国宝 賀茂別雷神社(上賀茂神社) 本殿・権殿 (京都市北区)



国宝本殿・権殿は、この中門(重要文化財)の奥にある。



本殿、権殿とも撮影禁止のため特別公開看板の写真(正面権殿・右本殿)である。


賀茂別雷神社
本殿・権殿
国宝
文久03年(1863)

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(歴史)

正式名称「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」、通称「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」の御祭神は、 賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)である。
 社伝では賀茂別雷神は、神代の昔、本殿の後方約2キロメートルにある秀峰「神山(こうやま)」 の頂上にある磐座に降臨したと伝える。
 現在の御殿の基が整えられたのは天武天皇の白鳳6年(678)で、 神山を拝む形で現在の本殿の基となる建物『遙祭殿(ようさいでん)』が 建てられたという。 二の鳥居を入った正面にある立砂は、神山を表しており、 本殿がなかった時代の祭場のなごりである。

境内23万坪の中心である本殿と権殿は、文久3年(1863)造替で、流造と呼ばれる 神社建築様式の代表的建造物として国宝に指定されている。
 国宝の本殿・権殿以外にも、34棟もの建造物が重要文化財に指定されており、 その中には寛永5年(1628)造替と、本殿・権殿よりも更に古い桧皮葺の建造物が数多くある。


実験的企画 国宝建築評価チャート図

国宝建築の能力値をサイト管理人が独断と偏見で点数化

(※)評価基準

○歴史 建造物の建立された年代の古さを点数化したもの。
 飛鳥時代以前(20点)、奈良時代(19点)、平安時代(18点)、 鎌倉時代(17点)、南北朝時代(16点)、室町時代(15点)、戦国時代(14点)、安土桃山時代(13点)、江戸時代前期(12点)、 江戸時代後期(10点)、明治時代(8点)、大正時代(6点)、昭和時代前期(5点)、昭和時代後期(3点)、 平成時代以降(1点)

○迫力 建造物の巨大さ、あるいは見た目の迫力を点数化したもの。

○美しさ 見た目の美しさを点数化。

○希少性 その意匠や形式などが同じ分類である建造物の現存例の少なさを点数化。

○おすすめ度 管理人のおすすめ度を点数化。主に観光満足度、その他、インパクトなどを重視。

以上はすべて、正式なものではなく、管理人の独断と偏見による評価である。


(国宝建造物訪問日記)

この日はゴールデンウィークの5月3日憲法記念日。
 テレビニュースによると、今年のGWは、7日〜10日もの連休をとらせる企業もあるのだという。
 この時期になると毎年、そういった話題のニュースが流れてる気がするが、 そこでは決まって成田空港の出発ロビーに中継が繋がり、 そういった長期連休取得中の家族連れ会社員や、OL二人組などがテレビ局のインタビューをうけ、長期連休を利用して、ハワイだの、 グアムだのへと行ってきますと、笑顔で答えてる。
 そういったある種の茶番映像を見せられて、毎年のように思うのだが、 今の時代、一体どれだけの企業が、10日間も休みとらせてくれるのだろうということである。  少なくとも私の知り合いには、そんな10連休もとらせてくれるようなホワイト企業に勤めている人間はいない。
 テレビではまるで、日本の大多数の会社員が、その成田空港でインタビューを受けた会社員やOLのように長期連休をとっているかのごとく報道 している。

他にもマスコミは、今年の冬のボーナス平均支給額は、80数万円だったとか、 ある年のボーナス平均支給額は60数万円で、過去最低だったとか、ボーナス支給が全く無い中小企業が数多い昨今において、 あまりにも世間からズレたその金額を、 まるで、中小、非上場、サービス飲食その他、 すべての企業の平均額であるかのごとき報道をする。

