重要文化財 日龍峰寺 多宝塔 (岐阜県関市)日龍峰寺(高野山真言宗) 多宝塔 重要文化財 鎌倉時代後期(1333年) HOMEに戻る |
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(歴史)寺伝によると、仁徳天皇の時代(5世紀前半)、美濃国の両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族が、この地方に被害を及ぼしていた龍神を退治し、龍神の住んでいたこの山に、祠を建立したのが始まりと伝わる。
重要文化財のこの多宝塔は、山内で唯一、応仁の乱以前の建造物であり、北条政子によって建造されたとされる非常に貴重な塔である。
(仏塔訪問日記)この日は大阪の自宅から自動車で、日龍峰寺多宝塔(岐阜県関市)→永保寺開山堂と観音堂(岐阜県多治見市)→松阪城(三重県松阪市)というルートのドライブをし、
最初に来たのが、この重要文化財の多宝塔を有する日龍峰寺だった。
→次の訪問地は、岐阜県多治見市の、国宝・永保寺(開山堂と観音堂)である。 初回訪問日&撮影日 2012年11月25日
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@仁王門 享保3年(1718)建立。 自動車を走らせていると最初に見えてくる。 駐車場はまだこの先である。 |
A駐車場 狭い山道を走ってきた先に、このような広々とした立派な駐車場がある。 |
B鐘楼 駐車場から境内に入っていくと、最初に見えてくる建物である。 昭和12年に再建されたものだという。 |
C金比羅堂と多宝塔 少し歩くと、多宝塔もすぐに見えてくる。 |
D多宝塔(重要文化財) 元弘3年(1333)の建立。 三間多宝塔で檜皮葺屋根、総高は14.7m、上重は漆喰でかためた円い亀腹の上にのる。 その大きな屋根と高い相輪で、全般的に均衡がよくとれており、丹塗の色も環境とよく調和している。 |
E多宝塔別角度(重要文化財) 組物は四手先、その尾垂木鼻は木鼻とともに天竺様の深い繰形をつける。 下重の中央間には散八双[をうった板扉をはめ左右の間は連子窓とする。 縁は切目縁で勾欄はない。 組物は面取の出組とし垂木にも大面をとる。 内部は極彩色のあとがわずかずつ残り、天井は繊細な2重折上小組格天井になっているという。 |
F本堂と籠堂(ともに岐阜県指定文化財) 向かって左の本堂は寛文10年(1670年)建立で、右の籠堂は文化3年(1806年)の建立。 大きな木が手前にあるので、 建物全体を写真に収めるのは至難。 |
G本堂と籠堂(ともに岐阜県指定文化財) 本堂の前方は舞台造り(懸崖造)で、見ての通り京都の清水寺によく似ており、 美濃清水の異名で世に知られている。 |
H本堂(岐阜県指定文化財) もともとの建物は応仁の乱の戦火で犠牲になったため、現在の建物は江戸時代1670年の再建である。 |
I本堂内部 本堂内部には色々な絵が所狭しと掛けられていた。 |
J本堂別角度 階段はかなり急である。 |
K本堂と籠堂 山奥のこの場所に、これだけ規模が大きく見事な懸崖造の建造物は珍しい。 |
日龍峰寺への交通アクセス
富加・関IC から 車 で 15 分 駐車場 有 仏塔巡礼ドライブ難易度 難しい(★★★★) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい 日龍峰寺へのおすすめアクセス方法 自動車によるアクセスしかないと思われる。 ただし、離合困難な狭い道が所々にあり対向車もそこそこ来るので、運転には注意を要する。 公共機関によるアクセスは、最寄りのバス停から非常に遠く、バスの本数が少ないのであまりおすすめしない。 住所 〒501-3521 岐阜県関市下之保4585 |
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