日本100名城 030番 高遠城(兜城) 長野県伊那市日本100名城 030番 高遠城(兜城) 国指定史跡 上の写真は太鼓楼 大正2年(1913)建造 HOMEに戻る |
|
---|---|
(歴史)高遠城はもともと、高遠頼継が居城としていたが、天文14年(1545)武田信玄によって攻略され、大規模な
改修が行われた。
(100名城訪問日記)ここ高遠城へは、松本城を見学後、自動車で来た。
この高遠城は、数々の有名武将たちの攻防の舞台になり、歴史的に見て非常に重要な城であるが、
明治時代に入り廃城になり、その建造物のほとんどが取り壊されたり、民間に払い下げられたので、建造物等は少なかった。
しかし、空掘、土塁などの遺構ははっきりと確認ができるので、この場所に城があったことは、理解できた。
しかし私が来たこの日は、紅葉もすぎており、特にそういった見所がある季節ではなく、私以外の観光客は誰もいなかった。
初回訪問日&撮影日 2012年11月20日
(※百名城スタンプ設置場所)伊那市立高遠町歴史博物館 |
|
@伊那市立高遠町歴史博物館 100名城スタンプ設置場所。 スタンプは玄関に置いてあった。 |
A伝、高遠城大手門 この門は高遠高等学校が、この地にあった昭和59年(1984)まで正門として使用されていた。 昭和29年(1954)に移築されたものであるが、その形は切り詰められ当時の姿ではないという。 |
B桜雲橋と問屋門 このあたりから見る桜がベスト・スポットなのだそうだ。 |
C問屋門 この門は、高遠城下、本町の問屋役所にあった問屋門である。 昭和20年代、問屋役所建物取り壊しの際、 他に売却されていたが、町の有志が買い戻し、募金を集めて現在地に移築したものである。 |
D本丸跡
高遠城は巧みに天然の地形を利用し、本丸を段丘の突端に置き、東から北にかけて二ノ丸、
さらにその外側に三ノ丸を廻らせた城郭三段の構えをもっていた。
|
E太鼓楼 江戸時代には、時を報じるのに太鼓を打っていた。鼓楼は、搦手門の傍らにあって楼上に三鼓を備え、常に番人をおいていて、時刻がくると、 予備の刻み打ちを繰り返した後、時の数だけ太鼓を打って、時を知らせていたという。 現在の太鼓楼は再建されたものである。 |
F進徳館(国指定史跡) 高遠城内で数少ない現存建造物。 内藤頼直により開校(1860)、明治4年(1871)廃校となった。 進徳館からは近代日本を動かした多くの人材を生んだという。 伊沢修二をはじめ、教育界で活躍した人が多い。 |
G高遠閣(登録有形文化財) 昭和11年に、観光客の休憩所や町内の集会所として高遠城内に建てられた建物。 |
交通アクセス
JR飯田線「伊那市」駅からJRバス関東高遠線で約25分「JR高遠駅」下車、徒歩約15分 駐車場 有 100名城巡りドライブ難易度 (★★) (★1つ)非常に易しい (★2つ)易しい (★3つ)ふつう (★4つ)難しい (★5つ)非常に難しい おすすめアクセス方法 駐車場が広いので自動車によるアクセスがおすすめ。桜の時期は混むらしい。 住所 長野県伊那市高遠町高遠城跡 |
より大きな地図で 日本百名城 を表示 |