(歴史)
乙宝寺の創建は、天平8年(736年)聖武天皇の勅願により、行儀菩薩と婆羅門僧正の二人が開山したと
伝えられる。 「今昔物語」「古今著聞集」などにこのてらにまつわることが記されている。
三重塔は、村上城主・村上義明が願主となり、慶長19年起工、元和6年(1620年)に完成した。
昭和26〜28年解体修理し往時の姿に復元された塔は、純和様で重要文化財に指定されている。
(仏塔訪問日記)
この日は朝一で山形市内のホテルをレンタカーで出発した後、山形県鶴岡市内の羽黒山五重塔と、善寳寺五重塔を参拝し、
そこから一挙に、新潟県胎内市まで車を走らせ、この乙宝寺にやってきた。
その100km近い道のりのほとんどが一般道だったので、時間的に心配だったが、
道中が空いており、山形県鶴岡市を昼の12時頃出発し、新潟県胎内市の乙宝寺に到着したのは、13時50分頃と、予定より大分早く到着した。
早く到着したのは良かったのだが、日本海名物、『波の花』(※波打ち際の白く泡立った部分、これが石鹸の泡みたいになって
強風に吹かれて国道に飛んでくる現象)により、レンタカーのフロントガラスが半端なく汚れてしまった。
後から知ったのだが、思いっきり塩を含んだ『波の花』は、車体に対しては被害甚大だそうだ。
翌日に汚れたまま返したレンタカーは大丈夫だったのか、気になるところであったが、今になっても
何も言ってこないところを見ると大丈夫だったのだろう・・・。
そんなこんなで、乙宝寺に到着。 山形県内で降ってた大雨は、新潟県内に入ると嘘のように晴れ上がり、
この乙宝寺ではこの日初めて、晴れ渡った状態で撮影ができた。
蓮池を横目に仁王門をくぐると、重要文化財である素晴らしい三重塔が、その右手前に建っていた。
やっぱり重要文化財の仏塔は、指定無の仏塔とはどこかしら別格の雰囲気が漂う。 素木造りで、一切の
装飾を用いない、純和様のその姿は、先ほど行って感動した、国宝『羽黒山五重塔』にも通じる荘厳さがある。
実は当初、ここ乙宝寺へは距離的な理由により、前日まで旅行行程に含めるかどうか迷っていた。
しかし、半ば強引に友人を説き伏せ、観光コースを減らしてでも、はるばる新潟県までやって来て本当に良かったと思う。
今回2泊3日の旅行で、宮城、山形、新潟の合計8基の仏塔を巡ったが、これら2基の塔は、
間違いなくツートップの素晴らしさだった。
私たちは乙宝寺の素晴らしさを堪能した後、せっかく新潟県内まで来たことであるし、時間的にも余裕が
あったので、次は100名城の一つ、『新発田城』へ向かった。