国宝 石山寺 本堂 滋賀県大津市


本堂(国宝)


本堂(国宝)


多宝塔(国宝)


石山寺
本堂
国宝
1096年(永長元年)

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(歴史)

石山寺は、聖武天皇の勅願により天平勝宝元年(749)、良弁僧正を開基として開かれた寺院である。  西国巡礼13番札所。 また、紫式部が参籠して『源氏物語』を書きはじめたとも伝わる。
 本堂は、承暦2年(1078年)の火災焼失後、永長元年(1096年)に再建されたもので、懸下木造建築最古であり、 滋賀県下最古の木造建造物として知られている。  その内陣には本尊如意輪観音を安置する巨大な厨子がある。 外陣(合の間と礼堂)は淀殿の寄進で、慶長7年(1602)に修補されたものである。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日は、新車の慣らし運転も兼ねて、私の自宅から高速で一時間足らずの場所にあるこの石山寺へ やって来た。
 石山寺には、かなり前に多宝塔(国宝)を撮影するために来たことがあったのだが、寺内でもう一つの国宝建造物であり、 滋賀県下で最古の木造建造物である本堂の撮影がまだだった。

前述のとおり、ここは私の自宅から近いので、 その気になればいつでも来れたのだが、今日までずっと、気が進まなかった。
 その理由は、この本堂を撮影するのが、非常に難しいからである。
 念のため言っておくと、この本堂は、撮影が禁止されている訳でも、 立ち入り禁止場所に建っている訳でもない。
 にもかかわらず、その撮影の難しさは、全国宝建造物中、かなり上位に 位置するといえるだろう。
 その理由は明白。 周囲四方、どちらにまわっても、多くの木々が生い茂っているからである。
 私は何年か前にここに来た時は、そのあまりの難しさに、途中で撮影を断念した。
 そして今回、あらかじめネットなどで下調べをし、猛暑の中汗だくになりながら、境内のありとあらゆる場所へまわり、本堂の外観が最もよく分かる アングルを探したが、やはり以前とさほど変わらない結果となってしまった。

どれだけ撮影が難しいかは、googleで、「石山寺本堂」というワードで画像検索してみてほしい。
 そこには、もし石山寺本堂を知らない人が見ても、どんな形状の建物なのか、絶対に判断できない画像ばかりがあがってくる ことだろう。

石山寺本堂の美しさ、素晴らしさは画像では判断できない。
 それらを判断するのは、実際に石山寺へ行って、その目で確かめるのが一番手っ取り早い方法だと言えるだろう。


初回訪問日&撮影日 2013年07月18日

(※国宝建造物撮影ポイント)

外観は自由に撮影可能だが、周囲に木々が生い茂る立地の関係上、全体像を撮影するのは不可能に近い。


@東大門(重要文化財)

入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立ではあるが、 本堂の礼堂が建立されたのと同時期の近世初期に大幅な修理を受けている。


A鐘楼(重要文化財)

桁行三間、梁間二間、重層で袴腰を付け、屋根は入母屋造り、桧皮葺である。 源頼朝の寄進と伝えられているが、 様式や木材の風蝕から鎌倉時代後期のものと推定されている。


B御影堂(重要文化財)

室町時代の建立。 正面三間、側面三間、宝形造、桧皮葺で、背面に一間の張り出しを設けている。 慶長期に堂全体の修理が行われたが、室町時代の軸部を残し、慶長期の洗練された外観をもつ建築として、 国の重要文化財に指定されたのは、平成20年12月のことである。


C蓮如堂(重要文化財)

懸造、桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、妻入、桟瓦葺。 淀君による慶長期の境内復興の際に、 もともとは三十八所権現社本殿の拝殿として建築される。 明治以降は蓮如上人六歳の御影や遺品を祀る堂として 使用されていることから蓮如堂と呼ばれている。 神事のほか、仏事にも使用された非常に希な建物である。


D三十八所権現社本殿(重要文化財)

本殿は、一間社、流造で、屋根は桧皮葺である。 桃山時代の大規模な伽藍整備の際、慶長七年(1602) に建立されたとする。 もともと石山寺の鎮守として創建されており、もともとの拝殿であった蓮如堂と 合わせて、寺院における鎮守社本殿及び拝殿の構成や礼拝形態を伝える貴重な遺構として、平成20年に 国の重文に指定された。


E経蔵(重要文化財)

経蔵は桃山時代建立の、高床の校倉でかつては国宝の淳祐内供筆聖教等を収蔵していた。 桁行三間、梁間二間、 一重、切妻造、桟瓦葺。 県下では数少ない校倉造の遺構であり、 全国的にも数少ない切妻造の校倉として、非常に貴重である。


F宝篋印塔(重要文化財)

この宝篋印塔は、源頼朝と亀ケ谷禅尼の供養塔とよばれている内の一つである。 高さ128cmで、 南北朝時代のものと推定されている。


G毘沙門堂(滋賀県指定有形文化財)

安永2年(1773)建立。 正面三間、側面二間、一重、宝形造、桟瓦葺き。 堂内に兜跋毘沙門天(重要文化財) ・吉祥天・善膩師童子の3体を祀る。


H多宝塔(国宝)

建久5年(1194)に建立されたもので、他の多宝塔に比べ、上下左右の広がりが極めて大きく、 均整のよくとれた最美の塔と称される。 また、内部の柱や天井の廻りなどの壁面には、仏像や 草花などの極彩色の絵が描かれているという。


I本堂(国宝)

桁行七間、梁間四間、寄棟造の本堂と、桁行九間、梁間四間、寄棟造で懸造(舞台造)の礼堂と、 その両棟を結ぶ相の間によって構成される総桧皮葺の建物である。
 写真は本堂を後ろから撮影したもの。


J本堂(国宝)

本堂は天平宝字五〜六年(761〜2)にかけて造東大寺司によって拡張されたが、その後、 承暦2年(1078)に焼失。 永長元年(1096)に再建されたのが現在の本堂である。 礼堂と相の間は、慶長七年 (1602)に淀君によって建て替えられた。
 正面から撮影したものだが、この写真では、どんな建物なのか 絶対に分からないだろう・・・。




K本堂(国宝)

別角度から。 どちら側に回ってもその周囲は木ばっかり。 これだけ写真に撮りにくい建造物は珍しい・・・。


L多宝塔(国宝)

本堂に対して、同じく国宝のこの多宝塔は、広い場所に建っており、かなり写真を撮りやすい。

アクセス 京阪電鉄石山坂本線「石山寺」駅から徒歩10分

駐車場 有

仏塔巡礼ドライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
電車でも自動車でも行きやすい場所にある。

住所
〒520-0861 滋賀県大津市石山寺1-1-1


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