ある年の企業別平均年収順位で、上位10社中、実に7社が、東京に拠点を置くマスコミ関連会社だったという。
 それらマスコミ関連会社に勤める会社員の年収の平均金額は、1500万円前後。  それだけ高収入である、所謂上級国民様方が番組を作っているわけだから、 最初から中小企業や、地方企業、非上場企業に勤める会社員の立場など理解できようはずはないのである。
 まあ、それに気付かない限り、若者のテレビ離れはますます加速するだろうが・・・。

・・・と、国宝巡りとは全く関係のない前フリがあまりにも長くなってしまったが、 実は私も、ゴールデンウィークなど関係なく働く社畜の一人。 憲法記念日であるこの日も朝から仕事をしていた。  しかし、やっぱり大多数の会社が休んでるGWだから、会社に来ても仕事が少なく、結構ヒマだったため、 お昼の12時で仕事が終了してしまった。  そこで急遽、私たち社員に支払われる祝日給を安くするためにも、帰らされることになってしまったのである。

となると、お昼から半日、何をすべきかと考え、たまたまこの日京都で、 『春期京都非公開文化財特別公開』の行事が行われていたことを知っていたので、 ある程度こうなることを予想してカメラを用意していた私は、 まだ未訪問だった国宝建築、『上賀茂神社本殿・権殿』を拝観しに行くことにしたのである。

私の職場から上賀茂神社までの所要時間は、電車とバスを乗り継いで約1時間30分程度。  なぜこれほど近い場所にある国宝建築を、今日まで未訪問だったのかというと、 何よりもまず、この国宝、『賀茂別雷神社(上賀茂神社)本殿・権殿』が、通常非公開であるからである。  その上、希に今回の『春期京都非公開文化財特別公開』のようなイベントで、特別公開はされるのだが、 そこでも写真撮影は一切禁止。
 となると、『撮り鉄』ならぬ、『撮り国宝』派の私としては、あまりテンションが上がらない。
 その理由で、今日まで拝観が後回しになっていたのである。

上記の『国宝建築評価チャート図』の、『おすすめ度』の項目が13点と、極端に低いのも同じ理由からである。
 仮に『観る国宝』派(※国宝建築を観るだけで満足する人々)なら、『本殿・権殿特別公開』において、宮司の方の非常に詳しい解説付で 十分拝観できるのでオススメできるのだが、「国宝建築は写真に撮ってなんぼじゃい!」という考えの『撮り国宝』派の人には、 一切の写真撮影が禁止されている点で、少しストレスがたまる。 その点で、 おすすめ度の点数が大きくマイナスになるのは仕方がないといえるだろう。

とはいえ、当サイトは、『〜訪問日記』という題名からもわかるとおり、そのメインは、仏塔や国宝建築の写真ではなく、 仏塔や国宝建築を訪問した私の感想文の方である。  だから、今回は上賀茂神社の境内の写真撮影よりも、『上賀茂神社本殿・権殿特別公開』で、それら国宝建築の姿を、 この目に焼き付けてくることを第一の目的として拝観してくることにした。

続きは以下の各画像で。


初回訪問日&撮影日 2016年05月03日

(※国宝建造物撮影ポイント)
普段は本殿、権殿とも非公開だが、稀に特別公開される。 しかしその際も撮影は禁止されている。

@一ノ鳥居

まずはJR京都駅前から、市バス9番系統、西本願寺・二条城・上賀茂神社行きバスに乗り、『上賀茂御薗橋』バス停で降車。  バス停から数分歩いてこの一ノ鳥居へ。  4番系統バスなら一ノ鳥居真ん前の『上賀茂神社前』バス停へ直接行けるが、バスの所要時間は少しかかる。


A春期京都非公開文化財特別公開の看板

この看板は一ノ鳥居前と、二ノ鳥居前、楼門前に設置されていた。 こういった『京都非公開文化財特別公開』は、春と秋に毎年のように行われ、 その都度特別公開される文化財は違うので、マメに確認していた。


