重要文化財 清水寺 三重塔(子安塔)(京都市東山区)


清水寺(北法相宗大本山)
三重塔(子安塔)
重要文化財
室町時代後期
12m

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(歴史)

清水寺は宝亀九年(778)に、南都興福寺の僧・延鎮が開創し、延暦17年(798)に坂上田村麻呂が造営したといわれる。
 平安時代末期以降は、西国巡礼の札所として尊信を集めたが、長らく法相宗の南都興福寺に属し、 その京都における拠点だったために、比叡山との抗争が絶えず、しばしば僧兵の焼き討ちを受け、 焼失・再建をくりかえしてきた。 江戸時代・寛永6年(1629)の大火ではその堂塔の大部分を焼失し、三大将軍徳川家光が 寛永10年(1633)に本堂をはじめとする大伽藍を再興した。

清水寺には二つの三重塔があり、その小さい方が『子安塔』と呼ばれるこの塔である。
 子安塔の建立年代と経緯は不明だが、建立年代に関してはこれまで、清水寺本堂や三重塔と似たような時期である 寛永年間(1630年前後)とされていた。 しかし、平成の大改修(2010〜2013年)での全面解体の際には、小さな木組みの部材に「明応九年五月四日」の記述が発見されたという。  明応9年は西暦1500年にあたり、これにより、これまで寛永年間(1630年前後)とされていた建立時期が、それより130年も前の室町時代後期のものと判明したという。
 子安塔はもともと泰産寺の名で呼ばれ、 入口の仁王門のすぐ下にあったが、明治になって泰産寺が廃されたのをきっかけに、清水寺のこの丘の上に移し再建されたという。

建築様式はおおむね和様。 一辺わずか2.5m、高さおよそ12mと超小型の塔で、二重基壇の上に擬宝珠勾欄を付した縁をめぐらして立つ。


(仏塔訪問日記)

仏塔巡りを始めた間もない2010年の1月に来た時は、平成の大改修の工事による幕が張られていて見ることができず、 それから実に3年と3ヵ月もの間、工事が終わるのを待って、最近ようやく工事が終わり、やっと見ることができたのがこの子安塔である。
 私はこの2010年1月から、2014年4月までの3年3ヵ月という期間に、 一人暮らしを始め、結婚し、そして子供ができた。
 現在は馴れない子育てに悪戦苦闘の日々だ。
 そして何よりも、この3年と少しの間に、日本国内の仏塔をはじめ、国宝建造物や100名城など、様々な史跡を巡り、 現在も進行中である。
 国内にはまだまだたくさんの行きたい場所がある。 自分は日本という国に生まれて本当によかったと思っている。

話は逸れるが、今の日本人は留学やホームステイ等で、しきりに海外に出たがる傾向がある。
 それは決して悪いことではないが、中には海外に出て、自分の母国である日本の文化を馬鹿にし、 よその国の文化ばかりをありがたがる人物がいる点には、いささか疑問が残る。
 そういう人物に限って、実は自分の母国である『日本』という国のことを全く分かっておらず、外国人に母国のことを聞かれても、 何も答えられず、どこかの左翼団体のように、日本を卑下するようなことばかりをしゃべっているのである。
 ひどい者になると、どこかの国の慰霊碑に土下座までさせられる始末である。

また、まるで海外へ行きさえすれば国際人になれると言わんばかりに、必要も無いのに、訳のわからない国へ何度も出かけ、 結果、凶悪犯罪に巻き込まれ、最悪の場合には命を落としたりしている。
 そして、たまたまそういった凶悪犯罪に巻き込まれず、運が良かっただけの日本人が、まるで武勇伝のように、 自分の海外放浪記を自慢したりする・・・。
 私はそういう人物の話を聞くたびに、自分の国の文化もロクに理解できてない者が、 よその国に行っても、その国の文化なんて理解できないでしょうよと、同じ日本人として恥ずかしい気分になる。
 かくいう私自身も、日本という国のことを、まだほとんど知らない・・・。  だから、まだまだ日本という国のことを知っていきたいし、そのために日本各地、行きたい場所が 数え切れないほどある。 私は当面、というより、一生、海外へは行かないかもしれないし、今のところ行きたいとも思わない。
 日本人の代表として海外へ行く限りは、日本という国の文化を最低限知って、日本という国をとことん楽しんでからでも、決して遅くはないと思うのだが、どうだろうか・・・。

