丸方面登山口
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J金子曲輪 金子三郎右衛門家重が守備したといわれ、尾根をひな壇状に造り、 敵の侵入を防ぐ工夫がなされる。 |
K展望場所からの眺め |
L松木曲輪 中山勘解由家範らがこのあたりを守備し、八王子城攻めの際に奮闘したが、多勢に無勢で防ぎきれなかった。 前田利家は家範の武勇をおしみ助命を申し入れたという。 その後、遺された子息は徳川家康に仕え、水戸徳川家の付家老になった。 |
M八王子神社 八王子神社は、牛頭天王とその眷属神である八人の王子を祀る信仰とともに、全国に点在する。 この城山の八王子権現は、延喜16年(916)に華厳菩薩妙行が祀り、 北条氏照が城の守護神としたもので、城の名称や八王子の地名の由来になったとされる。 |
N本丸跡 城の中心で、最も重要な曲輪。 平地があまり広くなく天守閣などの大きな建物はなかったと考えられる。 横地監物吉信が守備したといわれる。 |
O本丸跡 |
交通アクセス
JR中央本線「高尾」駅北口から多摩バス「霊園正門経由」で約5分「霊園前」下車、 八王子城跡管理棟まで徒歩約20分、そこから本丸まで徒歩約40分 土日祝のみ「城01系統」八王子城跡行きバスが1時間に1本程度出てて、八王子城跡管理棟すぐ横の 「八王子城跡」バス停まで行ける。 駐車場 有 100名城巡りドライブ難易度 (★) (★1つ)非常に易しい (★2つ)易しい (★3つ)ふつう (★4つ)難しい (★5つ)非常に難しい おすすめアクセス方法 どのアクセス方法でも問題ない 住所 〒193-0826 東京都八王子市元八王子町・下恩方町・西寺方町 |
地図中の22番 |