国宝 石清水八幡宮 本殿(含瑞籬)・幣殿及び舞殿・楼門・東門・西門・廻廊(3棟)・摂社武内社本殿 (京都府八幡市)



楼門(国宝)



楼門から東門までの廻廊(国宝)



東門(国宝)



楼門から西門までの廻廊(国宝)



西門(国宝)



東西両門から北へ背面にコの字に廻した廻廊(国宝)



幣殿及び舞殿・瑞籬(国宝)



石清水灯燎華でライトアップされた楼門その1



石清水灯燎華でライトアップされた楼門その2



本殿・幣殿及び舞殿(国宝)  本社内部写真撮影禁止のため、チラシに掲載された写真である。



摂社武内社本殿(国宝)  本社内部写真撮影禁止のため、チラシに掲載された写真である。


石清水八幡宮
本殿(含瑞籬)・幣殿及び舞殿・楼門・東門・西門・廻廊(3棟)・摂社武内社本殿
国宝
寛永11年(1634年)

国宝建造物データ一覧に戻る

HOMEに戻る

(歴史)

貞観元年(859)、南都大安寺の僧で空海の弟子である行教が、豊前国宇佐八幡宮で、八幡大神から、 「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という神託を受け、 この地に勧請し、翌2年に八幡造りの社殿が造園されて創建されたのが、石清水八幡宮である。  祭神は応神天皇・神功皇后・比淘蜷_の三神で、3神は「八幡三所大神」「八幡大神」等と総称される。

創建後は、公家や武家をはじめとして、広く崇敬を集めた。  その社殿はたびたび焼失等の被害を受けるが、その都度復興し、近世初頭には、 天正8年(1580)の織田信長による社殿修復に続き、慶長3年(1598)から豊臣秀頼による 境内再興が行われた。 現社殿は、寛永11年(1634)に徳川家光公によって修造されたもので、その本社は、 本殿(含瑞籬)をはじめ、幣殿及び舞殿・楼門・東門・西門・廻廊(3棟) ・摂社武内社本殿の10棟の建造物からなる。  それら本社10棟は、元々重要文化財だったが、平成28年2月9日に国宝に格上げ指定された。

本殿は、桁行11間の内殿と外殿を前後に並べて複合させた、壮大な規模の八幡造り本殿で、 国内の同形式の本殿の中では、現存最古で最大規模である。
 本社社殿群は、その長大な八幡造本殿と、幣殿及び舞殿等を、瑞籬や廻廊で囲み、緊密に一体化した構成になり、 古代の荘厳な社殿形式を保持しつつ、その随所に近世的な装飾を施した完成度の高い近世神社建築である。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日はゴールデンウィークの5月4日、みどりの日。  この日も前日の憲法記念日に引き続き、朝から仕事をしていたが、やはり前日同様結構ヒマで、 お昼には仕事が終了。 帰らされることになり、午後はまるまる自由な時間ができてしまった。
 当然こうなることも予想していた私は急遽、前日の『上賀茂神社本殿・権殿特別公開』に引き続き、 同じ『春期京都非公開文化財特別公開』の特別公開文化財一つ、『石清水八幡宮本社内』特別公開へ行くことにした。

ところで、今回本社内部が特別公開される『石清水八幡宮』であるが、平成28年2月9日に、本社十棟、附棟札三枚が 国宝指定されたばかりである。  石清水八幡宮内で、更に、八幡市内で初の国宝指定ということで、 周辺では結構盛り上がっていて、『春期京都非公開文化財特別公開』の他にもいくつかのイベントが催されていた。  そして偶然にもこの日の夜には、石清水八幡宮本社がライトアップされ、 『御神宝神宝御太刀』などが特別公開されるという『祝国宝石清水灯燎華』というイベントも予定されていたので、 せっかくだからこの日は、昼間と夜間の2回、石清水八幡宮を拝観、参拝することにした。
 その昼と夜の2回の参拝で、本社国宝建造物10棟の拝観と、更に他の重要文化財に指定された建造物8棟すべてと、 更に五輪塔1基、石燈籠1基の拝観をメインに、可能な限りそれらを写真に撮ることを目標にした。

続きは以下の各画像で・・・。


初回訪問日&撮影日 2016年05月04日

(※国宝建造物撮影ポイント)

石清水八幡宮本社国宝指定建造物10棟のうち、撮影が自由なのは、楼門と、東門、西門、廻廊3棟(すべて外からのみ)の6棟。
 本殿と、瑞籬、幣殿及び舞殿、摂社武内社本殿の4棟は外から見えないうえ、 本社内部特別公開の折にも内部ではそれらの建物の撮影が禁止されている。