話は大幅に逸れたが、この子安塔。 工事前は地味めの色だった気がするのだが、見事に鮮やかな朱色に塗り替えられていた。
 これだけの変貌ぶりだと、もともとの塔がどんな感じだったか忘れてしまいそうであるが、小ぶりで非常に美しい三重塔である。

ところで私は、清水寺へは数え切れないほど足を運んでいるのだが、ここは平日、土日祝日関係なく、いつ来ても観光客で ごった返している。 その観光客数の多さでは、寺社・史跡関連の観光地の中では唯一、東京ディズニーランドとタメをはれる存在ではないだろうか・・・?
 そう思い調べてみたのだが、2012年のディズニーランドとディズニーシーを合わせた年間来園ゲスト数は、2750万2千人であり、 それに対して、清水寺および、清水坂周辺の街並みへは、年間約1000万人の観光客が訪れるようである。

これだけ観光客の多い清水寺ではあるが、清水周辺の街単位でやっと、東京ディズニーランド&シー連合軍の片割れに匹敵する程度だとは、 TDL&TDSの来園ゲスト数の多さは、群を抜いているようだ。 夢の国恐るべし・・・。


初回訪問日&撮影日 2013年04月17日


@仁王門(重要文化財)

もともとの門は応仁の乱で焼失し、現存のものは15世紀末に再建されたものである。  入母屋造り、桧皮葺。
 清水寺のメインゲート的存在。 周辺にたくさんの人々がいるが、この日は特にイベントとかがある訳でもないただの平日である。


A馬駐(重要文化財)

かつての貴族や武士がここに馬を繋いで徒歩で参拝したという。 応仁の乱後に再建された。


B西門(重要文化財)

現在の建物は寛永8年(1631)再建のもの。


C鐘楼(重要文化財)

慶長12年(1607)の再建


D春日社(重要文化財)

清水寺の法流の鎮守である奈良の春日大明神を勧請して祀った鎮守堂で、室町時代後期に再建された。  典型的な春日造りの神社建築で、細かな彫刻が桃山時代の様式美を表しているという。


E北総門(重要文化財)

寛永8〜16年(1631〜39)に再建された間口4.12メートルの薬医門。 屋根は切妻造り、本瓦葺である。


F開山堂(重要文化財)

三間四方、入母屋造り、檜皮葺。現在の建物は寛永10年(1633)の再建。


G経堂(重要文化財)

寛永10年(1633)の再建で、堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基筆の墨絵の円龍が描かれているという。


H清水寺本堂(国宝)


I清水寺三重塔(重要文化財)


J轟門(重要文化財)

寛永8〜10年(1631〜33)再建の三間一戸の八脚門


K朝倉堂(重要文化財)

寛永10年(1633)の再建で、全面白木造り、木口のみ胡粉を塗った重厚な雰囲気の建物


L釈迦堂(重要文化財)

寛永8年(1631)再建


M工事中の阿弥陀堂と奥の院(共に重要文化財)


N子安塔(重要文化財)


O子安塔(重要文化財)


P子安塔(重要文化財)


Q子安塔(重要文化財)

交通アクセス
京阪電鉄「祇園四条駅」または阪急電鉄「河原町駅」から、京阪バス「清水道」または「五条坂」下車徒歩10分
京阪電気鉄道本線「清水五条駅」下車徒歩約25分

駐車場 無

仏塔巡礼ドライブ難易度 (―)

★1つ→非常に易しい
★2つ→易しい
★3つ→ふつう
★4つ→難しい
★5つ→非常に難しい

おすすめアクセス方法

京阪電鉄「清水五条」駅または「祇園四条」駅から京都観光を兼ねて徒歩で散策するのがおすすめ。 周辺は清水坂土産物店街や法観寺五重塔など見所が多く、退屈しないだろう。  清水寺自体に駐車場は無い。 自動車の場合、周辺の一時預かり駐車場に停めることになるが、休日平日問わず、 周辺は混雑する。 最悪の場合、近くの有料駐車場まで行っても満車で入れずに引き返すことになるので、自動車で行くのは おすすめでない。

住所

京都市東山区清水

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