薬師寺 三重塔東塔
国宝
(730年 奈良時代)
34.1m

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薬師寺 三重塔東塔 (奈良時代)

薬師寺は天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を 見る。その後平城遷都(710)に伴ない現在地に移された。
 三重塔東塔は、薬師寺で唯一、伽藍創建当時の730年建立で現存している点や、その唯一無二のフォルムによる希少性など、 その歴史的価値は計り知れない。


(仏塔訪問日記)

数多くの仏塔の中でも、この薬師寺東塔だけは、その容姿、希少性、存在感、その他あらゆる点において他の仏塔を超越した存在だといえるだろう。

印象で言えば、日本以外の国の塔・・・、かといって中国やインドっぽくもない。例えるならまるで、東洋の架空古代文明の建造物のようだとでもいえるだろうか。

アメリカ人東洋美術史家であり、哲学者でもあるアーネスト・フェノロサがこの塔を、『凍れる音楽』と評して絶賛したなどとか、いや、フェノロサはそういうことに言及していないなどとか、 都市伝説の類が巷では流れている。

確かにフェノロサは日本仏教美術においての大恩人であり、明治時代当時、文明開化や廃仏毀釈に 毒され、自己卑下ばかりしていた日本人たちの目を覚まさせてくれた功労は計り知れないものがあるだろう。
 彼がそう評したのなら、 この東塔の価値に、多少の箔がつくというものである。

しかしフェノロサがその評価をしていようとしていまいと、薬師寺東塔の歴史的価値、美しさが、 なんら揺らぐことはない。そんなささいな出来事など、遥かに超えた存在がこの薬師寺東塔であるだろう。

白鳳文化を天平の世に伝えた歴史的にも珍しい建造物だということだが、こういう超貴重な建造物が他にもいくつも存在する『奈良県』という土地は、 その県自体が国宝的存在といえる気がする。

薬師寺東塔は、もうすぐ解体工事のために、じつに西暦2019年までもの長い間、見れなくなる。 たまたま私が仏塔に興味を持ったのが、その前でじっくり拝観できてよかったと思う。



初回訪問日&撮影日(2010年6月27日)


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実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。







交通アクセス

近鉄橿原線「西ノ京駅」下車すぐ

駐車場あり 

仏塔巡礼ドライブ難易度 易しい(★★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
自動車でも電車でも行きやすい場所にある。駐車場は南門側にある。

〒630-0863 奈良市西ノ京町457


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