日本100名城 061番 高取城(芙蓉城)
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(歴史)高取城は、南北朝時代に豪族の越智邦澄が築いたといわれる。 一時廃城になるも、郡山城に入府した豊臣秀吉の
命により、1585年本多氏によって大修築がはじまる。 本多氏以降は、譜代大名の植村氏の居城となり、幕末まで続いた。
(100名城訪問日記)何よりも驚いたのは、高取城は廃城後も、この山深い場所に明治20年頃まで多くの建造物が残っていたということである。
実は当初、高取城に来ることを迷っていた。
この時期、7月から8月にかけては、高取城跡へ向かう山道及び、高取城跡周辺では、マムシが出没するという情報を
得ていたからである。 その上、このうだるような暑さの中、城跡までは40分以上の山歩きが必要だということも・・・。
夏場の山道は想像以上に雑草が鬱蒼と茂っている・・・。 私たちはマムシに遭遇しないか、周囲を警戒しながら、注意深く歩いて行った。
しかし私はここまで来てリタイヤはしたくなかった。 その草のトンネルを駆け足で抜け、その後も数か所草のトンネルを抜け、10分くらいで大手門跡石垣へ到着した。
結論は、高取城散策は、マムシが多い七月〜八月はやめた方がいいということである。 マムシがいない涼しい時期なら、 雑草も生い茂ってなくて、変に周囲を心配する必要もないので、じっくり散策できるだろう。 初回訪問日&撮影日 2012年08月01日
(※百名城スタンプ設置場所)たかとり観光案内所「夢創舘」 |
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@夢創舘(100名城スタンプ設置場所) まずはここでスタンプ押印。 詳しいハイキングマップをもらい、行き方を教えてくれたうえ、お茶まで出してくださった。 そこまでしてもらい何も買わずに出るのも悪い気がしたので、パンをひとつ購入。 |
A七つ井戸側車道の行き止まり場所 離合困難な道が続いたが、以前、名草神社への道も難なく運転した友人にとっては このくらい屁の河童。 車道はここまで。 高取城登山口はこの場所より少し下った場所にあり、引き返して駐車。 |
B登山中最初に見えた石垣 高取城跡へ向けて歩いていると、最初に見えてきた石垣。 この場所より、 少し歩いた先で、あまりの草深さに友人はリタイヤし、車を駐車してる場所に引き返すことになる。 |
C山歩き途中の立て看板 左の写真はCGで天守を再現したもの。右の写真は明治20年頃の高取城の古写真。 この山深い場所に、明治の初めくらいまでは建物が立っていたとは驚きである。 |
D大手門跡 ついに名前のついた石垣に到着。 この辺りの雑草はまだ少ない。 |
E十三間多門跡 このあたりは所々雑草が生い茂っていた。 |
F二の丸方向からの太鼓御櫓台と新御櫓台 二つの立て看板があった。 右の看板は高取城の沿革。 左の看板は日本三大山城 (大和高取城、美濃岩村城、備中松山城)に関する説明板である。 |
G太鼓御櫓台と新御櫓台 この辺りになると、草は膝下くらいまで生い茂っている。 マムシに遭遇する危険性を考えて石段の上には上らず。 |
H天主台
とりあえずは第一の目的地である天守台。 石垣の隙間からも草木が生い茂り、あらかじめ見ていた写真とは若干イメージが違った。
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I本丸への虎口 ここまで来て出会った人の数ゼロ。 夏場は危険なのをみんな知ってるのだろうか。 そろそろ不安になってきた・・・。 もし私がマムシに噛まれたら、半ズボン姿の友人は助けに来れるのだろうか・・・っていうか、先に帰ってるんだったっけ? |
J天主台 天主台の別角度。 これより先にまだ国見櫓跡があるのだが、この場所まで来るのが 限界。 さっき夢創舘で買ったパンを素早く食べて、引き返すことにした。 |
K本丸方向からの太鼓御櫓台と新御櫓台
結構駆け足での散策になってしまった。 急いで車をとめていた場所に戻ると、車は既に無かった・・・。
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交通アクセス
近鉄吉野線「壺阪山」駅から奈良交通バス「壺阪寺行き」で「壺阪寺前」下車、 そこから徒歩40分程度の山登り 駐車場 無(七つ井戸側に、3台程度駐車できるスペースはあり。そこまで行けば徒歩10数分で済む。) 100名城巡りドライブ難易度 (★★★★) (★1つ)非常に易しい (★2つ)易しい (★3つ)ふつう (★4つ)難しい (★5つ)非常に難しい おすすめアクセス方法 自動車の場合、七つ井戸側の道路の少しだけ広いスペースに駐車する。 対向車が来たらすれ違い困難な場所が数か所あるので注意 住所 奈良県高市郡高取町高取 |
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