国宝 旧開智学校 校舎(長野県松本市開智2丁目4番12号)


校舎(国宝)




旧開智学校
校舎
国宝
1876年(明治09年)

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(歴史)

旧開智学校校舎は、 建築面積513・58平方メートル、二階建、寄棟造、桟瓦葺、中央部八角塔付の木造建造物である。
 明治9年に地元の大工立石清重により建設された。  立石は建設に先立って東京や横浜に赴き、当時最新の洋風建築の情報を収集。  それは、木造2階建であり、正面中央に二層の車寄をつけ、その上方に八角形の塔屋を載せる。  車寄は正面に龍の彫刻、上部の露台に瑞雲の彫刻を飾り、その上の唐破風屋根に天使の彫刻を付した額を掲げる。  外壁は漆喰塗で、腰石積と隅石積を鼠漆喰で擬似的に表現し、縦長窓を等間隔に並べるなど、洋風を基調としながら我が国の伝統意匠を織り交ぜる。  内部は中廊下で動線を確保し、級別授業に対応した教室や広い講堂、教員控所などを整然と配置。

令和1年9月30日に国宝指定を受ける。 指定のポイントは、和洋の要素を用いて独創性豊かで優れた意匠の校舎に再構築するとともに、 全国で盛行した擬洋風校舎の中でも先駆的な計画性と高い完成度を備えている点であり、 近代化を推進した開化期の洋風建築受容を示し、近代教育の黎明を象徴する最初期の擬洋風学校建築として、 深い文化史的意義を有す。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

旧開智学校校舎は、2019年9月30日に新たに国宝指定されたばかりの建造物である。
 だから早速このサイトで紹介したわけだが、 この令和初の国宝指定建造物を見学するために、わざわざ大阪の自宅から長野県松本市まで車を走らせてみたというわけではない。
 実はこの旧開智学校校舎。 この度国宝指定された2019年より7年前の2012年の11月に、 同じ松本市内の松本城を見学したついでに立ち寄り、既に見学済みだったのである。  だからその当時の写真データが残っており、国宝指定後すぐにこのサイトで紹介することができたのである。
 建造物の国宝指定は、現在でも少しずつ増え続けている。  全国の国宝建築見学コンプリートを目指す私としては、この旧開智学校校舎のように、 以前に行った史跡巡りのついでにたまたま立ち寄った建造物が、新たに国宝指定されるのは、 非常に嬉しく得した気分になる。

全国の国宝建築をを巡るには莫大な時間と交通費を要する。  だから時間短縮と交通費を抑えるために少しでも効率的に国宝建築巡りをしようということになり、 結果、ある程度国宝候補に挙がっていそうな重要文化財建造物も予想し、目星をつけて巡り、それを写真におさめておくのは、 いわゆる『撮り国宝建築』たちにとっては常識なのである。
 国宝建築巡りをはじめてはや、十数年経つが、私の国宝指定予想が当たったのはまだ数回しかない。


初回訪問日&撮影日 2012年11月20日

(※国宝建造物撮影ポイント)
撮影自由


アクセス
JR中央本線松本駅からバスで12分または徒歩25分

駐車場 有

国宝建造物巡礼ドライブ難易度(★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

国宝巡礼おすすめアクセス方法
駐車場は台数に限りがあるので、公共機関によるアクセスがおすすめ


松本市開智2丁目4番12号

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地図上145番