B参道

一ノ鳥居をくぐると、広々とした参道へ。 以前に行った下鴨神社が、 鬱蒼とした森の中にあった印象だったのに比べて、上賀茂神社は広々とした明るい場所にあるという印象だ。


C外幣殿(重要文化財)

参道右手に、最初の重要文化財建造物、外幣殿が。 寛永5年(1628)に建て替えられ、 明治13年(1880)に改修された檜皮葺の入母屋造の建造物。


D神馬舎

社領内で飼育している馬がここ神馬舎に留め置かれるのは日曜・祝日のみ。  こういった馬舎がある神社や寺はいくらか観てきたが、実際に生きた馬がいたのはここが初めて。


E二ノ鳥居

いよいよ境内へ。 私が行ったこの時間には、三組の新郎新婦が結婚式をしており、その結婚式出席者たちや、 ゴールデンウィークの特別公開目当ての観光客も合わせて、数多くの人びとで境内は埋め尽くされていた。


F楽屋(重要文化財)

寛永5年(1628)に建て替えられ、明治13年(1880)に改修された檜皮葺の切妻造の建物。


G土屋(重要文化財)

寛永5年(1628)に建造。 檜皮葺、入母屋造の建物。


H橋殿(重要文化財)

舞殿ともいう。 橋殿と呼ばれるのは、御手洗川をまたぐ形で建てられているため。  文久3年(1863)に建て替えられた檜皮葺、入母屋造の建物。


I細殿(重要文化財)

拝殿ともいう。 寛永5年(1628)に建て替えられた檜皮葺、入母屋造の建物。  細殿の前には円錐状の二つの立砂がある。


J摂社須波神社本殿(重要文化財)

祭神は、阿須波神・波比祇神・生井神・福井神・綱長井神。


K摂社片岡社本殿及び拝殿 2棟(重要文化財)

寛永5年(1628)に建造。 片山御子神社ともいう。 祭神は玉依比売命。  縁結びの神様として有名で、紫式部もお参りしたという。 絵馬がハート型に見えるが、 これはハート型ではなく、上賀茂神社の葵の葉を模ったものだということを、ガイドの方に教えてもらった。


L楼門と玉橋(ともに重要文化財)

楼門は寛永5年(1628)に建てられた二層二階建ての楼門建築。 檜皮葺、入母屋造。


M中門(重要文化財)と
手前は末社棚尾社本殿(重要文化財)

中門は両側に西局・東局が繋がっている。  寛永5年(1628)に建造された四脚門。 檜皮葺。切妻造。
 中門手前の受付でいよいよ、『本殿・権殿特別公開』拝観の申し込みをする。  中に入ると、20人前後の拝観客が控え室のような場所に通され、まずは宮司の方から、 上賀茂神社についての詳しい説明をうけた後、国宝(本殿・権殿)が見える場所へ通された。


N本殿(右)と権殿(左)(国宝)

内部は当然、写真撮影禁止のため、参考のために他サイトの画像を無断で使わせていただいた。  元々は、こういった特別公開も無く、一切の非公開だったらしい。 特別公開されるようになったのは、10数年前からであるとのこと。  かなり神聖な雰囲気で、美しいその建物に、思わず見とれてしまった。


O庁屋(重要文化財)

奈良神社拝殿付属。 1628年建造。
 本殿・権殿拝観後、さらに展示室を見学し、境内で、ひととおり主要建造物の説明を受ける。  その後最後にこの庁屋を見学した。

アクセス
京都駅より市バスH西賀茂車庫行、『上賀茂御薗橋』下車、又は、C上賀茂神社行き、終点下車

駐車場 有

国宝建造物巡礼ドライブ難易度(★★)

(★)・・・・・・・・・・非常に易しい
(★★)・・・・・・・・易しい
(★★★)・・・・・・ふつう
(★★★★)・・・・難しい
(★★★★★)・・非常に難しい

国宝巡礼おすすめアクセス方法
市バスの利用がおすすめ。


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