@石清水八幡宮摂社狩尾社

石清水八幡宮がある男山の西約1kmの場所にある狩尾山にある境外摂社。  創建年代は未詳であるが、八幡宮遷座以前からの社であり、明治10年に八幡宮の摂社となった。  御祭神は、天照大御神、大己貴命、天児屋根命。  石清水八幡宮の最寄駅である京阪電車「八幡市」駅の隣、「橋本」駅から徒歩約500m。

 本殿が重要文化財に指定されているので、石清水八幡宮から少し離れた場所にあるが、先に参拝した。  「橋本」駅から約500m程度の距離だが、周辺は坂道が多い新興住宅地なので、徒歩は結構疲れた。




A下の二つの画像は摂社狩尾社本殿(重要文化財)

重要文化財に指定された本殿は、三間社流造、檜皮葺。 慶長6年(1601)に再興された桃山時代の洗練された建造物である。

 新興住宅地を汗だくになりながら歩いていると、小高い狩尾山が見えてきた。  鳥居をくぐり、コンクリート舗装された階段を登りきると、一挙に雰囲気が変わる。  静かで荘厳な雰囲気の狭い境内にある建造物は、拝殿(神楽殿)と本殿(重要文化財)のみ。  涼しい境内で一休みした後、再び「橋本」駅へ戻り、すぐ隣の駅「八幡市」駅へ。  そこで男山ケーブルに乗り換え「男山山頂」駅降りて、いよいよ石清水八幡宮へ。


B東総門(重要文化財)

まずは石清水八幡宮境内の重要文化財建造物をひととおり紹介していくことにする。
 この東総門は、江戸初期に建てられた本瓦葺四脚門。


C摂社水若宮社本殿(重要文化財)

江戸時代初期(1624〜1643)に建てられた一間社流造、檜皮葺の建造物。 祭神は、宇治稚郎子命。


D摂社若宮殿社本殿(重要文化財)

江戸初期に建てられた。 桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝三間、檜皮葺、 銅板葺、左右瑞垣と東面玉垣附属。 御祭神は応神天皇の皇女。 女性の守護神といわれている。


E摂社若宮社本殿(重要文化財)

境内の摂社の中でもひときわ巨大な建造物。  桁行五間、梁間四間、日吉造、向拝一間、檜皮葺、銅板葺で、左右瑞垣と東面玉垣附属。  御祭神は第16代天皇仁徳天皇。 男性の守護神といわれる。


F北総門(重要文化財)

江戸時代初期に建てられた本瓦葺四脚門。


G摂社住吉社本殿(重要文化財)

江戸時代初期に建てられた一間社流造、檜皮葺の建物。 祭神は住吉三神。


H西総門(重要文化財)

江戸時代初期に建てられた本瓦葺四脚門。


I五輪塔(重要文化財)

高さが6mもある全国最大規模の鎌倉時代の五輪石塔である。  摂津尼崎の商人が中国宋との貿易の帰途、石清水八幡宮に祈って海難を逃れ、その恩に報いるために 建立されたと伝わる。 航海の安全を祈って参詣され、航海記念碑とも呼ばれている。  ただし、刻銘が無く、造立の起源が不明なため、この大石碑にまつわる伝説は様々であるという。


J石灯籠(重要文化財)

社務所書院庭に建っている。 鎌倉時代後期永仁3年(1295)の紀年銘がある。


K参道と南総門

ここからは再び参拝日記で。  八幡市駅前から男山ケーブル往復切符を買った私は、ケーブルに乗り、男山山頂駅に到着し、早速参道を通りこの日一度目の境内へ。  まずは、『春期京都非公開文化財特別公開』による、御本殿、廻廊、織田信長寄進の 「黄金の樋」及び、左甚五郎作「目貫の猿」他を見学。


L楼門(国宝)

『春期京都非公開文化財特別公開』の特別公開文化財を見学する前に、まずは、境内の撮影可能な国宝、 重文建造物の撮影を済ませておいた。


M楼門(国宝)

楼門は、国宝10棟の中で、最も撮影しやすい建造物の一つ。 石清水八幡宮本社の10棟の建造物の中でメインは、本殿だといえるが撮影が不可能なので、 おのずとこの楼門が、石清水八幡宮本社建造物のメイン写真として使用されることが多くなる。  この楼門だけでも、十分本社建造物の迫力が伝わってくるが、やはりメインは本殿。  そのメインの写真が撮れないということで、どうしても上記の『国宝建築評価チャート図』の、お勧め度の項目は、 15点と、少しだけ低めになってしまう。


