国宝 永保寺 開山堂 多治見市


永保寺
開山堂
国宝
室町時代前期

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(歴史)

永保寺は、鎌倉時代末期の正和2年(1313)に、足利尊氏の協力で開創された、夢窓疎石を開祖、仏徳禅師を開山とする禅寺である。
 正式名称は臨済宗南禅寺派 虎渓山永保寺。 「虎渓」の名前の由来は、夢窓疎石がこの地を訪れた際、 中国の蘆山の虎渓の風景に似ていたことに由来すると言われている。

開山堂は、文和元年(1352年)頃に足利尊氏が建立したといわれ、純正唐様と言える室町時代初期の代表的建築である。
 礼堂・祠堂及び、これをつなぐ相の間が巧みに複合され、美しい変化に富んだ一堂を構成している。  これは後の神社建築(権現造り)の原型となった。  裏側の祠堂に開祖夢窓国師開山仏徳禅師の坐像が安置されている。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

同じ永保寺内の観音堂を見学した後、この開山堂を見学した。
 永保寺境内は、参拝料はいらないが、その代わりにパンフレットの類は用意されていなかったので、 この開山堂の位置は、見つけるまでに少し探し回ってしまった。 
 観音堂の周囲は人だらけだったが、この開山堂の周辺は目立たない場所にあるためか、人がまばらだ。

この開山堂は、後の神社建築である権現造りの原型とされている。
 それは、本殿と拝殿の2棟を一体化し、間に「石の間」と呼ばれる一段低い建物を設けているのが特徴であるが、 私が訪問済みの建造物で言えば、大崎八幡宮の本殿・石の間・拝殿などが権現造りである。

権現造りの神社は数多くあり、その中には国宝指定のものもいくつかある。
 その原型が、神社でなく、寺の建造物であることに驚いたが、 そのことは、永保寺開山堂が、国宝建造物の中でも、 かなり貴重な部類に入るということを意味するだろう。


初回訪問日&撮影日 2012年11月25日

(※国宝建造物撮影ポイント)

建物外観は柵の外から自由に撮影可能


@開山堂(国宝)


A開山堂(国宝)


Bイチョウの木(市指定)


E観音堂(国宝)

アクセス
JR多治見駅・多治見駅前バスターミナルから東鉄バス・久々利線「虎渓山」下車徒歩10分

駐車場 有

仏塔巡礼ドライブ難易度 非常に易しい(★)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法
紅葉の時期など人手が多い時期は道路が非常に混むが、駐車場が増やされたりするので、自動車によるアクセスがおすすめ。

住所
岐阜県多治見市虎渓山町1-40


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