日本100名城 030番 高遠城(兜城) 長野県伊那市


日本100名城 030番
高遠城(兜城)
国指定史跡
上の写真は太鼓楼 大正2年(1913)建造

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(歴史)

高遠城はもともと、高遠頼継が居城としていたが、天文14年(1545)武田信玄によって攻略され、大規模な 改修が行われた。
 三峰川の断崖を背に本丸と、それを囲むように二の丸、三の丸が配された「後ろ堅固」の構えの縄張りだったが、 武田勝頼の実弟仁科盛信が城主のとき、織田信長の高遠城攻めにより一日で落城。
 高遠城攻めに功のあった毛利長秀が城主となるが、そのわずか3ヵ月後に本能寺の変が起こり、高遠城には突如、武田家の旧臣・木曾義昌が攻め込み、 これを占領した。以後、徳川家康と木曾義昌の攻防の舞台となるが、結局、家康によって木曾義昌は高遠城を追われて深志城に撤退した。
 江戸時代になると高遠藩の藩庁となり、1691年(元禄4年)に内藤清枚が入封後、高遠城は内藤氏8代の居城として明治維新を迎えた。
 城の縄張りは中世の状態を踏襲しているが、本丸には御殿と天守代用として三層の辰己櫓が上がり、 主要な城門は枡形虎口形式の櫓門が建てられており、長大な長塀に囲まれた近世城郭であった。


(100名城訪問日記)

ここ高遠城へは、松本城を見学後、自動車で来た。
 まずは伊那市立高遠町歴史博物館の駐車場で車を止めて、博物館に入って100名城スタンプを押印。
 その後、少し離れた本丸跡近くの駐車場へ移動してとめ、高遠城の史跡の数々を見学した。

この高遠城は、数々の有名武将たちの攻防の舞台になり、歴史的に見て非常に重要な城であるが、 明治時代に入り廃城になり、その建造物のほとんどが取り壊されたり、民間に払い下げられたので、建造物等は少なかった。  しかし、空掘、土塁などの遺構ははっきりと確認ができるので、この場所に城があったことは、理解できた。
 ところでこの高遠城は、前途のとおり現存建造物は少ないが、 その後、公園として整備され、明治8年にさくらの木が移植されたのをきっかけに、 全国的に有名な桜の名所なり、「さくら名所100選」にも選ばれるほどになったという。
 ここのタカトオコヒガンザクラと呼ばれる桜は四月中旬がピークで、その時期には数多くの観光客で賑わうそうだ。

しかし私が来たこの日は、紅葉もすぎており、特にそういった見所がある季節ではなく、私以外の観光客は誰もいなかった。
 いや、観光客どころか、係員その他、人自体に全く出会わなかったのである。
 史跡見学に行って、観光客が多すぎるのもアレだが、逆に全くいないのも少し淋しい。  この日は11月下旬にしてはまだ暖かかかったが、私以外誰もいない城跡は、実気温よりも寒々しく感じたものである。
 見学後私は、トレンチ・コートの襟を立てながらこの地を去り、次の目的地である、光前寺三重塔へと車を走らせた。

初回訪問日&撮影日 2012年11月20日

(※百名城スタンプ設置場所)
伊那市立高遠町歴史博物館

@伊那市立高遠町歴史博物館

100名城スタンプ設置場所。 スタンプは玄関に置いてあった。


A伝、高遠城大手門

この門は高遠高等学校が、この地にあった昭和59年(1984)まで正門として使用されていた。  昭和29年(1954)に移築されたものであるが、その形は切り詰められ当時の姿ではないという。


B桜雲橋と問屋門

このあたりから見る桜がベスト・スポットなのだそうだ。


C問屋門

この門は、高遠城下、本町の問屋役所にあった問屋門である。 昭和20年代、問屋役所建物取り壊しの際、 他に売却されていたが、町の有志が買い戻し、募金を集めて現在地に移築したものである。


D本丸跡

高遠城は巧みに天然の地形を利用し、本丸を段丘の突端に置き、東から北にかけて二ノ丸、 さらにその外側に三ノ丸を廻らせた城郭三段の構えをもっていた。
 江戸時代、本丸には天守は無く、平屋造の御殿や櫓、土蔵などがあったが、明治時代の廃城時にすべて取り壊される。


E太鼓楼

江戸時代には、時を報じるのに太鼓を打っていた。鼓楼は、搦手門の傍らにあって楼上に三鼓を備え、常に番人をおいていて、時刻がくると、 予備の刻み打ちを繰り返した後、時の数だけ太鼓を打って、時を知らせていたという。 現在の太鼓楼は再建されたものである。


F進徳館(国指定史跡)

高遠城内で数少ない現存建造物。 内藤頼直により開校(1860)、明治4年(1871)廃校となった。 進徳館からは近代日本を動かした多くの人材を生んだという。  伊沢修二をはじめ、教育界で活躍した人が多い。


G高遠閣(登録有形文化財)

昭和11年に、観光客の休憩所や町内の集会所として高遠城内に建てられた建物。

交通アクセス

JR飯田線「伊那市」駅からJRバス関東高遠線で約25分「JR高遠駅」下車、徒歩約15分

駐車場 有

100名城巡りドライブ難易度 (★★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
駐車場が広いので自動車によるアクセスがおすすめ。桜の時期は混むらしい。

住所
長野県伊那市高遠町高遠城跡

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