日本100名城 065番 月山富田城(月山城、富田城) 島根県安来市


復元された花ノ壇の屋敷


日本100名城 065番
月山富田城(月山城、富田城)
文化財史跡区分(国指定史跡)

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(歴史)

月山富田城の築城年や築城者は不明であり、平安時代とも鎌倉時代ともいわれるがはっきりしない。  その城主がはっきりするのは戦国大名尼子氏の居城となってからである。  永禄8年(1565)に毛利元就に攻められるが、月山富田城が自然の幾重にもかさなる山や谷を利用して、 前に流れる富田川を堀として尾根や山頂に主要な曲輪を置いて構えられた難攻不落の城だったため 力攻めでは落ちなかった。 更に毛利元就は、兵糧攻めなどにより、尼子氏を籠城させ、 開城したのはそれから1年半もたってのことであり、結果、尼子氏は滅亡した。
 慶長5年(1600)になると、堀尾吉晴が入城。 自らの居館である山中御殿や、山麓の曲輪に石垣を築くなど 近世城郭に大改修した。 しかし慶長16年(1611)に堀尾吉晴は、松江城に居城を移し、月山富田城は廃城となった。


(100名城訪問日記)

この日は4年半ぶりに合う友人と、鳥取県と島根県にまたにかけた史跡巡りへ行った。
 私たちはまず、鳥取城(友人のみ)→ 国宝・三仏寺投入堂(遠望ポイントのみ) →清水寺三重塔と巡った後、ここ月山富田城にやって来た。
 友人に関しては、月山富田城に関しては登城済みだったため、 100名城スタンプ設置場所である安来市立歴史資料館駐車場にとめた車の中で待機。  私はスタンプ押印を済ませ、ますます激しくなる雨の中、一人で城跡がのこる月山を登っていった。

ところで、100名城巡りをするとき常々思うことがある。  城跡は、国宝建築や仏塔などといった史跡に比べ、 見学時間が大幅に長くなってしまう傾向があるということをである。
 国宝建築や仏塔に関しては、そのメインの建物を1ヶ所見学すれば、ほぼ終わりであるケースが多いのに対して、 城跡に関しては、その城の史跡が1ヶ所だけであるというのはほぼ皆無であり、あちこちに散らばっているケースが多い。
 しかも、特に今回の月山富田城のような山城ともなると、その登山口から山頂の本丸へ至るまで、山のあちこちに その史跡が散在しており、それらをくまなく完璧に見学しようとすると、かなり体力を消耗し、 半日以上かかってしまうことも珍しくないのである。
 城郭研究家でもないにわか城郭ファンである私が、そこまで完璧に見学しようとは思わないが、 かといって、スタンプだけ押して終わりにするほどの軟弱城郭ファンでもないことは自覚している。
 私は、ますます激しくなる雨の中、折りたたみ傘を手に、山頂の本丸を目指して早歩きで歩いて行った。

ところで、月山富田城は、見るべき史跡が、本丸までの山道一本ルートに、ほぼ集中しており、 それほど高い山でもないので、 山城としては、難易度は低いめだ。  しかしこの大雨により、防水の靴にも水が染み込んできて、道も滑りやすくなってきたので、 今回は、主要曲輪である山中御殿まで行って、リタイヤして戻ってきた。  もし晴れていれば、更に先の三ノ丸・二ノ丸・本丸までも行けたように思うが、 駐車場に友人を待たせているうえ、このあとに松江城と、夢みなとタワーの見学も控えていたので、 この判断は、正解だったと思う。

月山登山中、出会った人の数はゼロ。
 こんな雨の降りしきる中、折りたたみ傘片手に、山城跡見学をするようなバカ、 もとい、城好きは私以外いなかったようである。

私たちは、次の目的地である松江城へ車を走らせた。


訪問日&撮影日 2017年06月07日

(※百名城スタンプ設置場所)
安来市立歴史資料館玄関

@山中鹿介幸盛の銅像

山中鹿介は、城主である尼子氏の遺臣として、毛利氏から月山富田城の奪還を試みたものの 夢ならず、備中甲部川阿井の渡しにおいて毛利の家臣、河村新左衛門、福間彦右衛門によって討たれ、 34年の生涯を終えた。 この銅像は昭和53年に鹿介没後400年を記念して建立された。



A花の壇と、花の壇に復元された建物内部

当時の侍所。 現在、主屋と侍所として掘立柱建物が2棟復元されている。 花の壇は、花がたくさん植えられていたことからその名称が付けられた。  花の壇は敵の侵入を監視できることや、殿様の居住地である山中御殿との連絡が容易なことから、 指導力のある武将が暮らしていたと思われる。 2棟の建物は発掘された柱穴をもとに復元されたものである。  後方に見える山が、本丸が残る月山の山頂である。


B山中御殿跡

月山富田城の御殿があったと伝えられる場所で、通称山中御殿と呼ばれている。  月山の中腹に位置する山中御殿は、菅谷口、塩谷口、大手口という主要通路の最終地点ともなっており、 最後の砦となる三ノ丸・二ノ丸・本丸へ通じる要の曲輪として造られた、富田城の心臓部ともいえる場所。  周囲には5m程の石垣や、門・櫓・塀などを厳重に巡らせることによって敵の侵入を防いでいた。


C菅谷口門跡


D雑用井戸跡


E櫓跡と菅谷口


F山中御殿復元石垣


G安来市立歴史資料館

100名城スタンプ設置場所

交通アクセス

JR山陰本線「安来」駅からイエローバス「広瀬バスターミナル行き」で約30分 「市立病院前」下車、徒歩約10分

駐車場 安来市立歴史資料館に有

100名城巡りドライブ難易度 (★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
スタンプ設置場所である安来市立歴史資料館の駐車場に車をとめて、そこから徒歩がおすすめ
住所
〒692-0403 島根県安来市広瀬町富田2188

地図中の65番

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