国宝 大報恩寺 本堂(千本釈迦堂) 京都市上京区





大報恩寺
本堂(千本釈迦堂)
国宝
1227年(安貞元年)

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(歴史)

大報恩寺は、承久3年(1221年)、求法上人義空によって創建された。
 義空は藤原秀衡の孫で比叡山で修行の後、当寺を建立したという。  室町時代の勧進状によれば、猫間中納言と呼ばれた藤原光隆の従者であった岸高なる人物が境内地を寄進したという。
 当初は草堂であったが、摂津尼崎の材木商の寄進を受けて現存するこの本堂が完成した。
 1951年、本堂解体修理時に発見された義空の願文により、本堂は安貞元年(1227年)の上棟であることが判明している。
 入母屋造、檜皮葺。 桁行(正面)五間、梁行(側面)六間で、正面に一間の向拝を設ける。  この本堂は応仁文明の乱にも焼けることはなく、創建当時のもので洛中最古の建造物で国宝となっている。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日は、『京阪みやこ漫遊チケット』を使用して京都市内観光をしたのだが、まずは、東寺の蓮花門と、金堂大師堂(西院御影堂)観智院客殿という4棟の国宝建造物を見学後、 バスで西本願寺へ移動し、そこでは飛雲閣と、唐門という二棟の国宝建造物を見学。  再びバスで二条城へ移動し、二の丸御殿を見学した後、『二条駅前』バス停で46番系統のバスに乗り込み、 『千本今出川』バス停で降車。 町中を数分程度歩いて、大報恩寺(千本釈迦堂)へやって来た。

町中で静かにたたずむ小ぢんまりとした境内に、国宝本堂(千本釈迦堂)がどっしりと建っていたのだが、  狭い境内には何本か木が植えられており、しかも駐車場には大きな観光バスが停まっていたので、 その全体像を撮影するのは困難だった。

本堂をあらゆる角度から撮影していると、本堂の右に、ふくよかな表情をした『おかめ像』の姿 が目に入ってきた。
 そのおかめ像の説明板によると、大報恩寺本堂建立には、悲しい『おかめ伝説』が伝わるという。
 その内容はというと、本堂建立にあたり、棟梁が大切な柱を短く切りすぎてしまったが、 妻のおかめの妙案で、他の柱も短くしてその上に飾りを置き、無事棟上げを終了。 しかしおかめは女の提案で大任を果たしたことが知れてはと、 上棟式を待たずに自害してしまったというものである。

里神楽等で、ひょっとこと共に、道化的存在として演じられ、時代の美意識とともに 不美人をさす蔑称として扱われてきた 『おかめ』・・・。
 その道化の表情の裏側に、まさかこんなに悲しいエピソードがあったとは知らなかった。
 どんなに不美人だと罵られようとも不平不満を一切言わず、常に夫のことを立て、自分は控えめに一歩下がって付いてくる、古き良き時代の日本女性 、『おかめ』はある種、すべての男性が最後に求める、究極の花嫁像と言えるかもしれない。
 こんなことは女性論者の前では口が裂けても言えないだろうが・・・。

私は色々と物思いにふけながら大報恩寺を後にし、次の目的地である国宝本殿等を有する北野天満宮へ歩いて行った。


初回訪問日&撮影日 2013年10月16日

(※国宝建造物撮影ポイント)

建物外観は自由に撮影可能


@山門

その小ぢんまりとした たたずまいは、いい意味で京都らしくない雰囲気の寺院である。


A本堂(千本釈迦堂)国宝

境内には松や柳などの木が植えられており、正面から本堂を撮ると、建物のほとんどが隠れてしまう。


B本堂(千本釈迦堂)国宝

木に遮られず撮影しようとしたら、かなり近づかなければならず、見上げたアングルになってしまう。


Cおかめ像

非常にふくよかで愛嬌のあるいい表情だ。 悲しいおかめ伝説の話は必見である。

アクセス 市バス「上七軒」下車、徒歩数分

駐車場 有

国宝巡りドライブ難易度 易しい(★★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
場所が少しわかりにくいので、ナビ等が無ければ市バスによるアクセスがおすすめである。

住所
京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町


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