重要文化財 清水寺 三重塔(子安塔)(京都市東山区)清水寺(北法相宗大本山) 三重塔(子安塔) 重要文化財 室町時代後期 12m HOMEに戻る |
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(歴史)清水寺は宝亀九年(778)に、南都興福寺の僧・延鎮が開創し、延暦17年(798)に坂上田村麻呂が造営したといわれる。
清水寺には二つの三重塔があり、その小さい方が『子安塔』と呼ばれるこの塔である。
建築様式はおおむね和様。 一辺わずか2.5m、高さおよそ12mと超小型の塔で、二重基壇の上に擬宝珠勾欄を付した縁をめぐらして立つ。 (仏塔訪問日記)仏塔巡りを始めた間もない2010年の1月に来た時は、平成の大改修の工事による幕が張られていて見ることができず、
それから実に3年と3ヵ月もの間、工事が終わるのを待って、最近ようやく工事が終わり、やっと見ることができたのがこの子安塔である。
話は逸れるが、今の日本人は留学やホームステイ等で、しきりに海外に出たがる傾向がある。
また、まるで海外へ行きさえすれば国際人になれると言わんばかりに、必要も無いのに、訳のわからない国へ何度も出かけ、
結果、凶悪犯罪に巻き込まれ、最悪の場合には命を落としたりしている。
話は大幅に逸れたが、この子安塔。 工事前は地味めの色だった気がするのだが、見事に鮮やかな朱色に塗り替えられていた。
ところで私は、清水寺へは数え切れないほど足を運んでいるのだが、ここは平日、土日祝日関係なく、いつ来ても観光客で
ごった返している。 その観光客数の多さでは、寺社・史跡関連の観光地の中では唯一、東京ディズニーランドとタメをはれる存在ではないだろうか・・・?
これだけ観光客の多い清水寺ではあるが、清水周辺の街単位でやっと、東京ディズニーランド&シー連合軍の片割れに匹敵する程度だとは、 TDL&TDSの来園ゲスト数の多さは、群を抜いているようだ。 夢の国恐るべし・・・。 初回訪問日&撮影日 2013年04月17日
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@仁王門(重要文化財)
もともとの門は応仁の乱で焼失し、現存のものは15世紀末に再建されたものである。
入母屋造り、桧皮葺。 |
A馬駐(重要文化財) かつての貴族や武士がここに馬を繋いで徒歩で参拝したという。 応仁の乱後に再建された。 |
B西門(重要文化財) 現在の建物は寛永8年(1631)再建のもの。 |
C鐘楼(重要文化財) 慶長12年(1607)の再建 |
D春日社(重要文化財) 清水寺の法流の鎮守である奈良の春日大明神を勧請して祀った鎮守堂で、室町時代後期に再建された。 典型的な春日造りの神社建築で、細かな彫刻が桃山時代の様式美を表しているという。 |
E北総門(重要文化財) 寛永8〜16年(1631〜39)に再建された間口4.12メートルの薬医門。 屋根は切妻造り、本瓦葺である。 |
F開山堂(重要文化財) 三間四方、入母屋造り、檜皮葺。現在の建物は寛永10年(1633)の再建。 |
G経堂(重要文化財) 寛永10年(1633)の再建で、堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基筆の墨絵の円龍が描かれているという。 |
H清水寺本堂(国宝) |
I清水寺三重塔(重要文化財) |
J轟門(重要文化財) 寛永8〜10年(1631〜33)再建の三間一戸の八脚門 |
K朝倉堂(重要文化財) 寛永10年(1633)の再建で、全面白木造り、木口のみ胡粉を塗った重厚な雰囲気の建物 |
L釈迦堂(重要文化財) 寛永8年(1631)再建 |
M工事中の阿弥陀堂と奥の院(共に重要文化財)
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N子安塔(重要文化財) |
O子安塔(重要文化財)
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P子安塔(重要文化財) |
Q子安塔(重要文化財)
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交通アクセス
京阪電鉄「祇園四条駅」または阪急電鉄「河原町駅」から、京阪バス「清水道」または「五条坂」下車徒歩10分 京阪電気鉄道本線「清水五条駅」下車徒歩約25分 駐車場 無 仏塔巡礼ドライブ難易度 (―) ★1つ→非常に易しい ★2つ→易しい ★3つ→ふつう ★4つ→難しい ★5つ→非常に難しい おすすめアクセス方法 京阪電鉄「清水五条」駅または「祇園四条」駅から京都観光を兼ねて徒歩で散策するのがおすすめ。 周辺は清水坂土産物店街や法観寺五重塔など見所が多く、退屈しないだろう。 清水寺自体に駐車場は無い。 自動車の場合、周辺の一時預かり駐車場に停めることになるが、休日平日問わず、 周辺は混雑する。 最悪の場合、近くの有料駐車場まで行っても満車で入れずに引き返すことになるので、自動車で行くのは おすすめでない。 住所 京都市東山区清水 |
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