日本100名城 055番 千早城(―)
大阪府南河内郡千早赤阪村


日本100名城 055番
千早城(―)
国指定史跡
二の丸跡に建つ記念碑

100名城フォトギャラリーに戻る

HOMEに戻る

(歴史)

千早城は、楠木正成が南北朝時代の元弘2年(1332)に築いた山城である。 この城の守りは堅く、正成は少数ながら この城に籠城しながら、鎌倉幕府軍と善戦。 千早城に鎌倉幕府軍が足止めされている間に、東国で新田義貞が挙兵 して幕府は滅亡へと導かれたという。
 城はその後南北朝時代に、畠山氏に攻められ落城し廃城になったという。

現在城跡は千早神社の境内になっており、社務所付近に三の丸、神社社殿付近に二の丸、社殿の背後に本の丸があったといわれている。


(100名城訪問日記)

大阪に住んでいながら、この千早城をあまり知らなかったのだが、近世より前、南北朝時代の城としては歴史的にかなり有名なようである。
 現在の城跡は、千早神社の境内になっていて、南北朝時代当時の面影を見ることはできないが、歴史的背景を知ることができた だけでもなかなか有意義だった。

この日の私は友人と、「千早城」→「高取城」→「和歌山城」という行程の100名城巡りをする計画を立てた。
 ただ、ここ数日関西はうだるような暑さの日が続いていた。 「和歌山城」はともかく、この「千早城」や 「高取城」は、かなり標高の高い場所にある山城として有名である。 夏場の山歩きに関して私は、上醍醐へ行ったときにえらい目にあったので、 正直言うと、多少遠くても、現地での徒歩移動が楽な、三重県の「松阪城」あたりにしたかったのだが、今回は友人の運転なのでわがままも言えない。
 とりあえず、その行程で決行することになった。

 まずは百名所スタンプ設置場所である 『金剛山麓まつまさ』 横の有料駐車場へ車をとめ、スタンプの押印を済ませた後、 徒歩で千早城跡へ向かった。 この辺りは金剛山ハイキングの名所としても知られており、行きかう人々は、 リュックを背負った山登りの服装の人々がほとんどで、私たちのように、ショルダーバックにTシャツ短パン又は、チノパンという軽装の 人は見当らなかった。
 ショルダーバックを肩にかけながらの、600段の石段はかなり堪えたが、なんとか千早神社境内に到着。 この城跡には当時の遺構はほとんど残っていないので、 二の丸跡に建つ記念碑や、千早神社拝殿などの撮影を済ませて帰ろうとすると、千早神社の管理をしている人に声をかけられた。

 神社管理人 「百名城巡りですか?」
 私たち 「はい。」
 神社管理人 「やっぱりね。 百名城で目当て来る方々は、金剛山を山登りする人と違って、軽装だからすぐ分かりましたよ。 
ここには日本全国からお見えになってて、中にはスーツ姿で革靴の方もいらっしゃいます・・・。」

 ・・・何と、結構な石段だったけど、スーツに革靴姿という、私たち以上に場違いな服装で来る人もいるのか・・・とか思いつつ、 15分程度、色々な話を聞いた後、石段を降りていった。

 次の目的地は『高取城』。 『千早城』以上に標高が高く険しい山奥にあり、この時期はマムシも出没するという・・・。
 一抹の不安を抱きつつ、車を走らせた。


初回訪問日&撮影日 2012年08月01日

(※百名城スタンプ設置場所)
金剛山麓「まつまさ」、千早城跡茶屋(不定期)

100名城スタンプ設置場所、金剛山麓「まつまさ」

登山口ここから約600段の石段を登る

四の丸

三の丸跡から見た千早神社

千早神社がある場所は二の丸。その背後の山林に本丸があったという

四の丸からは大阪湾が見える。
交通アクセス

南海高野線・近鉄長野線「河内長野」駅から南海バス「金剛山ロープウェイ前行き」で 約35分「金剛登山口」下車、徒歩20分。

駐車場
スタンプ設置場所の「まつまさ」などその周辺に有料民営駐車場有
千早城跡は駐車場から徒歩20分くらいかかる。


100名城巡りドライブ難易度 駐車場まで(★★)

(★1つ)非常に易しい
(★2つ)易しい
(★3つ)ふつう
(★4つ)難しい
(★5つ)非常に難しい

おすすめアクセス方法
バス停又は駐車場から千早城跡までは20分前後 山登りが必要なので、どちらで来ても大差はない。

住所
大阪府南河内郡千早赤阪村千早

より大きな地図で 日本百名城 を表示

100名城フォトギャラリーに戻る

HOMEに戻る