国宝 広隆寺 桂宮院本堂 (京都市右京区)




広隆寺
桂宮院本堂
国宝
鎌倉時代前期

国宝建造物データ一覧に戻る

HOMEに戻る

(歴史)

日本書紀によると、推古天皇11年(603)、大陸からの帰化人・秦河勝が、 聖徳太子から半跏思惟像を賜り、これを本尊として蜂岡寺を建てたのが広隆寺の前身だという。  しかし、平安時代の広隆寺縁起によると、泰河勝は推古天皇11年に仏像を賜り、30年(622年)、 聖徳太子の亡くなった年に寺が完成したとされているので、初期の歴史は明確ではない。
 その後何度か火災にあうも、その都度復興されてきたという。

桂宮院本堂は、境内西側の塀で囲まれた一画にある。聖徳太子像を祀る。  法隆寺夢殿と同じ八角円堂であるが、建築様式的には純和様で檜皮葺き。  はっきりした建造年は不明だが、建長3年(1251年)、中観上人澄禅による当堂建立のための勧進帳があることから、 おおむねその頃の建立と推定される。  国宝の附(つけたり)として指定されている堂内の八角形の厨子も、堂と同時代のもの。  本尊の聖徳太子半跏像(鎌倉時代、重要文化財)は霊宝殿に移されている。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日は、石清水八幡宮の国宝本殿特別公開のイベントが、昼と夜の2回行われており、 昼の特別公開の拝観が終わって夜の特別公開まで4時間程、空いた時間が出来てしまった。
 そこでその空いた時間を利用して、この国宝・桂宮院本堂有する広隆寺へやって来たわけだが、 桂宮院本堂は、非公開建造物である。
 だから本来、拝観することはできないのだが、関連サイトによると、 広隆寺駐車場からその屋根部分だけなら見ることができるとのことだった。  だから、元々全然来るつもりはなかったが、空いた時間にブラブラするのも勿体無い。
 そこで、やっつけ仕事感が半端ないが、来て撮ったのが、上の画像である。
 だから特に感想は無いが、京都の寺社の閉鎖性を絵に描いたような寺院だなという印象である。
 歴史のある素晴らしい寺宝を多く有する寺院だけに残念だ。

ちなみに、上記の『国宝建築評価チャート図』で、『お勧め度』の項目は1点になってるが、 そもそも非公開なのだから、0点にしてもよかったぐらいである。  駐車場からかろおじて見れる点で1点にしただけであるが、わざわざ見に行く価値は無いのでおすすめはしない。


初回訪問日&撮影日 2016年05月04日

(※国宝建造物撮影ポイント)
非公開のため撮影不可能。 少し離れているが、駐車場から屋根部分の一部だけ見るなら可能。


アクセス
京福電気鉄道嵐山本線(嵐電) 『太秦広隆寺』駅下車すぐ

駐車場 有

国宝建造物巡礼ドライブ難易度(★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

国宝巡礼おすすめアクセス方法
周辺道路は非常に混む。市バスまたは電車の利用がおすすめ。


国宝建造物データ一覧へ戻る

HOMEに戻る
地図上07番