(歴史)
善福院は、健保2年(1214年)にこの地へ訪れた栄西が建てた寺であり、
もともとは宝遊山広福禅寺という寺号であった。
戦国時代には領主・加茂左近の菩提寺となり、釈迦堂を本堂として、
梅田寺、了東院、吉祥院、観音院、善福院など多数の塔頭が立ち並んでいた。
現在の寺号に改められたのは明治時代初期の廃仏毀釈の際である。
国宝・釈迦堂は、桁行三間・梁間三軒、もこし付きで、寄棟造、本瓦葺、
禅宗様式の仏殿で、1327年(嘉暦02)の建立と考えられている。
功山寺仏殿とともに鎌倉時代の禅宗様建築を代表する建造物である。
実験的企画 国宝建築評価チャート図
国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化
(※)評価基準
○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、
鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、
江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、
平成時代以降(1点)
○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。
○美しさ 見た目の美しさを点数化。
○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。
○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。
以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。
(国宝建造物訪問日記)
それは非常に暑い日だった。
JR加茂郷駅で降り、外へ出た瞬間、そこから善福院釈迦堂へ向けての25分程度の徒歩を、
一瞬、躊躇させるほどの容赦ない日差し・・・。 それは同時に、車で来なかったのを後悔させるのに、十分な日差しであり暑さだった。
子供の頃も夏は暑かった。
しかし当時は、そのギラギラした日差しや、青く済んだ空、巨大な入道雲、セミの鳴き声などといった、
夏の代名詞とも言えるものすべてが心地よく感じた。
何よりも夏が大好きだったからだ。
いや、そこまで遡ってノスタルジーに浸らずとも、史跡巡りを始めたほんの4〜5年前でも、
このぐらいの暑さをものともせずに、同じように照りつける太陽の下、一日に10箇所以上、史跡巡りをしたこともある。
大好きな仏塔や国宝建造物を見るためなら、一日中、足が動かなくなるまででも歩き続けていられた。
今の私には到底真似ができない。
歳をとるにつれ、どんどん夏が嫌いになっていってるのは間違いないだろう。
加茂郷駅から善福寺へ向けてのたかだか20分程度の道のりが、果てしなく長く感じた。
あれほど好きだった国宝建造物に対する好奇心が、暑さに負けてしまっているのかと、多少ナーバスになっていたからかもしれない。
しかし、住宅地の屋根の隙間から国宝・善福院釈迦堂の巨大な屋根が見えた瞬間、それまで長く感じていた時間が一気に進みだした。
いつしか早歩きになり、あっという間に寺院石段まで到着。
石段を駆け上がり、
狭い境内に建つ純禅宗様式の二重仏殿を真正面に見た瞬間、私の周囲は一瞬にして涼しくなった。
狭い境内に建っているからだろうか。 釈迦堂は、どっしりとした安定感で、見る者に迫ってくるような
迫力を感じる。
そして夏の日差しを受けた釈迦堂は、夏の青い空に映え、周囲の田舎の原風景に溶け込む。
その夏の釈迦堂を前にすると、さっきまであれほどうるさいと感じていたセミの鳴き声も美しいメロディーに
変化した。
まだまだ古建築に対する好奇心は、全く衰えていない。
しばらくの間釈迦堂を見ていた私は、いつしか子供の頃に感じたあの夏の雰囲気を思い出し、
さっきまであれほど嫌いだった夏の暑さが、非常に心地よいものになっていた。
私が善福院釈迦堂を拝観したほんの数十分間・・・・。 私の視界に入るその風景は、二度と戻らない少年時代に体感した、あのせつなくも強烈な印象の夏そのものだったことは間違いない。
初回訪問日&撮影日 2014年08月21日
(※国宝建造物撮影ポイント)
外観は自由に撮影可能
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