油山寺(真言宗智山派) 三重塔 重要文化財 (1611年 桃山時代) 23.8m HOMEに戻る 重要文化財の仏塔画像ギャラリーに戻る |
油山寺 三重塔 Yusanji Temple油山寺は大宝元年(701年)、行基によって創建されたと伝わる。 749年には孝謙天皇が、
眼病平癒のために寺内の「るりの滝」で眼を洗浄したら全快したので、勅願寺に定められたという。
(仏塔訪問日記)この日はもともと城好きの友人と、滋賀県内の城巡りをする予定にしていたのだが、その友人が仕事の都合で行けなくなってしまった。
大阪から最初の目的地『掛川城』へは車で4時間ほどで到着した。 この三重塔は、滋賀県の長命寺三重塔や、京都府の宝積寺三重塔と共に、桃山時代三名塔の一つに数えられている。
百名城巡りも楽しいが、仏塔、特に、油山寺三重塔のような、重要文化財指定の素晴らしい仏塔を見たときの興奮度には、自分自身、まだまだ至っていない気がする。
初回訪問&撮影日 2011年11月25日
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@本堂(静岡県指定文化財) 元文3年(1738年)建立 |
A書院(静岡県指定文化財) 元禄12年(1699年)建立。 遠州横須賀城より移築されたという。 |
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B山門(重要文化財) 元々は掛川城の大手門として万治2年(1659年)に井伊直好が建立した。 歴代掛川城主の信仰の厚さから、明治6年に城主太田備中守が 眼病全快のお礼として、油山寺に寄進、移築されたものである。 |
C別角度からの三重塔(重要文化財) |
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D境内の様子 油山寺はかなり広大な境内を有する。 駐車場から本堂と三重塔があるこの場所までは徒歩で5分はかかる。 |
E掛川城(日本百名城 第42番) 油山寺へ行く前に訪問した。 この城のもともとの玄関下御門が、油山寺にそのまま移築され山門として現存する。 昔から油山寺とは非常に関係が深かった城だったといえる。 |
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F二の丸御殿(重要文化財) 1854年の安政東海地震で、掛川城は天守を含む 大半の建物が倒壊した。政務所であるこの二の丸御殿はその地震後、1861年に再建された。 |
G二の丸御殿の内部 二の丸御殿内は中に入り見学、写真撮影が可能である。
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H二の丸御殿内から見た掛川城天守 天守は1994年に再建された。日本初の木造復元天守である。 |
I掛川城天守 市民や地元企業などから10億円の募金を集めて建設された。 山内一豊が掛川城の天守と同様の姿に建てさせたとされる高知城 を参考に、絵図などに基づいて創建当初の天守を、忠実に再現したとされる。 |
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J天守最上階から見た富士山 最上階には解説員の方が常駐し、富士山が見える方向を教えてくれた。 その人に聞かなければどれが富士山か分からなかった。 |
K天守から見下げた二の丸御殿 創建当時と言わないまでも、江戸時代以前に建てられた重要文化財建造物としての風格十分な印象だった。 |
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油山寺への交通アクセス (掛川城ではありません) 袋井駅からタクシーで15分 駐車場有 仏塔巡礼ドライブ難易度 易しい(★★) (★一つ)・・・非常に易しい (★二つ)・・・易しい (★三つ)・・・ふつう (★四つ)・・・難しい (★五つ)・・・非常に難しい (おすすめアクセス方法) 駅から遠いので自動車によるアクセスがおすすめ (住所) 静岡県袋井市村松1 |
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