国宝 金剛輪寺本堂 滋賀県愛知郡秦荘町


金剛輪寺
本堂
国宝
室町時代前期

国宝建造物データ一覧に戻る

HOMEに戻る

(歴史)

金剛輪寺は天平13年(741年)聖武天皇の勅願によって行基が開いた。  平安時代の初めには、比叡山より慈覚大師が来山、天台密教の道場とされて以来、延暦寺の末寺、天台宗の大寺院となり、鎌倉時代に入ってからは近江の豪族の保護によって発展した。
 天正元年(1573年)、織田信長の兵火で被害を受けるが、現存の本堂、三重塔は焼失をまぬがれたという。
 本堂は、入母屋造、檜皮葺の和様建造物で、須弥壇の金具に弘安11年(1288年)の銘があり、本堂自体もそのころの建築と思われているが、 本堂内部にある木鼻の装飾やその構造様式から、室町時代前期の建造であるとする説もある。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

金剛輪寺は、西明寺や百済寺と合わせて「湖東三山」と呼ばれている。 湖東三山はどれも織田信長の兵火による被害をもろに受けており、特に 百済寺の建造物は壊滅的被害を受けたようだ。 しかし、なぜかこの金剛輪寺や西明寺は、奇跡的に主要堂塔である本堂と三重塔が、焼失を まぬがれて現存する。
 私は同じ日にこの金剛輪寺と西明寺を参拝したのだが、二寺とも非常によく似た印象を受けた。 
 よく知らないが、あの気性の荒くて抜け目が無いイメージがある信長が、この二寺の本堂及び三重塔といった主要堂塔を焼かずにいたのはなぜだろう?  まさかうっかり忘れていたのか、それとも建物に気づかなかったのか?
 何にせよ、金剛輪寺と西明寺の美しい本堂や三重塔が現存しているのは奇跡のようなものだろう。


初回訪問日&撮影日 2010年05月15日

(※国宝建造物撮影ポイント)

外観は自由に撮影可能


三重塔(重要文化財)

本堂(国宝)
アクセス
JR稲枝駅より彦根観光バス「金剛輪寺行き」乗車(平日のみ運行)
もしくは、JR稲枝駅よりタクシーで15分

駐車場 有

仏塔巡礼ドライブ難易度 易しい(★★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

仏塔巡礼おすすめアクセス方法
バスは平日のみで便数が少ないようである。
広々とした駐車場があるので自動車が行きやすい。

住所
〒529-1202 滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874


国宝建造物データ一覧へ戻る

HOMEに戻る
国宝建造物が複数ある場合は代表地点を表示

より大きな地図で 日本国宝建造物マップ を表示