国宝 瑞龍寺 山門 富山県高岡市瑞龍寺 山門 国宝 1818年(文政元年) HOMEに戻る |
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(歴史)正式名称、曹洞宗高岡山瑞龍寺は、高岡城を築城しこの地で亡くなった加賀二代藩主、前田利長の菩提を
とむらうために、三代藩主利常によって建立された寺である。
瑞龍寺山門はもともと、正保2年(1645)に建立され、万治年間に場所を変えて建てかえられた。 ところが延享3年(1746)に火災で焼失し、長らく仮の門が建てられていた。 現存する山門は、文政3年(1820)に竣工したものである。 外観は二重門で、入母屋造の柿葺屋根。 通常の二重門は、下層の屋根を上層よりも大きくつくることが多いが、 瑞龍寺山門は、積雪時に上層屋根から落ちた雪が下層屋根に当たるのを防ぐため、 上層と下層の屋根の出があまり変わらない造りになっている。 実験的企画 国宝建築評価チャート図国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化(※)評価基準 ○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。 ○美しさ 見た目の美しさを点数化。 ○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。 ○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。 以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。 (国宝建造物訪問日記)この日の散策コース
感想
瑞龍寺内の3棟の国宝建造物の建立時期は、仏殿が1659年、法堂が1655年、山門が1818年と、
他の寺院の国宝建造物と比較しても、それほど古いわけではない。
一般的にその建造物の建立時期が古ければ古いほど国宝に指定されやすいのは、衆知の事実だ。
ただし、建造物の国宝及び重要文化財指定基準は、
では、瑞龍寺の国宝建造物、仏殿、法堂、山門は、どの項目に当てはまるのだろうか。
次に法堂に関してだが、『曹洞宗寺院の仏堂に良く見られる形式を持ち、
中でも大規模で形式が整った比較的に建立年代の古いものとして特に高い価値が認められる。』・・・と、
仏殿とは全く違った指定理由である。 最後に山門の指定理由に関してだが、『部材を組み立てる際に和算が応用されたと推定されるなど
江戸時代後期の寺院建築の技術が最もよく発揮されたものの一つである。』・・・とされている。
ところで私は上記の文章で、『なぜ瑞龍寺の三つの建造物が国宝に指定されたのか、
その伽藍へ足を踏み入れた誰しもが肌で感じ、納得することができるであろう。』・・・と述べた。
ではその、伽藍に足を踏み入れた誰もが感じるいわば、瑞龍寺の国宝オーラとも言えるものは、一体どの建造物から発せられているのだろうか。
『瑞龍寺仏殿、法堂、山門は、それぞれきわめて優れ完成度も高く、 わが国の建築史上特に深い意義が認められる。 また、三者が並ぶ配置構成は、 きわめて均衡が取れた美しい比例を示しており、 わが国の社会・文化に影響を及ぼした建築を知る上で特に深い意義を有している。』・・・と。 そう。 ここでいう、『三者が織り成すきわめて均衡が取れた美しい比例を示した配置構成』こそが、参拝者の誰しもが感じる瑞龍寺の国宝オーラなのである。
瑞龍寺の国宝は、山門、仏殿、法堂のどれが欠けても成立せず、それらを含めたすべての建造物が存在する、瑞龍寺の寺院空間こそが、国宝だといえるのかもしれない。 初回訪問日&撮影日 2014年11月21日
(※国宝建造物撮影ポイント)自由に撮影可能 |
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@山門(国宝) |
A山門(国宝) |
B金剛力士像 |
C内側から見た山門(国宝) |
D仏殿(国宝) 万治2年に建立された山上善右衛門嘉広の最高力作の一つで総欅造りの一重裳階付き建造物である。 屋根は装重量47トンの鉛瓦葺であるが、これは金沢城の石川門にその例をみるだけの珍しいもの。 しかし当初は柿葺きだったという。 内部を土間床とし、天井の構造材の装飾がむき出しである点や、 上層軒組が密に配されている点などは典型的な禅宗様建築である。 本尊の釈迦如来と、普賢菩薩、文殊菩薩の釈迦三尊像のほか、達磨座像、跋駄羅尊者像を安置する。 |
E法堂(国宝) 明暦年間(1655〜1657)の竣工であり、墨書には明暦元年(1655)の建立とある。 境内最大の建造物であり、総桧造りの入母屋造、銅板葺屋根になっている。 内部は畳敷きで、 方丈建築に書院建築を加味。 横2列、縦3列の6部屋を配した間取りで建坪は186坪ある。 なお、その6部屋の前面には広縁があり、さらにその前面は土間廊下になっている。 こういった建築形式は、曹洞宗建築の特徴なのだという。 二代目藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置する。 |
F総門(重要文化財) 正面三間の薬医門形式建造物で、正保年間の建立である。 |
G禅堂(重要文化財) もともとの建物は延享3年(1746)に焼失、直ちに再建された。 主に坐禅修行をする建物であるが、食事、睡眠もとれる生活空間になっている。 |
H大茶堂(重要文化財) 創建当初に造られたもので、その存在は全国的に類例が少ない。 |
I大茶堂内部(重要文化財) その構造は外壁や軒下を土蔵と同じ大壁とし、内部を土天井とした非常に珍しい防火建造物である。 |
J高廊下(重要文化財) 法堂と大茶堂を結ぶ |
K大庫裏(北回廊の一部としての重要文化財) 調理配膳や寺務運営を行う堂。 漆喰天井で曲線になっており、結露に配慮した造りである。 正面に韋駄天尊像をまつる。 |
L北回廊(重要文化財) 北回廊には鐘楼、大庫裏がある。 |
M南西回廊(重要文化財) 、南西回廊の奥には前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟がある。 |
N南東回廊(重要文化財) 大伽藍を囲む周囲300mの回廊で、北回廊、南東回廊、南西回廊からなる。 規則正しく並んだ柱と格子枠の障子戸が特徴。 |
O石廟 前田利長、利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠の分骨廟。 県指定文化財に指定されている。 |
P前田利長公墓所 瑞龍寺の正門を出てやや東北方向、八丁道と呼ばれる道を860メートルほど行くと、 その突き当たりに南面した建てられている。 二代目藩主利長の冥福を祈って三代利常が三十三回忌にあたる正保3年(1646)に建てたものである。 |
Q前田利長公墓所 基壇は加賀戸室石。 その上にその上に花崗岩笠付墓標をたて、墓頭から平地まで約三八。七七尺である。三重基壇の前面に十二段の石段を設け、石段の参道があり、石の玉垣で囲み、濠をめぐらし、大小数十基の石灯篭が配されている。 |
アクセス
JR「高岡」駅南口より徒歩約10分 駐車場 有 国宝巡りドライブ難易度 非常に易しい(★) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい おすすめアクセス方法 自動車か電車、どちらでも問題ない 住所 富山県高岡市関本町35 |
瑞龍寺はポイント115番 |