国宝 永保寺 観音堂 多治見市



永保寺
観音堂
国宝
室町時代前期

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(歴史)

永保寺は、鎌倉時代末期の正和2年(1313)に、足利尊氏の協力で開創された、夢窓疎石を開祖、仏徳禅師を開山とする禅寺である。
 正式名称は臨済宗南禅寺派 虎渓山永保寺。 「虎渓」の名前の由来は、夢窓疎石がこの地を訪れた際、 中国の蘆山の虎渓の風景に似ていたことに由来すると言われている。

観音堂は、一重裳階付き、入母屋造檜皮葺きの禅宗様仏殿である。 南北朝時代建立の仏殿で「水月場」と正称し、 虎渓山本尊の、聖観世音菩薩坐像(県重要文化財)が、内部にある趣味壇上の岩窟式厨子に祀られている。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日は先に、岐阜県関市の日龍峰寺を参拝した後に、同じ岐阜県内、多治見市のこの永保寺へ車で来た。
 永保寺へ近づいてくると、徐々に渋滞がひどくなり、駐車場に入るのに数十分待たされた。
 駐車場に入ると、既に満車状態で、車が一台出て行くたびに警備員が新しく来た車を誘導しており、 看板を見ると臨時駐車場の文字が・・・。
 やっと車を止め、寺へ歩いていくと、他にも数カ所、臨時駐車場が用意されており、 すべて満車状態だった。
 おそらく、今まで私が来た寺院の中でトップクラスの混み具合である。
 後から分かったのだが、永保寺は、境内の紅葉が美しいことで有名な寺院であり、 この時期は県内外から多数の観光客が訪れるのだそうだ。
 そういう事情を知らなかった私は、予想外の混み具合で、寺院に入るまでにかなり時間を費やしてしまい、この後の訪問先を、 愛知県西尾市の国宝金蓮寺から、三重県松阪市の松阪城に変更せざるをえなくなってしまった。

しかし、一歩、寺院境内に入ると、後の訪問先のことが気にならなくなるぐらい、素晴らしい風景が目に飛び込んできた。
 国指定名勝「永保寺庭園」と、そのど真ん中に、圧倒的存在感でありながら、これ以上ないくらい、周囲の庭園風景に調和して建つ『観音堂』・・・。
 中国の蘆山の虎渓の風景に似たこの地に、自然の滝が流れている「梵音巌」など、自然の地形を巧みに利用した庭園作りを行い、 そこに和様と唐様の折衷様式の『観音堂』を建てた夢窓国師。
 『観音堂』の、大きな軒ぞりで、上重、裳階とも巨大にせり出した屋根は、どっしりとした安定感と、圧倒的存在感を醸し出している。
 『圧倒的存在感』と『周囲との調和』という、一見、相反する要素を、高い次元で巧みに取り入れた、 その非凡な想像力は驚きの一言である。
 私は寺院巡りをする中で、数多くの庭園を見てきたが、建造物と庭園が調和しているという点で言えば、 この永保寺名勝庭園が、ずば抜けていると感じる。

次に私は、観音堂と同じく国宝である、開山堂の方へ歩いて行った。


初回訪問日&撮影日 2012年11月25日

(※国宝建造物撮影ポイント)

建物外観は自由に撮影可能


@永保寺庭園(国指定名勝)


A観音堂(国宝)と、六角堂


B永保寺庭園 梵音巌(国指定名勝)


C上部から見た観音堂(国宝)


D観音堂(国宝)


E開山堂(国宝)

アクセス
JR多治見駅・多治見駅前バスターミナルから東鉄バス・久々利線「虎渓山」下車徒歩10分

駐車場 有

仏塔巡礼ドライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
紅葉の時期など人手が多い時期は道路が非常に混むが、駐車場が増やされたりするので、自動車によるアクセスがおすすめ。

住所
岐阜県多治見市虎渓山町1-40


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