N春期京都非公開文化財特別公開受付

いよいよ『春期京都非公開文化財特別公開』受付へ。  ちなみに、この日夜に開催されるイベント『祝国宝石清水灯燎華』とは、展示内容が異なる。  内部は撮影禁止なので紹介はできないが、宮司さんの詳しくて丁寧な説明で、本殿、廻廊、 織田信長寄進の「黄金の樋」及び、左甚五郎作「目貫の猿」について、十分理解できた。


O五輪塔(重要文化財)

『春期京都非公開文化財特別公開』の見学が終了し、他の境内の重文建造物の撮影が終わり、 次に境内から裏参道を通った先にある、日本最大規模の五輪塔を見学しに行くことにした。
 ところが、その場所は地図では近そうだったのだが、山を降りても降りてもいっこうに到着せず、 ケーブルの復路の切符があるにもかかわらず、結局は山の麓に下りてしまった。
 実は、もう一つの重要文化財である石灯籠の見学がまだだったのだが、 またこの険しい山を登りなおすのは困難で、それは夜間のイベントの時にとっておくことにした。


P国宝・広隆寺桂宮院本堂(石清水八幡宮とは無関係)

予定よりも早く男山を下りてしまったので、夜のイベントまで4時間近く時間ができてしまった。 そこでどこへ行こうかと考え、急遽、京都市内でまだ未訪問だった国宝『広隆寺桂宮院本堂』を見学に行くことにした。  ちなみに非公開である。


Q男山ケーブル

京都市内の広隆寺見学後、再び八幡市駅に戻ってきた。  先ほど買った往復切符の復路分がまだ未使用だったので、次は片道切符を購入。  この日は夜間ライトアップイベント『祝国宝石清水灯燎華』開催のため、男山ケーブルは21時30分まで延長運転されていた。  一日に二度も同じ場所の国宝見学するのは、これが初めてだった。


Rケーブルカー

男山ケーブルは、京阪電車が運営する。 今回の石清水八幡宮本社国宝指定は、 京阪電車でも大々的に祝っていて、様々な駅でそのチラシが貼られていた。  ちなみに上の写真は、帰ってきた時の写真である。  山頂に登る時は、滅多にないイベントのため、沢山の人々が乗り込んできた。


S男山ケーブル男山山頂駅

お昼よりも圧倒的に人が多かった。  ちょうど国宝に指定されたタイミングであるのと、夜間ライトアップはそれほど頻繁にやるイベントでは ないからだろう。


21.参道へ向かう途中の広場

今回の国宝指定は、石清水八幡宮自体はもとより、八幡市観光協会や、京阪電車などが、協力・協賛し、 大いに盛り上げて祝福している感じだ。 京阪沿線に住む私としても、沿線の建造物が国宝指定されるのは 非常にうれしい。


22.南総門前参道

19時の開門を、今か今かと多くの人々が待っていた。  まるで、大晦日の神社のような雰囲気である。


23.ライトアップされた石清水八幡宮本社

ついに開門され、境内に人がなだれ込む。  うっすらとライトアップされた本社建造物が美しい。 『祝国宝石清水灯燎華』チラシには、 「山の上には光り輝く竜宮城がありました」というキャッチフレーズがそえられていたが、 まさに竜宮城そのものである。


24.境内左側で和楽器を演奏する女性


25.ライトアップされた本社建造物

昼間に見学した本社とは、また全然違う印象。 わざわざ一日に2度も来るだけの価値はある美しさだ。  上記の『国宝建築評価チャート図』の『美しさ』の項目が満点なのは、昼と夜両方見た上での評価である。  これだけ絶賛しておきながら、『お勧め度』が15点とあまり高くない理由は、 やっぱりメインである国宝・本殿の撮影が禁止されている点である。 くどいようだが・・・。


26.ライトアップされた本社建造物と、献灯ろうそく

献灯ロウソクは、一本500円。


27.『祝国宝石清水灯燎華』拝観に並ぶ人々

そしていよいよ拝観料1000円を支払い、本殿など主要建造物がある廻廊内部へ。  昼同様ここから先は写真撮影禁止なので、これ以上紹介できないが、石清水八幡宮の御神宝である大太刀の特別公開など、 昼とは全く違う内容だった。


28.社務所書院の庭 石灯籠は重要文化財

最後に、昼間間違って山を下りてしまったために写真に撮れなかった 石灯籠(重要文化財)がある社務所書院の庭へ。
 こちらもライトアップされており、昼間に見るより美しかったのかもしれない。

アクセス
京阪電車「八幡市」駅下車、駅前より男山ケーブル利用

駐車場 山の麓に有

国宝建造物巡礼ドライブ難易度(★★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

国宝巡礼おすすめアクセス方法
電車と男山ケーブルの利用がおすすめ。表参道を徒歩で行くと、約30分かかる。


国宝建造物データ一覧へ戻る

HOMEに戻る
地図上141番